手話で増える聴覚障害者 手話の普及でデフどうしの婚姻が増えたから
2004/04 BBC News Sign language 'link to deafness rates'
この記事を取り上げるのは難しいと感じた。
難しい、周到に説明するのがしんどい。
「ろう文化」という言葉を聞いたことがある人は日本にどのくらいいるのだろうか。
障害を持つ人々には「独自の文化がある」という話を聞いたことがある人はどのくらいいるのだろうか。
「デフ」や「ろう文化」を知っている人にはこのニュースはとても喜ばしい知らせ。
が。
「障害を持つ人々の独自の文化」という観点を知らない人がこのニュースを見聞きした場合、ごくフツーに「それは大変だ」とリアクションしてくれそうで、それはものすごく悲しい事態であるわけで、そう思うと「この記事は取り上げておくべきだ」と思いつつ、どう付記注釈すべきかけっこう筆が重い。

昔、知りあった人がボランティアを目指して手話を習っているというので、「聴覚障害を持つ人たちは独自の文化を持つ人たちだとみなしうるんだよ」という観点を紹介したところ、「恐い」というリアクションを返してくれた。
「恐い」。
違う文化の人だと思うと、「仲間じゃないような気がして恐い」のだそうだ。
「仲間じゃないような気がして恐い」という感覚、それは何なのか。
同じ文化なら仲間なのか。
文化が異なるとそれは仲間ではなく不可解な他者なのか。
そこには同じ仲間ならボランティアで助けたいという感覚がひそんではいないか。
そこには私のような健常者になりたいと思っている人=私と同じ文化&価値観の人が、私のような健常者になれなくて困っているから助けてあげるという考え方がひそんではいないか。
つまり、ボランティアの対象をあなたの価値観で一方的に哀れんではないか。
... 以下つづき...

