学際に奔走する佐倉統氏。
5年ちょい前になるのかな、今回とよく似たセッティングのシンポがあった。
エアドゥ日帰りで見に行った。
…これだったかな。もううろ覚えだが。
第3回 人間行動進化学研究会 研究発表会 2001.12.16 東京大学・駒場キャンパス 公開パネルシンポジウム「正しく測るとはどういうことか?」
話題提供者 重田園江/大野 裕
討論者:森岡正博・安藤寿康
司会 : 松原洋子・佐倉統
司会に 佐倉統さん。
パネリストの一人に、 安藤寿康氏。
今回の札幌
に構図がよく似ている。
5年前の公開パネルシンポジウム「正しく測るとはどういうことか?」は、生命倫理のお方々と、行動遺伝の安藤さんをとりあわせて、研究結果が世間に及ぼす影響についての「倫理」を語り合う(はずの)場所だった。
まず安藤氏からの行動遺伝研究話、ついで松原氏の遺伝研究とその倫理について話、そして、そののちに討論の場が持たれた。
個人論説の枠。
いきなり安藤氏は
・自分の行動遺伝研究は、かねがね世間や異分野からの
理不尽なツッコミにさいなまれている
・ 『DNA伝説』などただのトンデモ本だ
・理解しない、誤解している世間が悪い
の方向に一人でやたらヒートアップなさりまくり、威勢よく持ち時間オーバー。
そのあとの生命倫理・松原さんたちとの討論においても、安藤氏は「何が製造者責任じゃ」みたいなものすごとんちんかんなリアクションを繰り返して、被害者意識というか、依怙地に聞く耳持たずのとりつく島もなし水と油状態。最後に残ったのは荒い鼻息だけ、みたいな。
... 以下つづき...

そんな印象を私は強く受けた。
(その後、メーリングリストにおいてもかなりはねっかえるリアクションで交信困難。)
シンポの司会・佐倉さん(コーディネーターも兼ねていたのかな)は、この展開になにができるでもなく「滞りなく時間をこなす」だけで手一杯だったような…そんなうろおぼえ。(違ってたらごめん、なにぶん昔の話)

そして、5年後の今回。
佐倉さんは格段にスキルアップしていた。
余裕で人と発言をさばいていく。
クセのあるパネラーの面々、とんちんかん込みのピンキリの発言者を、すべからく「尊重」の上でちゃんちゃんと収めていく。
安藤氏は、かつてのような依怙地攻撃でふんばるのではなく、逆に背を向けて「丸投げ」を決め込むことを覚えてしまっていた。
”自分はデータを出す、データの判断は世間や異分野にまかせます”
どっちにしろ「倫理問題を深く考えたくない」という点は一貫なさっているのだが。

安藤さんのどこがどう、まずいのか。
研究内容が問題なのではないのです。
内容ではなく、安藤さんの姿勢が、怖いのです。
世間を理解しようとしない、世間を理解する必要がない、とシャットアウトをなさるその姿勢が、見ていてたいへんもどかしいのです。
なにが問題なのかを分析しようとしていないその姿勢が、怖いんです。
2005年、安藤さんの 「行動遺伝学の正義」 。
倫理を云々する際に、「正義」をいう言葉を看板に掲げてしまうという、その感覚の致命的なズレ。
根本的に、なにか違ってしまっています。
安藤さんが正義じゃない、という話ではない。
安藤さんは正義ですよ。
でも正義は安藤さんだけじゃない。
どっちも、どちらさんも、自分側から見れば「自分が正義」なんですよ。
そこに、倫理の問題に、「正義」を掲げてしまうような非相対的な「自分側基準のみ」思考を臆面もなく前に出してしまうようじゃ、なにも解決はしやしない。倫理問題は、それぞれの「正義」がぶつかったところにこそ、生じるものなのだから。

