[ EP: 科学に佇む心と身体 ]

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西欧的価値観と貨幣文化の流入 江戸の妖怪革命

カテゴリ[科学に佇む2007年] 2007/02/09
◆左表紙
『江戸の妖怪革命』

 香川雅信著
 河出書房新社 (2005/08)
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 この本に関しては先に余談が2本ほど:
   → 『民俗学から妖怪研究、怪異研究へ 江戸の妖怪革命』
   → 『ファンタスマゴリア/ファンタスコープ 江戸の妖怪革命』

 本論は、怪異が「流通可能な表象としての妖怪」に変貌した経緯の解題。

 世の怪異が”妖怪キャラ”として弄ばれるようになった経緯は、京極夏彦が「豆腐小僧」で戯作にしている。
  → 『豆腐小僧双六道中ふりだし』
 豆腐小僧は出版2003年で、実際はそれより前の連載をまとめたものだったような気がするので、『江戸の妖怪革命』(元稿は2001〜2005年)と同時期と言えるか。

 妖怪観はあられもなく変遷している。
 水木台頭の時代を知る世代にとって、カードゲーム世代の感覚は違和感だらけ。
   → 『妖怪セラピーという無責任妖怪』
江戸時代前期の衆生にとっては、水木の世界観(妖怪は実体化し物理法則でやっつけえる)はありえないし、平安時代の諸氏にとっては、江戸時代の怪異文化は下品きわまりないものであったろうし。

●p35にて、平賀源内が「今どきの医者は、薬に関する知識が欠如している。」と愚痴るエピソード。
 源内が医療の大転換に寄与(のみならず社会観の大転換も)した経緯は、
  → 『日本人の健康執着と身体観の大転換』

 平賀源内:ウィキによれば、存命期間は1728年〜1780年。
 ファンタスマゴリアの一歩前の世代。
  ※ → 『十八世紀後半のファンタスマゴリア』

... 以下つづき...

〓〓〓 EP 〓〓〓

p77
 十八世紀後半の「妖怪手品」は、言わば素人が座敷芸として演ずるものであった。しかし十九世紀に入ると、「妖怪手品」的な仕掛けがプロフェッショナルの芸能のなかに組み込まれるようになっていった。その結果として生み出されたのが、写し絵・怪談狂言・怪談噺である。

 ファンタスマゴリアを生んだ幻灯機(ファンタスコープ)は18世紀後半に日本に入ってくる。
 「化け物は作ることができる」
 源内以降(?)、西欧的な科学(物事の精査と検証)と「進歩(変化)は良いこと」世界観が、貨幣資本主義とともに都市部から広がっていく。

 いや、源内以降ではなく、出島からの西欧異文化流入があたりまえになって以降、なのかな。
p108-109
 寛政九年(一七九七)刊の『化物大閉口/ばけものだいのへいこう/』(南杣笑楚満人作,歌川豊国画)では、人間の「化物化」のありさまがさらに極端になっている。 [〜中略〜] 化物たちはすっかり怖じ気づき、江戸から立ち去っていく。
 「化物化」した人間たちによって、本物の化物たちは棲みかを追われ、代わって人間たちが、それまで化物が支配していた領域を侵食していく。つまり、人間が「化物化」すればするほど、世界はより「人間化」されるのである。

 この『化物大閉口』は紹介されているあらすじを読む限り、やたら京極夏彦「豆腐小僧」の描きよう(妖怪のあしらいよう)に似て見える。
 『化物大閉口』に言及しているサイトは東雲(しののめ)さんとこくらいか。
 ●ネット 未完成化物草紙刊行年譜  百鬼夜行 - Hyakkiyako -



 伝統的価値観・贈与文化と、「改良」価値観・貨幣文化の、衝突。
p110
十八世紀後半と言えば世に言う「田沼時代」、金が万能とされた時代としてつとに知られている。この世のあらゆるものは貨幣によって換算され、手に入れられるようになっていた。貨幣の論理がすべてをおおい尽くそうとしていた時代、それが十八世紀後半であったのだ。

