という話のつづきで、ここでは北海道西部の奥尻島のようすについて。
2007年09月24日、札幌で上記表題の「第26回日本自然災害学会オープン・フォーラム」が開かれた。
その中で、 佐々木貴子氏が、奥尻島の防災対策とその現状について、簡単に報告なさっていた。その「orz」感を伴う報告に、思わずここに独立してエントリをこさえてみるのだった。
北海道南西沖地震による奥尻島の津波 〜JST失敗知識データベース
断層運動に伴った地殻変動により、奥尻島は20cmから80cmも沈降し、さらに西へ1-2m移動した。
リンク先は、近いうちに廃止されるかもしれないというウワサの 『科学技術振興機構(JST)』ですね。 この失敗知識データベースも閉鎖されるのかな!?
奥尻観光協会
奥尻島復興への軌跡
平成5年「北海道南西沖地震」の地震、津波、火災により198名もの尊い命が犠牲となりました。
奥尻島は震災発生から5年後の平成10年3月に「完全復興宣言」をいたしました。
防潮堤や津波水門、人口地盤、避難路など津波に対する防災対策を行いました。
地震発生後、いち早く高台に避難できるように青苗漁港に人工地盤を整備。
各地区に避難路を多数整備いたしました。
目に見えて安全感をそそる大きな対策が施された。
「安全感」。
残念なことに、その安全感が、奥尻島に暗い影を落としはじめているんだそうな。
... 以下つづき...

まず奥尻町ではどんな防災対策がなされたのか見ておこう。

【奥尻島に投入された設備】
災害があったのは、平成5年(1993年)の夏。
★「地震対策」
全世帯に非常袋やヘルメット、防災ハンドブックなどを配布、は 平成6年。
★「防災無線改修」は 平成7年 。
★「新校舎」
地震で壊れた青苗小学校を、ピロティ構造(津波対策の高床式)に改築したのも平成7年(1995年) 。
★「津波水門」
震度5の揺れを検知すると1分間非常放送を流した後に自動的に河口ゲートが閉まる。 平成7年完成
★「防潮堤」
平成8年完成(工事中の写真あり) 。この巨大な塗り壁(全長14km)をこさえるのに 350億円投入した んだそうな。
★「青苗人工地盤」
港に作った巨大な天井。何かあったときに逃げ上がるための巨大な建造物なのだそうだが、ふだんは使い道なし。平成12年(2000年)の完成。 〜
★「奥尻島津波館」
平成13年(2001年)の完成。
★「避難路」
避難路(津波を避けて高台に上がるための道)は、完成がいつだったのかは拾いきれなかったけれど、島内に42カ所も設置された。

そんなこんなの、災害直後から、奥尻にはものすごい量の災害対策施設がてんこ盛りに造成されたわけだ。
急速大量施工で再生した港 〜社団法人日本埋立浚渫協会
奥尻島主要3港(奥尻港、青苗漁港、神威脇漁港)の本格的な復旧工事は、平成6年1月から開始され、翌7年の3月までにすべて終了した。通常の予算規模では7〜8年分にあたる工事量をわずか1年あまりで終えたことになる。そして平成10年3月、奥尻島は『完全復興』を宣言する。
「7〜8年分にあたる工事量をわずか1年あまりで」。

怒涛の「完成」オンパレード。 加えて『完全復興』宣言。
行政側や、対外的には「すばらしい機動力、企画力」みたいなホメコトバ系で語られ、モデルケースとして讃えられることが多いようだけれど、内実には、それとはなんぼか違う不満感もあったりするらしい。
奥尻島の風景 〜フリーライターいしいこじろう
巨大な防潮壁。これに対する島民の評判は、はっきり言って悪かったですね。土建屋さんを儲けさせただけですし。
万が一のための機能と、ふだんの暮らしの折り合いがついていない、暮らし感を損なってしまっている。
それだけなら、まあ、「過去にそんなことがありましたね、ちょっとみっともなかったかな、でも未来のためなんだし」で済むのだけれど、冒頭にあげた「第26回日本自然災害学会オープン・フォーラム」での佐々木貴子氏報告によれば、復興工事が一段落して何年も経った今、それら防災施設の一部が・・・どうやらなさけなぁいことになりはじめているらしい。

【今は、もう、動かない】
大金を投じて、島内42カ所に設けられた立派な避難路。
写真あり奥尻島 高台への避難路 〜フリーライターいしいこじろう
津波の被害が大きかった奥尻島。こうした避難路も集落の裏手にありました。
写真あり奥尻町の津波対策
●避難路
ドーム式で内部にスロープを設置したタイプも含め、町内に計42箇所の避難路を整備。
避難路の入り口には視認性の良い看板を設置し、夜間には太陽電池で点滅表示することから、住民の避難の際の目印となっています。
これ、避難路の入口に、夜も年中光って目立ってくれる立派なハイテク標識がしつらえられたのがウリだった。
それが、『完全復興』宣言から7年経った今、佐々木貴子氏が見に行ったらば、
壊れていて光ってない
…あかんやん!

