
『土器の民族考古学』
後藤 明・編
同成社 (2007/07)
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収録論考:
金子 守恵「エチオピア西南部における土器職人のテクノ・ライフヒストリー」
大西 秀之「フィリピン・ルソン島山地民の土器製作技術の一考察」
長友 朋子「民族誌事例から見た土器づくりと弥生土器生産体制」
小林 正史「稲作農耕民の覆い型野焼きの基本特徴とバリエーション」
角南聡一郎「現代台湾における民族表象としての土器」
小野林太郎「消えた土器と残った土器」
石村 智 「土器の喪失?オセアニアの場合」
後藤 明 「東部インドネシア・マレ島における土器製作システム」
単なる考古学とは限らない、認知考古学、文化人類学、工芸美術にもまたがる、各地各様の土器製作手法と様式、文化について、研究者それぞれな論考が納められている。
元になっているのは、
世界考古学会議中間会議大阪大会『共生の考古学〜過去との対話、遺産の継承〜』の中のセッションだ。

この中に収録されている
石村 智 「土器の喪失? オセアニアの場合」
にかなり興味惹かれる。
太平洋の島々、オセアニアには大昔から土器を作る文化がいろいろ分布していた。土器や工芸品を、島々の間で交換する交易も盛んだった。
ところが、その中、一部の島々で「土器を作れる環境にあるのに、土器を日常的に使っているのに、自分たちでは土器を作らなくなった」そんな「作成しないが使う」土器文化の状態が1500年も続いた地域が存在した事実が確認されている。
土器を作ろうと思えば、土器を作る材料も技術もある。でも作らない。作らないけれども、土器はふつうに使うし、ヨソの島から輸入する。地産地消(ちさんちしょう)ではない、ヨソの物を使うことがデフォルト。
土器は、民話伝承では「ヒトの身体の象徴」として語られる。
なんらかの文化的な意味構造が、「作らないけれど、使うために必要」という輸入土器文化的な状態をこさえたのではないかと推察されている。
・・・いまどきの暮らしでは「自分たちで作ろうと思えば作れるのだが、はるかかなたの誰かが作ったものでないと使いたくない」状態がアタリマエだったりするので異様でもなんでもないのかもしれないけれど、過去の時代状況や、交易様態の変遷も考え合わせると、「土器を作らず使う島」の存在は重層的にいろいろな不思議や妙が奥深く広がっているように思えて、う〜む、すてきだオセアニア。
... 以下つづき...

には、オセアニアの島々の交易範囲の変遷や、各種土器文化の盛衰をあらわした図版など、たいへん興味深い図がいろいろ載っていた。
これ、ウェブにもあるかな、とぐぐってみたら、図版や論文・解説が見つかるどころか、
ぜんぜん、オセアニア過去文化についての概説さえろくに見あたらないではないですか。ええー? オセアニアの考古学やミクロネシアの歴史に関する情報はめっちゃ少ないのですか!?

【印東道子 (イントウ ミチコ)】
ぐぐると、さしあたり印東道子氏の本ばかりが出てきた。
日本の「オセアニア考古学」を纏めているのは 国立民族学博物館の印東道子氏 なのだろうか。



『ミクロネシアを知るための58章』 エリア・スタディーズ 印東 道子 (編著) 明石書店 (2005/11)
『環境と資源利用の人類学 西太平洋諸島の生活と文化』 印東道子-編著 明石書店 2006/03
『オセアニア 暮らしの考古学』 印東 道子 (著) 朝日新聞社 (2002/11)
印東道子氏編著の「ミクロネシアを知るための58章」の書評に、「ミクロネシアについて知りたくて本を探したが、これくらいしかみつからなかった」との旨の一文があり、・・・マジにオセアニアやミクロネシアについての情報は少ないのか

・・・無いとなると、知りたくなるな。情報自体は無いわけじゃないんだから。研究者はいる。情報を出していないだけだ。見せてくれてない。
図を見たい。歴史の概略を見たい。見せてくれ。
上掲三冊、所在を確認。近日中にゲットしよう。