 西欧的価値観と、貨幣文化の流入という、ダブルパンチ。
  → 『吉野川流域の「首切れ馬」伝説と貨幣文化/贈与文化』

●十八世紀後半には神さま仏さまも、金に吊られて思いきり凋落なさる。
 人集め、金集めの呼び物としての、神仏ご開帳(お出ましイベント)。
p111
湯浅隆によれば、十八世紀後半を画期として、開帳は「流行るものから流行らせるものへ」と転換していったという。

 う”。
 この「湯浅隆」で検索すると、困ったことに書籍では生物遺伝学ばかり、ウェブでは音楽関係がたくさんひっかかってくる。yan
    ●ネット ★湯浅隆 著作 一覧
 同姓同名さんがぎょうさんいらっしゃるのか。
 開帳に関する見解は、生物遺伝学でも音楽関係でもなく国立歴史民俗博物館の湯浅隆さん。

 死者 ← → 神仏 ← → 生者 の間で取り交わされてきた、信頼に基づく贈与関係。
 それが。
 必要なときだけ、ちゃっかり喜捨や賽銭でご利益を買って帰る、そんな貨幣文化に冒された状態に神仏と信者の関係は成り下がる。
 それが十八世紀後半。

 新谷尚紀氏(2003)は「賽銭」を穢れ(ケガレ)論で解釈していたが。
   → 『なぜ日本人はお賽銭を投げるの?』

p114
かつての神霊は「絶対的贈与者」として、人間よりも圧倒的に優位の立場にあった。しかし、人間と神霊との関係が贈与交換に基づくものから市場交換に基づくものへと変化したことによって、人間と神霊とは、貨幣をなかだちとしておたがいに対等な立場に置かれるようになった。いや、むしろ貨幣を有する人間のほうが、神霊をも意のままに「消費」するほどの力を手にしたと見ることもできるだろう。


 人が神霊より優位に立った転換点はこれが初めてではないし。
  → 『原罪としての農業』  地と自然の神聖を剥奪する
  → 『供養で何が救えるか 死者の救済史を宗教学してみました』
     怨霊調伏システムをこしらえることで、
     神仏や死者の霊威をコントロール下に置いた日本古代の権力者たち
 何度も何度も、少しずつ神仏は根を切られ、爪を抜かれ、手足を削がれて貶められてきた、その積み重ね。
 (まるで「どろろ」だね)

 十戒や倫理。「やってはいけないこと」。
 「やってはいけないこと」をやって絶える血脈もあれば、「やってはいけないこと」を冒してのさばる一族もある。
 理由も理屈も礼節も抜きにして「人の欲」だけを度量化した記号が、「金(貨幣)」。
 理由も理屈も礼節も抜きにした「人の欲」記号が、人を支配しにやってきた。
 そんな「人の欲」記号の支配の元で、どんどん「やってはいけないこと」を冒し失い続ける我々。

 欲は、良いものですか? 悪いものですか?
   → 『科学と宗教、東西生死の進化心理学と世界観』

●●●小玉7●●●

 貨幣に駆逐されたか、たいへん影の薄くなった贈与交換文化。
 温故知新に希望を託す者もあり。
 贈与交換の研究はたんにエキゾチックな風習の研究ではない。それは圧倒的な商品交換の領域の外部に、それと競合しつつ共存しうる「もうひとつの交換」の領域の可能性を示唆してくれる。それは貨幣を媒体としつつ市場メカニズムに従わない交換、関係のそのつどのキャンセルよりは連帯をいっそう志向する交換の可能性である。
 〜p173 「市場とサブシステンス・エコノミー」足立眞理子
 ●本ミニ 『岩波講座現代社会学17 贈与と市場の社会学』 1996/11

 1996年と言えば、この当時は「地域通貨」がひとしきり盛り上がったころだったかな。「モモ」のミヒャエル・エンデは1995年没)

 貨幣論も、流行りすたりをしているのか…。




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