標識だけじゃない。
夜間に光を発して浮かび上がる「足元灯」が十カ所も設置されているというスグレモノ避難路を見に行ったらば、「足元灯」十カ所のうち9カ所は破壊されて跡形無し、形が残った一個も壊れていて光ってません。
さらには、立派に整備された避難路自体が、草やヤブにおおわれて「これ避難路?」状態になっているケースも。
要は、避難路の「維持管理」がされてない。
住民から放置されてしまっている!?
万が一のための機能と、ふだんの暮らしの折り合いがついていない?
行政が作ったものは、住民の管轄ではない扱いなのか??
42カ所のすべてが放置されているわけではなく、住民個人が 花壇を設けて管理している元気な避難路もある。しかし、設計当時の機能をキープできている避難路の割合はどのくらいなんだろう。
で、フォーラムでは研究者のほかに、防災関係のお役所の方も列席なさっていたわけで、研究者側から問いかけがなされる。
「作るときはエイヤッと景気いいけれど、どうして後のメンテナンスができていないんでしょう?」
その質問をふられて応えてくれた役人さんのセリフに、ちょっと
になっちまったんですが、お答えなさったのは、北海道建設部土木局河川課長の西尾正巳氏。
大意:作るときはいっせいにみんな力入れてすごいことやるんですけどね。維持管理はなかなか。いや、あと数年待ってくれれば、そのうちみんな「維持管理、維持管理」と言い出すようになると思いますよ。今はダメですね。(なんかこんな答だったと思う)
すこぶる軽い、悪びれないノリであっさりこんな回答をされてしまって、まあ、避難路の直担当のお役人ではない治水部門の人間だからという気軽さからだったのかもしれないけれど、少し「開いた口…」状態にされてしまった。
今は「維持管理」はワリの合わない仕事になるので嫌われて放置されがちだけれども、そのうち風が変わって維持管理がもてはやされるようになる…???
西尾正巳氏は、北海道各地の泥流対策、砂防事業などの治水を締めるお偉いさんです。
もしかして、ほんとうに「今後猫も杓子も維持管理、維持管理と言い出す」そんな気配がある、感じている、と言うのであれば、それはそれでまた大変面白くも希望が持てるわけだけれども。でも土建の知人にいわせれば「そんなのありえない」…?
「今後猫も杓子も維持管理、維持管理と言い出す」見込みは実際あるんだろうか。そのあたりもう少し聞かせて欲しかった。

維持管理・・・
めったにない災害に対する備えなのに、長期にわたるであろう維持管理のことを考ずにぱっぱと急いで設計をしてしまったのかな??? それとも行政が、財政難から維持管理の発注を渋ってしまっただけ?(いや、これにしても今後の財政を読めていない維持管理設計をされた、とみなせてしまうか)
維持管理をされぬまま、すぐに壊れていく設備たち。
長期間の持続可能性を考えない瞬発力、火事場の馬鹿力だけでこさえた防災計画、一時の知恵熱がこさえたバブル防災。はた目にはそんな風に見えてくる。
フォーラムのパネリストからは、「避難施設は、ふだんから使ってもらえるような設計にしておかないと、放置されてダメになるよね」と、しごく当然な感想も出るわけで。
めったにない災害に対する備えを、大規模な工事を、それこの機会にと、わずか一年以内に急いでごちゃっとやってしまう必要はあったんだろうか。もっと「観光機能と合体させる/日常の使い勝手を採り入れる」ような、デザインの案配を深めるような余裕は考えられなかったんだろうか。
急にスゴイ予算が出たぞ、ここは全力をかけて金を吸い取らなければ! そんな利権の力学に振りちぎられてしまったんだろうか。