●明日のために:その1 問題点を見直す
なすべきことは、自分の研究はどこがどう問題だと思われうるのか、それをすべて細大漏らさずリストアップすること。
自分がみなす「こう思われているはず」ではない。
実際に、「自分の研究はどこがどう問題だと思われうるのか」を異分野の人々に問いかけ、具体的に教えてもらうべき。
自分はなにを勘違いしていたのか、そこを把握しきるまでに安藤さんが行けるかどうかは心もとないけれど、なんでもいい、調査はやってみて欲しい。
誰が悪いのでもない、ただどんな誤解が生じうるのかを把握する。
●明日のために:その2 シミュレーションをしつくす
「自分の研究はどこがどう問題だと思われうるのか」それを、なしうるかぎりリストアップできたなら。
次は、それら問題点を指摘されたときに、どう回答すればベストなのかを詳細に検討する、シミュレーションしまくる。
問題点を指摘されたときに、拒否を返してはダメ。
佐倉さんを見習おう。
まず相手の意向を立てる、尊重する。そして、どう解釈すればいいか、どうすれば解決するのか、よりよい道を示す/もしくは示してくれ教えてくれと依頼する。相手を自分との協力関係に巻き込むように持っていく。
問題点を指摘されたときには、「自分は問題点を理解している」ことをアピールする。
「問題はわからないからそっちで考えてくれ」ではダメ、見返りがないままの拒否になる。
(だから「兵器の製造責任」みたいなツッコミをされるわけだし)
どう答えれば、相手の心に最善の効果を残すのかをシミュレーションしまくる。
自分はこのように問題点を理解していて、それが今後どのようになりうるかは、このように考えを尽くしています、と、明示してあげる。
例えば「成人後は遺伝の影響が大きい」と出ているとしても、「そんなはずはない、そんなばかな」とリアクションしそうな層には、「早生まれの子が、成績の悪さを成人後まで引きずってしまう予言成就効果があるように、遺伝がすべてではありません」と言い添える。
例えば「優生学につながって」と危惧する層には、「考えて下さい」ではなく「自分がやらなくても行動遺伝学の結果は出てしまいます。昨今さまざまな生殖医療も登場してきていますし、今後どのような展開がありえて、どのような対策をなしうるのか、ぜひ教えて下さい」。
さらに、巷に出回っているSFにはどのようなアスペクトが含まれているのか、めざとくチェックをしておく、学生に教えてもらう。既存の作品はシミュレーションの宝庫であると同時に、そのような物語が授受されうる言説環境が巷には存在しているという指標になる。
シミュレーションしないよりは、したほうが絶対トク。つっこまれ慣れて、どんな疑問にも「おとしどころ」を返せる技を身につければ無敵。
●明日のために:その3
自分が出す研究結果から一歩距離を置くこと。もしくは冷めた目で自分を見ることを覚えよう。
自分の立場中心にばかり考えるから、今のよくわからない依怙地状態が発生しているわけで。
客観性を取り戻そう。
出したデータと、自分の立場は、別物。そこを忘れると、分野の性質からしてけっこうヤバイ。
「成人後は遺伝の影響が大きい」というデータと、「成人後は遺伝の影響が大きいかどうか」という自分の意見は、いっしょくたにせずべっこに扱おう。
べっこにできていないと、データへのツッコミを受けたときに感情的になりやすくなってしまう。
人の心はリスクファクターのウェイトを見誤りやすい。
そこを利用した、ウソとは言いきれない微妙な言い回し(例えば上の予言成就効果など)も、データと自分を別扱いしていれば駆使しやすくなる。
5年前のプロミン。
プロミン(行動遺伝学者)から心理学者の皆さんへのお願い
遺伝子研究の進展に重々備えてくれ 利点を最大に引き出し、弊害を最小に抑えるべし
2001/04 Psychologist Vol. 14 No. 3; p. 134 Genetics and behaviour
ROBERT PLOMIN argues that psychologists should prepare to maximise the benefits and minimise the risks that will emerge from DNA research.

ん… 安藤氏も佐倉さんも、自分とだいたい同い年くらいかなぁ。同世代?
まあね、行動遺伝学側だけに限ったことではない。
行動遺伝相手にツッコミを入れる人も入れない人も、それぞれに部外者さんがたとて、ズレている部分はあるわけで。
聞く耳持たずにハナから決めつけてくる人もいるし。
その彼らさえをも、うまくあしらうことができるすべは、ほかの心理学徒が知っている。教えてもらおう。
「正義」からはいったん距離を置いて、ありうべき可能性をシミュレーションし尽くす。
いうはやすし、おこなうはかたし。
こんな勝手な無知蒙昧ごとを図々しく書くから私は嫌われるのです。
2007/03 ・『脳神経科学と倫理ワークショップ:赤ちゃんの脳、子どもの脳』
2007/03 ・『脳研究の倫理はどこへ行った?』

![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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