
『日本手話とろう文化 ろう者はストレンジャー』
木村 晴美
生活書院 (2007/04)
[ Amazon ] [bk1]
NHK手話ニュースで活躍した著者が繰り広げる、異文化交流の分析語り。
日本に存在する2つの文化、耳に依存する文化と、音を使わない文化。その二つの文化のそれぞれが、どんだけズレていて、どんだけ互いに理解ができていないか、そしてこんなに誤解を大量生産してしまうんだよと数々の実例を紹介して下さる。
これは規範ズレ好き、常識齟齬探索好き人間にとっては、もう「へぇ〜」バシバシ叩きまくり百連発くらいのたいへんなお宝本だ。


【日本の中の二つの文化】
■耳が聞こえる人が形成する文化と、耳が聞こえたことがない人たちが形成する文化は、違っている。
耳文化と、音なし文化とでは、語の意味が違う。マナーが違う。生活規範が違う。・おせじや挨拶のありようが異なっているので初心者まごつきまくり
・問題解決の段取りや、待ち合わせ、合意形成などの規範が異なっているので「この人ヘン!」頻発しまくり
・「悪くない」「まだ」などの基本的な語からして、それぞれの文化で用法が異なるので翻訳しづらい
・本場の手話は手以外も使うのに「手の動きだけ」と思い込まれているので・・・
手以外の動作で「否定」を表現したら、その部分が無視されて意図が逆に伝わってしまうケース。
・顔でするサインが、それとは異なる感情を表現しているかのように受け取られるので・・・
「かまわないよ気にしないで」と伝えたのに、「いや絶対許さない、ヘソ曲げた!」という表情なのだと解釈されてしまうケース。
そんなこんなの、耳文化と音なし文化間のおつきあいが、異文化間交流として紳士的に成り立つ以前のなさけない状態にぐだぐだしてしまうその原因は・・・
たぶんに「日本手話」が「日本語である」という無知から来る誤解が大元にあったりする。
たぶんに「障害者は健常な人未満でありフツウではない」という優劣先入観があったりする。
たぶんに「障害者は健常な人が助けてやるべき存在である」という無自覚なパターナリズム(おせっかい/大きなお世話)が影響していたりする。

【ろう文化とは】
■ろう文化の由来入門は
音を使わない人々が自然に形成する文化規範は、異文化のありようを尊重しようという意味を込めて、特に「ろう文化」と称される。
... 以下つづき...

耳が聞こえる人が形成する文化と、耳が聞こえたことがない人たちが形成する文化は、違っている。
ここでいう文化とは、それぞれが共有する規範のようなもの。
TPOそれぞれ、こういうときにはこうするものだ、そんなときにはこんなことしちゃいかん、みたいなアタリマエさのいろいろ。それが、同じ日本で暮らしていながら、同じ日本人だとみなされていながら、耳が聞こえる世界と、音を使わない世界とでは、実際は文化が大きく違っていたりする。
その違いがあることをきわだたせ、お互いのありようを尊重するために、それぞれに異なる文化に暮らしているのだということを打ち出したのが、ろう文化。
耳文化と音なし文化。どっちかだけが正しいわけではなく、どっちかができそこないでも、未熟でもない。それぞれが、それなりの文化。
ろう文化については、4年前のエントリでひととおりぶっているので参照いただきたい。
・ろう文化とは
・障害者ボランティアの感覚のズレ
・文化が違うと「恐い」というリアクションがある
・聴覚障害の遺伝
・ろう文化を知るための書籍いろいろ など

【ろう文化は普及しているか】
■日本の「ろう文化」は実際はどうなのか
「ろう文化」は前世紀末に海外で旗揚げされ、日本にはやっと今世紀になって普及しはじめた、どちらかといえば、まだ出来立てホヤホヤの概念だ。
一昨年、『 手話で増える聴覚障害者/ろう文化 』 に対して、「そんな日本の実情に即していない絵空事のろう文化など普及するわけがない! 聾学校で障害者がどんな思いで苦しんでいるのかわかっているのか! いいかげんな遺伝情報を書くな!」と、聴覚障害の遺伝病を診断する立場の専門家さんが怒鳴り込んできなさったことがあった。
はなから上から視点の「シロウトの無知を正してやる」姿勢で私信も拒否。まずもって、ろう文化に対してけんもほろろ。初歩的なパターナリズム丸出しの処置なし状態に見えたのは気のせいだろうか。
遺伝カウンセリング関係の専門書に寄稿なさるほどのお方であったのに、診療に臨む姿勢がコレというのは、怒鳴り込まれる自分がダメダメなのか、ろう文化とは「治療する」側にとっては悪ふざけにしか見えないものなのか、そんでもってなんでこの人が遺伝カウンセリングの本に執筆参加する経緯になりえたのか、マジひどいめまいに襲われた。
最近気になるのは、医療関係者で、医療社会学や医療人類学の知見をまったく把握していないような、「私こそがこの問題の専門家である」的カンチガイ発言をなさる人がいること。「医療」の専門家であっても「問題」の専門家ではないことに気がつかないまま、一方的な善意からパターナリズムに走っていたりする。
そんな困ったちゃん先生にでくわしたことはありませんか?
医療人類学、医療問題 特集
■ろう者の世界はアンタッチャブル?

