
最近見た中では、すました教育者が多めの 「赤ちゃん学会シンポジウム」よりもさらにフォーマルというか、「背広度」が高かったかもしれない。
「防災」なので、行政やお役所関係のおじさんが多かったのかな。女性はほとんどいなかった。わずかに片手でおさまるほど?
つい先だっての日本地質学会に伴う「地質情報展」には、チェックのシャツにバックパックで奇天烈テンションのオタク系おじさんがたくさんいらしていたのだけれど、もしかしたら、地質・地形没頭系の人材と、火山・防災施策系の人材とでは、だいぶタイプが違ってくる部分があるのだろうか。
以下、『日本自然災害学会:札幌オープンフォーラム』のときのメモ書き+アルファ。
岡田弘氏と片田教授の活躍がナイスだった。

... 以下つづき...



●最初、北大の林さんが司会としてご挨拶なさったの・・・かな、プログラムに名前がない。
●自然災害学会の会長は京大の岡田氏。
・・・? 岡ちゃん先生の親戚? こちらもプログラムに名前がない。

●基調講演その1 北大名誉教授の鏡味洋史氏。
「1993年 北海道南西沖地震を振り返って」
やや眠気を誘われる。

【基調講演その2 岡田弘氏】
「30年前の有珠山噴火は何をもたらしたか? 自然直視の30年の減災の歩み」
思いきり食いつきで話を聞いた。面白い。
別の日に話をされたジオパーク構想がらみの部分は別のエントリに記しておいた。
以下は「減災(げんさい:災害の被害を少なくする努力)」についての岡ちゃん。
導入は内閣府シリーズ報告書 2007十勝岳

かつて、1631年12.16にベスビオ(ヴェスヴィオ)火山の噴火でたくさんの死者が出た。
その被災後わずか一カ月の1632年01.16に、「避難しろ」という叫びにも関わらず家財を惜しんで逃げ遅れ死んだ者たちを悼んで、「とにかく逃げろ」の旨の追悼の碑が作られ、今もイタリアの街を見下ろしている。
で、国際火山学会 世界火山都市会議が、その追悼の文字盤がある街で開かれましたというエピソード。
1910 飯田山(熊本阿蘇?)の噴火の際、警察署長が避難指示を出した
警察署長は大森先生からプレー火山のことを警察学校で学んでいた、そのおかげ
1944 戦時中、前に大森先生に学んだ郵便局の人が防災に活躍する
三松ダイヤグラムを作る
大森先生の火山防災への貢献
1977
2000 有珠噴火
大森先生というのは大森房吉氏のことらしい。
はい、この初心者はぐぐりながら講義を復習しております。
明治から昭和10年代にかけて,大森房吉や武者金吉らの手によって,史料中に残された日本の歴史時代の噴火記録
史料にもとづく日本の歴史噴火研究
「三松(みまつ)ダイヤグラム」は地殻変動を計測する手法であるらしい。
その手法で地殻変動のなまデータをゲットできたのは初めてのことだったのかな。
噴火三日前から開始 当日朝から 西は採れたが東は間に合わなかった

【過去の火山災害と防災の歴史を見ておこう】
1902 プレー火山 大森房吉が飯田山の警察署長に話し聞かせたアレだね
20世紀最大の火山災害 、県庁所在地が壊滅。
西インド諸島のマルティニーク島にあるプレ火山の大噴火の際、火砕流により麓のサンピエール市で28000人の死者が出た
失敗百選
1926 十勝岳「大正泥流」
●大正泥流
1926年5月に十勝岳が噴火。
熱で溶けた雪と火山噴出物が一気になだれくだり富良野の人々が呑み込んだ。
街が一瞬にしてガレキの泥沼に。 たくさんの死者を出した大災害。
大正泥流について
1960 チリ地震
1970 ペルー ワスカラン 大雪崩災害のあったユンガイの町
ユンガイは、1970年5月31日に起こったマグニチュード7・7の大地震によりワスカランの氷河が崩壊し、巨大な土石流で埋没し、住民二万人が死んだという、悲惨な災害に遭った町だ。 土石流で消えた町はそのままの状態で残され、別なところに新しく ...
アンデス紀行 1
1985 ネバドデルルイス火山の泥流が、23000人!をひと呑み。