【安心感から油断する】
佐々木貴子氏は、奥尻についてもう一つ怖い話をなさっていた。
住民の防災意識が下がってきているのではないかと。それも、大変手厚い防災行政が原因で。
住民に話を聞くと「万が一、何かがあっても自衛隊や内地の人がいっぱい来ていろいろやってくれるから大丈夫」。そんな答が返ってくることがあるのだそうだ。
もしくは「あんな立派な防潮堤や水門ができたから大丈夫」。
…防潮堤はものすごいボリュームだ。
奥尻島 防潮堤 〜フリーライターいしいこじろう
海を眺めて暮らす漁民を海と分離しています。海を眺めて暮らすこともできません。
1995年の津波の高さから割り出して設計されたようなのだが、万が一、これを超える高さの津波災害に見舞われた場合、陸側に入り込んだ海水はどこから排水されるんだろう…?
まあ、いろいろ細かい「知りたいな」がわいてくるけど、それはそれとして、
災害のインパクトも大きかったけれども、復興に押し寄せた金と人のパワーのインパクトもすごかったらしい。
災害は怖いけれど、こんなにすんごい対策をされたから「もう大丈夫」。
そんな方向に流れてしまっていいのかな。
「安全感」がアップすると、危険に備える努力をさぼってしまう。そんな人心の機序。
「一人ひとりの命を本当に救おうと思ったら奥尻級の工事をしなくてはいけない」奥尻に欧米メディア注目「津波対策 最先端の島」 〜 2005年 日本地震情報研究会
奥尻級の工事?

「工事で安心できればいい」。
そんな心理を与える対策を施してしまって、いいのか。
「奥尻島津波館」
後世に伝えるために「奥尻島津波館」は建設された。
その役割は「風化させないで語り継ぐこと」と館長の山内脩介氏は言い切る。
2005年共同通信: 注目集める奥尻の津波対策
「どれだけハード面を整備しても、絶対ではない。大事なのは個人の危機管理」
九五年に新築した際、津波対策として一階をピロティ(空間部)構造にした青苗小学校。ここでは、災害時にすぐにかぶって逃げられるようにと、ヘルメットは常にロッカーの上に置いてある。年に三回の避難訓練のほか、各学級で家族との約束事を確認している。
家庭の対策も万全だ。防災無線、防災ハンドブックのほか、人数分のヘルメット、非常食や救急用具の入った避難袋を全世帯が常備している。
これらの言葉をウソにしないためには。
各家庭の避難袋が忘れ去られて中身がダメになっていくことを防ぐには。

インド洋大津波のとき、いにしえからアンダマンに暮らしていた現地民達は
「地面が揺れると、地面が水に変化して死者の世界が訪れる!」
という言い伝えに従って高台に逃れ、震源地間近でありながら、ほとんどが助かっている。自分の世代で津波を経験したことがなくても、祖先がサバイバルのための世界観を伝承してくれていた。
アンダマンの旧来の暮らしは、災害後にお金や工事をかけまくらなくてもすぐに回復された。そういう回復力の高い島の暮らしを昔からしてきていた。アンダマンで復旧が遅れたのは、近代にヨソから持ち込まれた大げさな施設ばかりであり、もとより旧来の島民はそれら施設をあまり使っていなかった。
絶対的に効果的な防災対策を、個々人に徹底するには。
奥尻の現地の人的にはどうなんだろう。
防災に関して過信してしまっているような自覚というか、そんな気配を感じることはあるんだろうか。

【佐々木貴子准教授】
●佐々木貴子:札幌教育大学札幌校准教授
災害図上訓練(DIG)教育研究活動のプロフェッショナル。
精力的にあちこちに出かけて、地元へのDIGの紹介と防災訓練の推進を図っていなさります。
静岡県災害図上訓練DIG DIGってなあに?
DIG(ディグ)は、参加者が地図を使って防災対策を検討する訓練です。
災害図上訓練= DIG ディグ
Disaster Imagination Game 災害想像力ゲーム
北海道的には、真冬に災害に見舞われたら超死亡率アップです。マジ怖。

「防災が当たり前」の感覚が大事。
訓練あってこそ、備えあってこその、防災。
そこを、佐々木貴子氏は刷り込まれて育った。
防災の大事さが身に染みているからこそ、ものすごい回数の災害図上訓練(DIG)を各地で開催なさっているのであり、奥尻の「防災意識のかげり」が気がかりになるのであり。
大事なのは子供時代。
人間の中にどんな世界観や倫理観が形成されるか、小学校卒業までの時期が肝心だぞということについては、これまでにも何度か。
フォーラムのシンポジウムで、岡田弘先生はティリー・スミスちゃんの名前を出しておられた。
「ツナミよ」英人少女の叫びがタイで人命救う
地理の授業で津波を学んだばかりの10歳のイギリス人少女 ティリー・スミスちゃんが、インド洋の地震の際に海の異常を目の当たりにして「津波が来る!」と叫び、みなを避難させておおぜいの命を救った
「自分の知識はこの世で有効なものである」という実感は、大事だね。

![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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