自分は、実際はろう文化の話題に手を出すのは怖い。
なんでかというと、ろう文化に対する姿勢や、ろう者に対する姿勢や偏見が、人によって、地方によって、世代によって、立場によって、そして当事者ろう者の間でも、たいへんいろいろ違っているということを聞き及んでいるから。全然一概に扱えず、何をいうにも考慮すべき諸条件が多すぎて、しんどすぎるように思えたゆえ。(いわゆる、コストが見合わない、というかねぇ)
そこへもってきて、上の「遺伝疾患専門家の怒鳴り込み」だ。
ろう文化が日本に導入されてもうだいぶたつはずなのに、なんなのだこれはと。
ろう文化概念も知らず、音を使わない人間が生まれることは最悪の不幸だと思い込んでいる層が、2006年になってもどこかの地方にまだ存在し、聴覚障害者の子を産むことを恐れて遺伝診断も受けずに子作りを断念してしまうほどおびえていなさるのだという。そしてその怯えた患者の代弁者として、遺伝確率論議もすっ飛ばすほどの勢いで異議申し立てに来る専門家。
風の便りに「最近、ろう文化を掲げて態度のでかいカンチガイろう者がいてウザイ」と、ろう者自身が述べているケースまでをも聞き及ぶにいたり、よけいに「どう語っても、誰かに通じない、誰かが憤る、何がどうなっているんだ」と見当もつかない、手出しのしようがないアンタッチャブルな領域であるかのように思えた。
■自然体のろう文化
そんな顛末ですっかり「こらあかん」状態であったのに、今回の書『日本手話とろう文化』では、すでに「ろう文化をアタリマエのように呼吸して生きている」日本の世代が描かれている。というか、著者がろう文化世代だ。
なんだ、あるじゃん。
日本にも、ろう文化プライドを身につけた界隈(かいわい)が存在するじゃん!
しかもこの著者はかねてよりメルマガを発行しており、そのメルマガをまとめたのが、本書だ。
なんだ、まえからあるんじゃん!!
著者・木村晴美氏のブログ

いや、国内でも人それぞれ、ろう文化に対する態度はバラバラなのかよ、というアンタッチャブル感がぬぐえたわけじゃない。
とりあえず、「日本の実情に即していない絵空事のろう文化だろ」と怒鳴り込まれた場合に、絵空事じゃないんだけどねとこの本を紹介できるようにはなっているんだなと、そこが嬉しくも多大な安心感。

【言葉の隔たり】
■用語の独特さ
ろう文化の問題で、もひとつアンタッチャブル感を強くさせているのは、用語だろうか。
雨崎の頭が飲み込み悪いからなのか、他の人もそう感じているのかは定かではないのだが、とにかくこのろう者界隈の用語が直感的にわかりづらくてかなん。
まだわかりやすい語は「聴者(声の会話で暮らす人)」や「中途失聴者(育ってから聴覚を失った人)」、「デフ(ろう文化にプライドを持つ人 だと思う)」。
「シムコム」「ワイプ」「コーダ」あたりになると腰が引けてくる。
シムコムは、日本の標準語である日本語を、手旗サインのごとく手の動作に置き換えた代替語。のことだと思う。
ワイプは、テレビ画面の隅っこでパタパタしている手話通訳。のことであるらしい。
コーダは、「c」で始まるとろう者の家庭で育ったろう者。「k」で始まるコーダだと、ろう者の家庭で育った聴者。なんだそうな。

もしかして、これらの語は手話で表現する場合は直感的にわかりやすい語になっているのかな。それらのろう文化の語を日本語話者用に変換する際に、ろう者のろう文化主導でことが運んだために、「日本語話者にとってのわかりやすさ」がわからないまま変換された、そういう経緯(翻訳ミス?)が噛んでいたりするとか?