すべての人間をデフォルトで「私と同じようになりたいと思っている」とみなすのは。
障害を持つ人をデフォルトで「健常者未満」とみなしてはいないか?
例えばヨソの国の人。
デフォルトで「日本人と同じようになりたいと思っている」とみなしたらこれすごい失礼。
デフォルトで「日本人未満」とみなすなんてちょっと言語道断。
健常者は自分の状態が当たり前でベストなのだと思い込みがち。
その思いこみはヨソでは通じないということがなかなか健常者には見えづらい、わかってもらいづらい。
先天的障害者は、健常者未満どころか、健常者より自分の状態のほうが当たり前でベストなのだと充分誇りうるのに、健常者側から一方的に価値観を押しつけられ「障害で苦しんでいる人なのだ」とレッテルをまず貼られること多々。
価値観を反転すれば健常者のほうがヘンで奇怪な存在であって、障害を持つ身のほうが充分正当なものたりうる。
そこを想像しきれず
障害者を助けるのは
┣健常者になりきれないことがかわいそうだから世話する
┗半人前で未熟な能力だから援助する
と見なす、それはすなわち偏見や蔑視をはらんでいるのであり、相手のありようや独自性を尊重していない。
先天的障害者ではない健常者が、後天的に障害を負った場合、ショックを受けるのは「自分が健常者未満になった、健常者未満は劣った存在だ」と見なしていることが多分に原因にある。つまり、障害者に対して偏見を持っているからこそ、そういう形のショックを受ける。
どうせショックを受けるなら「自分が劣った世界に陥った」と思い込むショックよりは、「新しい異文化の世界に踏みいった」というカルチャーショックに変換してみないか。
障がいを持って生まれた人は自分の体の機能自体を不幸だとは思っていないことがほとんど。
まわりの目が被差別者を不幸におとしいれているのだ、障害者ではないあなたが障害を持つ人を不幸にさせているのだ、ということを忘れてはならない。
先天的に聴覚に障害を持つ人たちの間では、聴覚障害者独自の文化が育ってきている。
健常者がおのれを一番だとみなすように、日本人が日本を、九州人が九州を、男が男であることを一番だととかくみなすように、聴覚なしで生きる在り方に誇りを持ちそれが一番だと自信を持てる価値体系としての「ろう文化」。
聴覚なしで生きるひとつの文化に属する人間、そういう観点だから、「健常者未満」だの「半人前で未熟」だのという扱いで遇されることはとても失礼にあたる。
なぜ「か弱き障害者」なら助けたくて「異質な異文化の人」だと恐いと言うことになるのか。ここは厳に健常者側が省みておくべき点。
ヨソの国の人が日本で暮らそうとした場合、言葉が違うし文化が違うし価値観が違うし困難がテンコ盛り。通訳や異文化交渉をしてくれるボランティアがいてくれると大変助かる。
異国でらくに暮らせるよう手助けをしてあげる。
そういう観点で、異文化間コミュニケーションとして、障がい者とのつきあいを考えることはできないか。
おのれの異質性を「独自の文化」として誇っていこうとする動きはさまざまな場所・分野で起きている。
高機能自閉症者の相互コミュニティ、同性愛の文化コミュニティ、ADHDやLDの互助会…。
日本はもうすぐ高齢者だらけの国になる。
もうすぐ、そこいらじゅうに障害を持つ人がいるようになる。
価値観の反転。
障害を尊重するようなさまざまな独自文化が発達してくれれば、我々の未来のありようもより安心できるものになる。
●冒頭の「手話で増える聴覚障害者」記事:
昔に比べて手話の普及もあり
聴覚障害者同士の婚姻が容易になってきている関係で、
先天的に聴覚に障害のある子が産まれる率が
高まってきているという話。
聴覚を持たないことに誇りを感じるカップルは、産まれる子が親と同じように耳が聞こえない子であることを望むことが少なくない。
デフのあなたが欲しかったの
聴覚障害のカップル、耳の聞こえないデザイナーベビーを敢えて選択
2002/04 ★ Ananova Lesbian couple have designer deaf babies
2002/04 ★ BBC News Couple 'choose' to have deaf baby
2002/04 ★ BBC News Deaf designer baby - the issues
人のありようの多様性に伴って、聴覚不要の文化やツールが発達してくれることは、万人だれしも将来耳が遠くなるんだし、喜ばしいこと。
先天的聴覚障害者が増えることを夢怖れる事なかれ。言祝ぐべし。
怖れの源は偏見と無知にあり。
【ろう文化の入門にどうぞ 】
![]()
「アメリカのろう文化」 シャーマン・ウィルコックス編 明石書店 2001年(原書1989年)
「「ろう文化」案内」 キャロル・パッデン/トム・ハンフリ-ズ著 晶文社 2003年(原書:1988年/Deaf in America)
欧米の聴覚障害者が誇りを持って編み出した「ろう文化」、その入門に便利な2冊。
聴覚不要な人々が形作る新しい文化社会の認知・普及を目指そう。
・
「ろう文化」 現代思想編集部編 青土社 2000年
「ろう文化宣言」をはじめいろいろな濃い論考が読める。
・
「ヒトの本能ってなに?:心とからだの不思議」 正高信男著 清流出版 2000年
『誤解されている手話』という章が収録されている。
【聴覚障害への理解のなさ/「自然手話」の発生は本能の要求/小文字のdeafと大文字のDeaf/「口話」教育による理不尽な押しつけ/障害は文化であることの認識】という論展開。
聴覚障害者がすごく多くて島じゅうの人が手話をあたりまえに常用していたというマーサズ・ヴィンヤード島の話も登場する。
・
「みんなが手話で話した島」 ノーラ・エレン・グロース 佐野正信訳 築地書館 1991年(原書1985年)
そのマーサズ・ヴィンヤード島の話をメインに据えた一冊。
聴覚がなくても、当時のマーサズ・ヴィンヤード島では充分ふつうに健常者として暮らせていた。
猪瀬浩平・第6章「「障害」がつくられているとき、「障害」が壊されているとき」p.108
あらためて考えてみると,「車椅子に乗っていること」「耳が聞こえないこと」「知的に遅れがあること」が,「障害」として否定的な意味づけが与えられる根拠は,それほど強固ではないことに気づく。ある人類学者の研究によれば,アメリカ東海岸のヴィンヤード島では,日常言語として「手話」が使われたため,「耳が聞こえないこと」には否定的な意味づけを与えられていなかった。この島において,「耳の聞こえない人」は障害者ではなく,健常者として分類されていたのである。逆に,私たちの社会では「健常者」に分類される,「過度のそばかす」「出臍」「しまりのない体」「小さな尻」といった身体的特徴をもった人が,「障害者」として分類される社会も存在する。
山下晋司, 福島真人 編『現代人類学のプラクシス 科学技術時代をみる視座』有斐閣 (2005/11)
…優生学って「多様性つぶし」だよね。
●仲間と文化を組めないマイノリティのことを忘れてはならない。
**文化や**コミュニティをこしらえることができたとして、それが結局健常者が非健常者に対する配慮を欠き蔑視排除しがちなように、**文化や**コミュニティに属さない人に対する配慮を欠き蔑視排除するように作用するならば、それは差別の再生産に他ならない。
だれかをおとしめエンガチョすることによっておのれをほめる、そういうやり方は自分たちには気持ちがいいかもしれないが、それによって誰かが不当に踏みつけられ差別されてしまうことに気がつけ。
…気がつけない人々に対する異文化尊重は可能だろうか?

