「へぇ」は多くても「はてブ」なし、というのがいかにも。w
有田氏方面の人工生命シミュレーションと文化心理学をかち合わせた論考はあまり例がないのかな。
ほんとはまだもっと長かったんですが、さすがに冗長すぎたんで、余談部分は刈り込みました。
そのとき切ったぶんを少しここに置いてみたり。

【野に降りて言葉をたれよ】
文化心理学は変わりつつある。
文化心理学のアプローチを取る研究に見えながら,実は,心の文化差を意味体系の違いに結びつける文化心理学のアプローチにとらわれることなく,心の文化差をゲーム理論的な意味での戦略として理解する方向をめざしている。これらの論文は,ゲーム理論に,行動を越えた認知特性を持ち込むことの意義を明らかにする研究ということもできるだろう。
〜山岸俊男「心の社会性」解明に向けて 『集団生活の論理と実践』 p.194
ゲーム理論で因数分解されていく文化心理学。
心理学、文化人類学、ゲーム理論の共進化を夢描く山岸氏。
『集団生活の論理と実践』は今年の1月に出た本。山岸氏(社会心理学)が噛んだ本として、その直後3月に『現代文化人類学の課題』というものも出ている。
『現代文化人類学の課題』は、文化人類学と社会心理学のコラボの試み。
『集団生活の論理と実践』は、文化心理学と社会心理学(ゲーム理論)の取り合わせ。
前者の組み合わせは食あたり(or 消化不良)をおこしそうだった。それよりは、文化心理学と社会心理学はベースが近いし、はるかになじみよく目を通せた。

えーと、それはそれとして、こういう研究はあくまで「基礎研究」なんだろうか。
基礎研究と応用研究の違いが自分はよくはわからないのだけれど。誰がどこからどこまでを基礎と決めつけるのか、応用研究とはすなわち「金になる研究」のことなのか、世の中の役に立たなくても応用研究といってもらえるケースはあるのか、世の中に応用できない基礎研究は資金を集められないのか、「市井に研究成果を還元できるよ」というポーズをとることによって資金面で厚遇されようとする基礎研究もあるんだろうか、市井に貢献できるのに身分の不安を感じることがなければ「今の段階でそこまで無理することもない」と応用に勤しむことを避けたりするだろうか。
... 以下つづき...




『集団生活の論理と実践 互恵性を巡る心理学および人類学的検討』 煎本孝、高橋伸幸、山岸俊男・編 北海道大学出版会 2007/01
『感情科学』 藤田和生・編 京都大学学術出版会 (2007/08)
『朝倉心理学講座 10 感情心理学』 鈴木 直人 (編さん) 朝倉書店 (2007/09)
【応用じゃなくて、基礎?】
基礎なんだろうか。
直接、市井に関わる方向を目指すものではなく、施策や実行に使える水準まで行けるよう、まだまだ基礎検証を続けている状態なんだろうか。応用に供するには不完全すぎる段階なのだろうか。(応用に供する気はあるのか?)
驚くべきことに,感情に関する研究が現在のようにさまざまな研究領域で始まったのはたった数十年前にすぎず,「感情とはなにか」「感情表出はどのようになされるのか」「感情はどのようなメカニズムで生じるのか」「感情はどのような機能をもつのか」といった基本的なことすらいまだ解明されていない.
〜まえがき 『朝倉心理学講座 10 感情心理学』 鈴木直人・編 朝倉書店 2007/09
(・・・え? じゃあ、今まで人間はいったい何をやってきていたんだろう
)基本的なことすらいまだ解明されていない。でも、なんぼかわかってきていることはある。そのなんぼかだけでもいいから、なんとか世の中に貢献して・・・くれているのかな。
社会心理学の山岸氏に、爆笑問題の太田氏が投げた疑問 「何の役に立つのか」 。
ネバドデルルイス火山の話をこないだ書いたせいもあるのだけれど、
科学者は、ネバドデルルイス火山が噴火したら何が起きるかわかっていた。予想していた。だのに、現場にそれが伝わっていなかったため、科学者が予想したとおりに25000人もの人々が、命を奪われた。そんな話。
科学者は、何が起きるのか、まだわかってないのか?
世の中を分析してくれているわけだから、世の中をなんとかしてくれるのではないか、どうしてもそう見えてしまう。でも、こういう研究は「基礎研究」であって、応用とは縁が遠いんだろうか。
●基礎研究だから、そもそも実用を期待されても困る:んだろうか。
●見た目から来る期待に応えるには、まだまだ時間がかかるからもう少し待ってくれ:だろうか。
●それとも、ただ市井との切り結び方を把握できていないだけの、ネバドデルルイスの悲劇を指をくわえて見ていた火山学者さんたちのような状態にあるだけなんだろうか。
調べは応用にはほど遠い段階で、現実の改変に関わるにも、ほど遠い状態なんだろうか。
追記:こんな本が出た。
内容はどうなのか。宮台方面の 不安マーケティングなどは踏まえてあるのか、あいかわらず文化心理にドライなままなのか、文化規範に無頓着なサラリーマン層によくウケる内容になってしまっていないか。
『日本の「安心」はなぜ、消えたのか 社会心理学から見た現代日本の問題点』 山岸 俊男 (著) 集英社インターナショナル (2008/02)

【COEが妙に本を出すそのわけは】
なんかこんな話を耳にした。
国立大学がのきなみ民営化されて、従前の気分でやっていたら商売あがったりになりそうなので、猫も杓子もあわてて「研究が役立ちそう」に見えるような出版、講演、メディア露出をぼんぼんやりだした。機が熟していようがいなかろうが、「ムダに金を食っているわけではないのですよ」と、生き残りを賭けてやたらアピールするサモシイ方向になだれていっている。
そうなんですか?

例えば:
国立大学が法人化され,どの大学も生き残りをかけて自分たちの仕事を公開するとともに学生の確保のために本を書くことが大はやりである。COEなどは本を書かないと何をしているかわからない,と言われるほどである。昔から,科学研究費の報告書は読むに耐えないという相場になっているので,どうかなと二つ三つ手に取っては見たものの,研究者の論文集であるから専門用語の解説すらないものが多く,とてもじゃないが一般人が手に取るとは思えない。それを回避するために,専門のライターを頼むことも大はやりで,企業のパンフレットか,と思うものも多い。
(東京大学大学院総合文化研究科 石浦章一 書評「生物の多様性ってなんだろう?」)
『生物の科学遺伝』2007年11月号エヌ・ティ・エス

と、以上、こんな中途半端な感じに問いかけだらけのエントリを置いてしまう、その理由は、これの次にアップする
の話のベースとして「ねえそれ応用はできないの?」とたたみかけておきたかったという部分がある。
「こっちの分野ではこんなことになっているのに、そっちの分野は何か力にはなれないんですか。」
合わせてご覧下さい。

![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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