で、誤解を招きやすい呼称の最たるものは、不幸なことに、まず肝心の「日本手話」だったりしている。
「日本手話」という呼称と字面は、「日本というお国の側で作られた手話=日本の聴者がろう者のために編み出してやった手話」という印象を与えてしまう上、「手だけで行う会話」という誤解まで招く。
「日本手話」という呼称が指し示すものは、実際は「ろう者が自然発生させた”音を使わない会話様式”の日本バージョン」とでも言うべきものであり、「表情や目線、首など、手以外も含めた人体の所作の組み合わせ」で構成されている。構文も、単語の意味も、様式も、全然「日本語ではない」、かけはなれた別個の言語。
「日本手話」という字面や、諸般ろう教育のひねこびた経緯など、いろいろややこしくもなさけない偏見も複雑にからまりあって、「手話はかわいそうな人が日本語を話すためのデキアイの身ぶり言葉」のようなカンチガイがフツーにそこらに出回っていたりする。
「かわいそうな人が日本語を話すためのデキアイの身ぶり言葉」というポジションにあるのは、「日本手話」ではなく、元来のデキアイ語である「シムコム」のほうであろうわけだし。
■言葉の感覚が文化で違う
「日本手話」と「日本語」はそも成り立ちが全然違う。翻訳がたいへん難しい関係にある。
悪いことには、日本語世界の人と、日本手話世界の人とでは、お互いにどうわかりづらいのか、お互いにどこが通底しあえてないことがあるのが、まだ全然把握が進んでない気配であるらしい。
見方を変えれば、これは研究未開拓のインスピレーションの宝庫!なんだが。
ひところ、言語発生と手話、脳の言語野と手話、などに関する研究が海外からぽろぽろ流れてくる時期があったのだが、最近はとんと見かけなくなっている。
生成文法のブームは、ろう文化との実際的な交流に応用できるような方向には熟さないまま、象牙の塔に退却していったんだろうか。
聴覚障害家庭に産まれた健聴乳幼児は手話でバブバブします
2001/11 Trends in Cognitive Sciences Vol. 5, No. 12 Hand-waving insight into infant language
言語発達能力は先天的
健聴者の親に生まれたデフの子は、手話のようなジェスチャーを自然に編み出す
2004/02 EurekAlert Adults and children develop gestures that mimic language
I See a Voice: Deafness, Language and the Senses - A Philosophical History
●私は声を見る:聴覚障害、言語、感覚の哲学史
Jonathan Ree (著) Metropolitan Books (1999/11)
ろう者の国造り 手話使用者のナショナリズム
聴覚障害児を堕胎するな 補聴器など使うな
音を使わない文化に誇りを持とう
2005/03 Prospect Magazine Deaf nationalism 〜 Jonathan Ree
Sign language is officially recognised as a minority language in its own right
自然発生手話
アルサイイド ・ベドゥインで生成される手話文法
スティーブン・ピンカー曰く、ベドウィン族の身振り言語は「間違いなく重要な発見」
つかのまの謳歌であろうとも
2005/01 news@nature.com Sign language reveals fast track to grammar
Languages are quick to develop conventions about word order.
2005/02 New York Times A New Language Arises, and Scientists Watch It Evolve
2005/02 University of Wisconsin Inventing Language
Al-Sayyid Bedouin Sign Language signers telling stories.
■なんかいい言葉ないもんかね
ろう者、聴者、コーダ・・・「この言葉は通じにくいっぽいんで、使いたくないなぁ」というとまどいから、
聴者の文化 ではなく 耳に依存する文化 耳文化
ろう文化 ではなく 音を使わない文化 音なし文化
ではどうだろうかと試してみたり、
音世界の人 目世界の人
てのはどうかな、など、ちょっと悪あがきをしたくなったりするわけなんだけども、さらには
「日本手話」
という呼び名より、もっと適切な呼称はないのかな、とか。ねぇ。

「顔や首も使う、日本独特版の、動作言語」をうまく表す呼称は何か考えられないかな。
所作語
ヤマト操体語
元祖和態語・・・

すくなくとも「日本手話」よりは、「日本語じゃない」ということを表現したい点は伝わるっぽいかな。
残念ながら、ネイティブ手話由来の種々の表現が、耳に依存する日本語文化の人ではどう受け取られるかを、ろう者は把握しきれていない。もしかしたら、そういうわからなさから、ろう文化界隈では「日本語話者には直感的にわかりづらい用語」がフツウに使われるようになったのかな、異文化間翻訳に適した呼称に調整できてないのはこのせいか、とかいぶかってみたりする。
そういえば、この本の装丁やタイトル自体も、これでいいのか? ろう的にはこれでいいのか? もっと適した装丁やタイトルがあったのではないだろうか? この装丁はもったいなくね??? めいた不満がわいてきたり。