追記:
2007/01 【日本語ブログ】 *minx* [macska dot org in exile] - 受精卵選別によって『異常』を選ぶ親たち
情報庫: 優生学 手話・ろう文化



『American Deaf Culture: An Anthology』
Sherman Wilcox (編集) ペーパーバック: Linstok Pr ; (1989/11)
『「ろう文化」案内』
キャロル・パッデン, トム・ハンフリーズ (著) 晶文社 ; (2003/11)
『Deaf in America: Voices from a Culture』
Carol Padden, Tom Humphries (著) ハードカバー: Harvard Univ Pr ; (1988/09)
『Deaf Culture: A to Z』
Walter Paul Kelley, Tony Landon McGregor (著) ハードカバー: Buto Ltd Co ; (2003/06)
『Deaf Culture Our Way』
Holcomb (著) ペーパーバック: Dawn Sign Pr ; (1995/03)
『The Deaf Way: Perspectives from the International Conference on Deaf Culture』
Carol J. Erting, Robert C. Johnson, Dorothy L. Smith, Bruce N. Snider (著) ハードカバー: Gallaudet Univ Pr (1994/12)
『Inside Deaf Culture』
Carol Padden, Tom Humphries (著) ハードカバー: Harvard Univ Pr ; (2005/01)
『Literacy and Deaf People: Cultural and Contextual Perspectives』
Brenda Jo Brueggemann (編集) ハードカバー: Gallaudet Univ Pr ; (2004/07)




『Literacy and Your Deaf Child: What Every Parent Should Know』
Bryan R. Clarke, David A. Stewart (著) ペーパーバック:: Gallaudet Univ Pr ; (2003/05)
『聞こえない親をもつ聞こえる子どもたち―ろう文化と聴文化の間に生きる人々』
ポール・プレストン (著) 現代書館 ; (2003/04)
『Mother Father Deaf: Living Between Sound and Silence』
Paul Preston (著) Harvard Univ Pr ; (1994/04)
『Reflections on the Language and Culture of Deaf Americans』
Louis L., Jr. Aymard (著) ペーパーバック: Kendall Hunt Pub Co ; (1992/06)
『Understanding Deaf Culture: In Search of Deafhood』
Paddy Ladd (著) ハードカバー: Multilingual Matters ; (2003/07/31)
『ろう文化』 現代思想編集部 (編集) 青土社 ; (2000/03)
この記事は
![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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