【石村智 (いしむら とも)】
今回の調べのきっかけは、石村智氏の論考なわけで。
●石村智氏の論考が載っている市販書籍は、冒頭の『土器の民族考古学』のほかには、下記一冊のみ、らしい。

石村 智 「適応としてのラピタ人の拡散戦略」
『国家形成の比較研究 (京都大学人文科学研究所共同研究報告) 』
前川 和也, 岡村 秀典 (編集)
學生社 (2005/05)
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●ほかに、こんな本もあるが、一般には出回っていない模様。
石村智「威信財システムからの脱却」
(所収:考古学研究会50周年記念論文集『文化の多様性と比較考古学』、2004)
●各種研究発表などの、石村氏論考の概説
2004年12月「Shock to the System: AD1300 event and social stratification in Oceania」
京都大学大学院文学研究科21世紀COE 「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成」 ニューズ・レター第7号
第14回研究会 王権とモニュメント
研究発表
石村 智氏(日本学術振興会特別研究員・京都大学)
Patrick Nunn(Department of Geography, University of the South Pacific)
オセアニア各地には、マラエやモアイといった石造モニュメントが分布し、その背景には階層化した首長制社会の存在が想定される。しかし、近年の年代の見直しによると、こうした建造物は比較的新しい時代、せいぜい1000年ほどしか遡らない頃に属することがわかってきた。本発表では、そうした推定にもとづいて、AD1300年頃に起こった気候変動が社会システムを大きく変えた可能性を指摘する。
えええっ。おもしろそうだ!
ごく最近は「ボウレワ遺跡」の研究がホットらしい。こちらのプロジェクトのヘッドは、現地「南太平洋大学」(なんかいい名前だね)のパトリック・ナン氏であるらしい。
考古学のおやつ/NEWSLINK
フィジー ボウレワ(Bourewa)で3000年前ごろの16体の人骨とラピタ土器(Lapita pottery)。フィジーの最初の定住の証拠示す。
2005/07 人民日報 3,000-year-old settlement found in Fiji
2005年11月 日本人類学会「フィジー・ボウレワ遺跡におけるラピタ人骨の発見」
石村智、パトリック・ナン、ロゼリン・クマール、セペチ・マタラランバ
フィジー諸島共和国ビチレブ島のボウレワ遺跡における考古学調査(2005年6〜7月)において、16体もの人骨が発掘された。本遺跡はラピタ人(南太平洋に最初に植民したグループ)の居住遺跡(貝塚遺跡)であり、周辺地域でも最古(およそ3200年前)の遺跡であることがわかっている。これまでラピタ人の人骨の出土例はきわめて少なく、その実体についてはほとんどわからなかった。今回の発見により、形質人類学的なラピタ人の理解がおおきく前進することはいうまでもなく、さらに彼らの埋葬方法についても多大な知見をえることができるだろう。
2006年11月「フィジーにおけるラピタ人の拡散―「ポリネシア行き急行」仮説をめぐって」
日本人類学会
石村智、パトリック・ナン、ロゼリン・クマール、セペチ・マタラランバ
フィジー・ボウレワ遺跡の発掘成果によって、これまでのラピタ人およびオセアニア先史時代の理解がおおきく進展した。ボウレワ遺跡ではこの地域におけるこれまでの最古年代を数百年さかのぼる紀元前1200年という年代がしめされ、さらに4000キロもはなれたビスマルク諸島産の黒曜石もみつかった。こうした事実から、ボウレワ遺跡はラピタ人の創始者集団によって直接植民された集落であるとかんがえられ、ラピタ人の拡散は漸移的なものではなく、いっきに数千キロの遠距離航海によってなしとげられたことが想定される。
ほおおおお。ごく最近、ボウレワ遺跡の発掘によって大きな展開が見られているんだね。
しかし「フィジー・ボウレワ遺跡」でぐぐっても、日本語サイトには、これ以上は情報がないんですが。

