

「墓標の民族学・考古学」
朽木量著
慶応義塾大学出版会 2004/11
[ Amazon ] [bk1]
日本における各年代・各地域の「墓標」を調査分析したご本。
が、その本題よりも、本論に入る前の、前段の考古学をやる上での位置、手法、流儀、心構え、べからずのおさらいみなおしが、なんでこんなところにと面食らうほど、きっちりしていてすごい。
・社会的な産物であるモノ自体、考古学者がそれをそれと認識できるのか
というポストプロセス考古学派からの問題提起。
・いまどきの考古学者の目にかなった遺物以外は
資料扱いされないという偏向が起きてはいないか。
p.2
考古資料が過去の社会を正確に反映することはあり得ない。土器型式に基づく型式文化圏と、石器に基づく型式文化圏が必ずしも一致するわけではないことから見てもわかるように、特定の遺物をもって文化圏を設定し、それを直ちに現実の社会と置換するのは無意味である。型式文化圏のような考古学的に看取された遺物の時間的空間的まとまりについては、一旦、現実の社会と切り離して論じられるべきである。そして、他の歴史的・社会的コンテクストをふまえた検討を経たうえで、考古学的遺物と現実の社会との関連性を再度構築すべきである。
・純粋な「**文化」というものも、文化と民族の完全一対一対応も、
現実にはありえない仮想設定。実際には混淆があたりまえと踏まえるべき。
・典型に囚われるあまり、典型からはずれた混淆や文化変容を
「伝統的文化」の崩壊とみなして軽んじていた考古学者たち。
でも実際は、その変容こそが地域文化の回復力のしるしなのであり
なんら軽んじるべきものではない。
ああ、このような基本的踏まえを重んじる風が行き渡っていたならば、あの忌まわしい神の手事件もなかったろうに。

・調査対象の墓標を、造立以来動かされていないと想定したり、新しくない墓を排除して、古い墓だけで過去を復元しようとするのはいかがなものか
・「墓標」を調査するのであれば、特定の形の墓だけを墓とみなすようなことはせずに、形状はどうあれ、とにかく墓らしき機能をもたされた石造物は、全て「墓標」として調査しなければ
で、肝心の本論、墓標・墓石調査のパートでは、綿密かつ多彩な調査結果がずらり披露されているのだが、そのままでは要するに…、素人目には「これで何がわかるのか、なんのために調べているのか」が、ちょいとわかりづらい状態。
何がわかるのか、なんのために調べているのか、それは次↓の本を読むとよくわかる。


「寺・墓・先祖の民俗学」
福田アジオ著
大河書房 2004/10 [ Amazon ] [bk1]
・「先祖代々の墓」「**家の墓」というパターンはごく新しく、たいがいは文明開化以降。
それ以前は、普通は墓は「家用」ではなく個人用に作られていた。
へぇ〜!

平安時代や室町時代に「**家の墓」が登場したらダウトなんだ!
「**家」を継ぐ、そのいかにも”日本的”な習俗がいつ発生したのか、墓を見れば透け見えてくる。
p.46
明治国家の家制度の確立と定着が大きく関係していると思われるし、それとほぼ同時期に都市を中心に急速に火葬が普及したこととも関係しているものと思われる。墓石の下に格納する部屋が設けられることで、複数の人間の火葬骨が墓石の下に入ることになり、家の自覚を強めることになった。
火葬の普及が、「家」観念を強化した。
まだ土葬が多かった1955年当時の調査、北陸地方には妙に火葬が多く分布していることが確認された。
これ原因は浄土真宗だったんだそうな。
浄土真宗が、火葬を奨励なさっていた。
その土地、その地方で、どんな宗教・死生観が共有されていたのか、墓を見れば見えてくる。
縄文人の墓を見れば、縄文時代の世界観まで把握できてしまう
墓がある場所をリストアップしていくと、墓の様式を調べていくと、こんなにたくさんいろんなことがわかってくるのか!
さてもお墓。
墓には何の実用性があるのか。
ヒトはどんなことを期待して、墓を作るのか。
死後や死者のありようは、その当時の個人の思いと共同体の想定が結晶する「共同幻想」。
お墓は、墓を形成する価値観や文化をダイレクトに反映し、なおかつ往々にして後世にまで姿を残し、過去をかいま見る窓として機能する。
・東アジアでは「墓」なるものは、各所に個々点在しているものであり、
日本のように「墓地」のごとき専用区画をもうけて埋葬する様式は珍しい。
・近畿地方での埋葬は村はずれの共同墓地が多く、
東日本では家のすぐそば、「屋敷墓」が多いという差から、
それぞれの地域で、埋葬地の観念もしくは死者のケガレ度合いが異なっていた気配。
・そも、墓石を立てるという風習自体、古来からのデフォルトではなかったりするし。
... 以下つづき...