【2003年5月】

日本の教育界は、ろう者が形成する手話とろう者としての尊厳を認めず、日本語だけを教える方針を取ってきた時代があり、手話は日本語以下だサル用だとみなされる時代があり、手話を教えたら子どもがまともに育たないと思われた時代があり・・・
検索してみると、ろう者の自尊心保全というか、プラウド運動の流れで、2003年にひとつエポックメーキングな、大きな動きがあったことがわかる。
『ぼくたちの言葉を奪わないで! ろう児の人権宣言』
全国ろう児をもつ親の会 (編集)
明石書店 (2003/05)
2003/03 朝日新聞 手話と書き言葉で「バイリンガルろう教育」
2003/05 毎日新聞 手話による授業を求め、人権救済申し立て
2003/05 共同通信 「日本手話」で学校授業を ろうの生徒ら申し立て
2003/05 【PDF】 ろう児の人権救済申立と言語権 小嶋勇(東京弁護士会所属・弁護士)
目次
1.はじめに
2.人権救済申立手続
3.申立の趣旨〜ろう児らが求める教育〜
4.申立の実情〜申立をするに至った理由・根拠〜
5.ろう児の人権救済申立の意義
6.ろう児の人権救済申立と言語権
7.言語権と国際法
8.言語権と日本国憲法
9.おわりに
資料(人権救済申立書要約
2007/10 朝日新聞 札幌聾学校 手話導入で保護者と学校対立
アマゾンのカスタマーレビュー:2003/06「今、産婦人科では、新生児聴覚スクリーニングという、生まれてすぐに聴覚障害児を発見しようとする検査が全国的に行われようとしています。
しかし、その実態は、産婦人科医の多くは、「聴覚障害」とか「ろう」とか言う問題に対してほとんど無知です。」
去年になっても、札幌のろう学校でもまだぐちゃぐちゃしているらしいことがなんとも orz だが。(この検索結果からは、2003年の動きがその後、実際に手話教育の健全化につながることができたかどうかはわからない)
カスタマーレビューの「医者が病気以外のろう文化面についてはほとんど無知」だと述べる指摘の対象に、くだんの遺伝疾患の専門家さんも含まれるものだった、と解釈してもいいのだろうか。
(しかし、遺伝障害を持つ胎児が堕ろされるか生まれるかの瀬戸際に関わる専門家が、聴覚障害に対してフツーにこれだけのマイナスベクトルをお持ちである状態は、・・・どう解釈すればいいんだろう?)
みんなで手話習った方がいいんじゃない?
手話は健聴児の言語能力も豊かにします
2001/11 EurekAlert! Sign language enriches learning for hearing children

まあ、なんだかんだと長くなるのでこのへんでいったん切ります。
■今この同じ場にいるということ 平行世界

ふだんはあまり接触する機会がないのかもしれないけれど、日本には、日本が誇れるもう一つの日本の文化、「日本ろう文化」があります。
「日本ろう文化」は、日本世界のパラレルワールドです。いつでも接触できる、SF的カルチャーショックの宝庫です。
この『日本手話とろう文化 ろう者はストレンジャー』は、ろう文化入門に最適です。
ろう文化入門の書籍は他にもいろいろ出ています。
『日本手話とろう文化 ろう者はストレンジャー』の著者さんのサイトはこちらです。
著者・木村晴美氏のブログ
耳世界の人にとって、一番身近な手話は、NHK教育の手話ニュースなのかな?
NHK教育テレビで流されている手話ニュースを見たことがありますか?
この本を一読すれば、がぜん世界の見方が変わりますよ。

聴覚障害の遺伝率や、聴覚と感情のつながりがない思考様式の考察、などについて、さらにエントリ書こうと準備しています。(と自分に鞭打つ)
その後、続きの一個目を書きました。
2008/01

先月こんな本が出ている。
これを見ておけば今の状況がわかるのかな。
『知っていますか? 聴覚障害者とともに一問一答』
稲葉 通太監修 デフサポートおおさか編著
解放出版社 (2007/12/20)

![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







次の記事 