プレー火山に次ぐ、20世紀2番目の大災害。
南米コロンビアのネバドデルルイス火山が噴火、発生した大泥流により25000人にもおよぶ死者が出た。
失敗百選-ネバドデルルイス火山の泥流災害(1985)
ネバドデルルイス
このネバドデルルイスに関しては、「どんな災害がどこに起きるか予想していたとおりに災害が起きて多数の死者が出た!」「予想を現地の人が把握していなかった!」「見殺しか!」 防災上、たいへんなトラウマを残してしまったらしい。
これで十勝がびっくり。
ネバドデルルイスの災害は「大正泥流」とそっくりじゃないか! あっちは被害範囲が予測できていたのか!! 予測さえあれば、あの悪夢のような火山災害は防げるぞ!
で、地元は北大にハザードマップの作成を依頼する。
無事な例は悲惨な事件より報道されにくいのであまり知られていないけれど、ネバドデルルイス以降、災害を予測して事前に避難にすることに成功した例は格段に多くなっている。
1984 インドネシアのチョロ火山 全島避難 7000人
1988 インドネシア キイベシ島 全島13000人避難
1988 日本でもハザードマップを作り始める
1991 フィリピン・ピナツボ火山の大爆発! 避難にハザードマップが使われ20000人が救われた

この、ネバドデルルイス被災前・被災後の数字の差はすごいよね。
それでも世界中すべてが足並みそろいきっていたわけではない。
1992年になっても、日本国内にはまだ「災害予想は住民に見せないように」とおびえる行政担当者(町長?)が実在なさっていたとのこと。
しかし、奥尻は、あれでも救われているのだそうだ。さかのぼること10年前の1983年に大きな被害を出した「日本海中部地震(津波)」、その経験を元にした津波対策が施されていたから・・・それがなかったら、もっともっととんでもない災害になっていた。

疑問:しかし、災害は、想定を超えるからこそ災害になるんだよね。(トートロジーだけど)
1983年日本海中部地震での経験から推した想定を超えていたから、1993年の奥尻の被害になった。そして奥尻には、新たに大金を投じて1993年の経験を元に想定をした津波対策が施された。
その、「これまでの経験を想定して大金を」というのはやめないか? 想定を超えることを想定して工事したのか? アンダマンから学ぶことは何かないのだろうか。

復習用リンクメモ:
「ラハール」:火山泥流(かざんでいりゅう)とも呼ばれる。1919年、インドネシアのケルート山の噴火で初めて科学的に調査され、現地語から命名された。
ラハール - ウィキ
過去600年で15000人以上の犠牲者を出しているケルート火山
第2回CCOP火山災害軽減のための野外ワークショップ 〜高田 亮
ケルート火山:火口湖の湖水が噴火の際にあふれ出すことにより, ラハール(火山性の土石流)が発生
インドネシア火山観測2004

【日本の転換点は雲仙だった】

勝井義雄氏が、過去の被害を確認せねばならないぞと1822年、1853年の洞爺湖周辺における噴火被害の範囲図を作成する。
当時、その被害範囲図は一般市民には公開されず、シークレット扱いだった。

が、実際は苦情は全然来なかったんだよ。
すでに時代は変わっていたのだ。
1992年の一年前。雲仙普賢岳(うんぜんふげんだけ)の悲劇が起きていた。日本中に、火山で何が起きるのか、どんなに悲惨なことが起きうるのか、そしてそれがどう予想できるのかが、知れ渡っていた。
ショッキングすぎるので注意!雲仙エポック。危険予測を隠そうとする腰抜けの風潮は一掃された。
1994年。 すでにこの世にタブーなし。 災害予想はオープンに。
虻田、壮瞥、洞爺(あぶた、そうべつ、とうや) 有珠山の地元3町がそろいぶみで防災対策に動き出す。
2000年の有珠山噴火の前には、各国の火山防災運動とのつながりもできていた。
有珠は、噴火の当日、緊急警戒情報が流れる前に地元が自発的に避難に動くほどに、防災の運気が熟していた。
2000年。三宅島噴煙の高さ5kmとの報告でありながら、実際は13.5kmもの超高度にまであっというまに噴煙は立ち上がる。 飛行機ヤバヤバだったという事実。
2004年。防災がダメダメだったインド洋大津波の悲劇。
太平洋側は
・1946年 アリューシャン地震
・1960年 チリ地震
などの悲惨な経験から広範囲の地震〜津波警戒システムが構築されていた。
インド洋で地震が発生したとき、津波を予測できるシステムはインド洋には存在していなかった。21世紀だったのに。わずかに、太平洋ハワイの観測所が「インド洋で地震が発生、津波が予測される」と通告を出したのだが、それさえも「被災が予測される現場に情報を伝えるシステムが存在しなかった」。
システムがないとダメなのだ。
そして、
以上、基調講演その2 岡田弘氏「30年前の有珠山噴火は何をもたらしたか? 自然直視の30年の減災の歩み」。
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