p.19
土中に遺体を埋めるのは、遺体尊重の観念かのように見られるが、必ずしもそのようには言えない。中国人がしばしば驚くように、日本人はかつて埋葬した地点を後の死者のために再度、あるいは何回も掘り返すことを当然のように行っている。そして、その結果出てきた骨をそのまま新しい遺体を納めた棺の脇に置いてまた土をかけて埋めてしまう。埋葬地点を永久的な場として考えていない。これは、日本列島の相当広い地域で行われている両墓制の理解とも結びつく。
おおっ。中国人驚くか。
魂魄の観念を日本にもたらしたお国ではあれど、あちらさんでは墓を移すようなことはしないのか。

・土葬の場合、土が沈み込むので死体の真上に墓石を立てるのはまずかった。
埋葬(土葬)場所と石塔の位置が違っていても、日本的には普通だったのだが、
墓石の下に骨を納める火葬が普及してから、石塔と故人が一致扱いされはじめる。
そのほか、

・葬送儀礼の研究では「仏教的なもの」のが研究対象からよっこされがちで、
位牌の研究がほとんどなされていなかったりする。
・中部地方から関東地方にかけて広く見られる「位牌(いはい)分け」という風習では、
結婚した子の数だけ位牌を作り、葬儀のあと各子は自分の家に持ち帰ってまつる。
女性は、嫁ぎ先に自分の親の位牌を持って帰ってまつることになるわけで、
単純な父系制とは言いきれない「男女並行」の帰属関係が「家」観念に現れているとみる。
・琉球圏に見られる、本土とは大きく異なる位牌のありようの紹介も。
などなど、おのれは他者をどう葬りたいか(他者の死をどう処理したいか)、おのれはどう葬られたいか、死んだ肉親は今どうなっていると想定してしまっているのか、命はどこからもたらされたと考えているのか。
自分が抱える死生観・葬送観を相対的に見直す手がかりに、たいへん有用な見識が種々詰まっています。



増補新装版
『差別の心的世界』
山下恒男著
現代書館 2005/11
『差別の心的世界』p161-には
長野県の被差別部落では屋敷墓を維持している例が多い
↓
明治半ばまでは、どこもふつうは屋敷墓だった
↓
直近に死体を埋める屋敷墓は「不衛生」だとみなした明治政府は
屋敷墓を廃して、村はずれに共同墓地をもうけるよう指導した
↓
非差別部落では行政指導が届かず、改葬しなかった割合が高めで、
その結果「非差別部落は非衛生的な暮らしをするよう差別されている」
という風説をのちに招くことになった。
という例が紹介されている。
かつては屋敷墓がふつうであったという由来が忘れられ、普通は共同墓地なのに、という逆の観点から差別が解釈されてしまったケース。



『死と葬送 民族小事典』
新谷尚紀編, 関沢まゆみ
吉川弘文館 (2005/12)
[ Amazon ] [bk1]
日本の「死と葬送」について、基本的なところをばっと見渡すには手頃に便利な事典。
・日本の葬送は、縄文時代からすでに火葬と土葬が併存していた。
・一般的な意味での墓参りは14世紀頃かららしい。
・もっとさかのぼれば野ざらしの風葬がメインだったり。
入門にもいいし、詳しい人が初心者に説明せねばならない際にぱっとチェックするあんちょこにも使える。
切腹、心中の変遷、間引き、補陀落渡海(ふだらくとかい)、殯(もがり)、泣女、戒名、多数の遺骨を固めて作られる骨仏、無縁仏、施餓鬼、水子供養、各種ケガレ論など、多岐にわたって網羅しており、いかに死生観や古来の慣習が、時代や土地で変貌したり胡散消滅したりしうるのか、では自分は「どれで」死ねばいいのか、おりおりに考える材料にできる。