英語圏では、パトリック・ナン先生のサイトに「Fiji Bourewa(フィジー・ボウレワ遺跡)」の発掘写真がある。
2003年くらいから掘りだしているらしい。今世紀の新しい展開なわけだ。
最新ニュースは今年のこれだったのかな。
2007/01 南太平洋大学 The Largest Excavation of a Lapita-Era (1100-550 BC) Settlement in the Pacific Islands
「ラピタ時代(1100-550 BC)の定住地で、最大規模の発掘を行いました」
写真あり

【ラピタ人の顔】
●ボウレワのではないけれど、古代ラピタ女性の顔は再現されています
2005/08 Mana - the true face of Lapita The University of the South Pacific
The reconstructed face of Mana - the 3000 year old woman from Fiji.
3000年前のフィジー女性「マナ」の顔を再現。写真あり
これは、2002年にモトゥリキ島(Island of Moturiki)のナイタバレ(Naitabale)で発掘された人骨を元に、京都大学の霊長類研究所で復顔された物だそうです。
復顔にたずさわったのは京大の 片山一道氏。日本でやった、だのに、日本のサイト上にマナの復顔画像は全然見つからないぞ。関連テキストも僅少だ。オセアニア研究は不遇をかこっている?
おまけ:
ポリネシアの大足:somatometricなトンガ人調査 〜 日本人類学会報

そのほか:
沖縄デジタルアーカイブ オーストロネシア語族とラピタ人
3600年前に出現し、高度な技術「ラピタ土器」を残したラピタ人はアジア人とポリネシア人をつなぐミッシング・リング
篠遠博士の説によるポリネシア人類の拡散 その地図
太平洋総合講座 第1回やしの実大学報告書 記念講演
篠遠喜彦「ポリネシア考古学 ハワイ人のルーツを探る」
●どうも情報を概観しにくいのは、これらが「ポリネシア考古学」だの、「ミクロネシア考古学」だの、「オセアニア考古学」、「ラピタ人」、などなど、相互にかぶる範囲をばらばらに思い思いの多様な呼称でやってしまっているのが原因なのかな。
もしくは、太平洋の島嶼方面については、考古学研究はもともと世界的にしょぼしょぼでそんなに情報はございませんよ ということなんだろうか。もしかしたら、ちょっと腰を入れて調べさえすれば、もっともっとフロレス人のようなギョッとする遺物がぼこぼこ出てきてしまったりするんだろうか。

●最近拾った太平洋諸島がらみの記事:
2007/10 EurekAlert Environmental setting of human migrations in the circum-Pacific Region
環太平洋領域におけるヒト渡りの環境セッティング
環境考古学的なデータは、遺伝子の証拠に基づく「南の海岸のルートを通して東アジアに移動した」仮説を支持する2007/09 【日本語記事】Science日本版
古代ポリネシアの長距離旅行
2007/09 news@nature.com
Stone tool reveals lengthy Polynesian voyage
東南ポリネシアの長距離航海
石器の手斧は、はるばるハワイ〜タヒチの間で1000年前に双方向の交易が行われていた証拠
Adzes form the first hard evidence of two-way travel between Hawaii and Tahiti.
ツアモツ諸島(Tuamotu)のサンゴ環礁で発見された玄武岩製木工具の「元素」を調査
2007/09 National Geographic Early Polynesians Sailed Thousands of Miles for Trade
2007/09 National Geographic Photo Gallery: Early Polynesians Sailed Vast Distances
写真ギャラリー:初期のポリネシア人は、取引において何千マイルもの交易航海をした2500年以上前、ラピタ土器の不思議な顔は、どうやらウミガメさんのお顔だったらしい
2006/12 EurekAlert Field Museum scientists solve riddle of mysterious faces on South Pacific artifacts

【オセアニア大航海展】
いまちょうど、大阪でオセアニア考古学の博物館展示やってます。いいですねぇ、見に行きたいですね。
2007年9月13日[木]〜12月11日[火]
国立民族学博物館からは、新刊でこんな書籍も。
『オセアニア 海の人類大移動』 国立民族学博物館 編 昭和堂 2007/10新しい展開がまとめてあるのかな。気になるのです。
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