「墓と葬送の現在 祖先祭祀から葬送の自由へ」
森謙一
東京堂出版 2000
[ Amazon ] [bk1]
著者は茨城キリスト教大学文学部教授。
キリスト教… その時点ですでに、仏法や神道、民俗学からは距離があると思われ。
p.225
日本における祖先祭祀についての問題は、単純に民俗的な事実に還元できうるような問題ではなく、国家を含む社会のさまざまなレベルで検討されなければならない。
サブタイからしてすでに「祖先祭祀から葬送の自由へ」であって。
過去のしがらみからは一線を画して、現代的葬送の考察がメイン。
p.81
日本では墓地の社会性(公共性)についての理解は一般的ではない。 [〜中略〜] 国民(住民)は国や地方公共団体に墓地の確保を請求できると考える人も少ない。「墓場」は福祉政策の対象にはなってこなかったのである。つまり、国や地方公共団体は、墓地経営の非営利性を論じるとしても、墓地の確保を市場原理にまかせてきた。墓地の供給を自らの責任で供給せず、市場原理にまかせたのである。
どんなに大枚をはたいて立派な墓をこしらえたとしても、金と縁の切れ目ですっぱり権利がなくなる有名無実な「墓地の永代使用権」というリアル怪談。
墓は、この世を生きた人間の、生前と死後の所属をあらわす記号。
その所属の永続が、現代法の上では全く保証されていない。
市場原理にもとづいて、「永代使用」の権利は簡単に剥奪されてしまう。
・明治以降、でかい墓石でかさばった墓を作ることが流行り、
急に各地で墓地不足が発生するようになる
世代時代を経ても朽ちない石の墓標はいつまでも死者をこの世につなぎとめる。
その一方で、石でもない世間の状況と衆生の観念は、縷々変転を重ねていく。
・太平洋戦争の結果、立派な墓が大量に作られる
・都市部に集まる新参者が大量の墓地を求める
・子孫が生地を離れ、古来の祖先墓が無縁化する
・昔ながらの葬送や埋葬をさえ、子孫が厭うようになる
そんなこんなで、これからの葬送・墓をどうするか、これまでの墓をどうするか、墓所管理がおかしくなってきているのをなんとしょう、著者の考察は続く。
死と法。
死者と行政。
今この時代で最善と思える葬送をほどこしたとしても、次世代、来世代であっさり無粋に足蹴にされてしまう可能性。
数百万かけた立派な墓を建ててみても、縁の切れ目で簡単に撤去され廃棄されてしまう現実。
そんな、よるべのなさげな不確実な死生観の中で、死なねばならない私たち。
著者はキリスト教の影響か、死者の尊厳性や「死者の記録を残す」ことに、そこはかとなくこだわりを見せる。
集合霊に浄化合祀されてしまうことに拒否感があるのだろうか。
おのれを残さず、この世から消えることは、想定外なのだろうか。




「異界談義」
国立歴史民俗博物館編
角川書店 2002/07
第二節 山田慎也『亡き人を想う--遺影の誕生』
p.44-45
供養額から肖像画や肖像写真に変わることによって、人々が思い描く死者のイメージは他界における存在から生前の似姿に変化していったのです。このことは、死者を他界にいるものとして死後の時間に位置づけていたものが、死者を生前の姿でまつることによって現世の功績を重視するようになった契機でもあるわけです。
遺影は生前の似姿であり、死者を表象するものとして人々の記憶と直結するものです。しかし一方で、死者を現世の事績の中だけに閉じこめるものでもあり、新たな死後の存在を生み出そうとするものではありません。
いまどきの死後観は、「写真」に大きく影響されている。
写真がなかった頃は、死者は生前の姿は保っていなかったであろう。
腐り落ちた姿、もしくは歳を経た姿、転生した姿、浄化された姿…
生者には思い及ばぬ強力な境界に隔てられた向こう側、冥界、異界に遷(うつ)ろったのに、死者が生前のままの姿でいること自体が、おかしかろうに。
その死者のありようが、「写真」そして「遺影」の登場によって、実際とはかけ離れた生前の姿として、いつまでも生者のようなありようだとたばかられたまま、想像されるようになってしまった。
実際は燃やされていても。
実際は朽ち果て枯れて落ちていても。
実際は記憶の中で美化変貌してしまっていても。
死者は写真の中に監禁されてしまっている。自由を奪われて。生者にいいようにされるがまま。
まあ、個人的にはそんな死に方はしたくない。
死後の自由が奪われ貶められるような死に方は、したくない。 これが… 難しいんだろうな。
もとより、人間は生きているときから、元々生きているときから、他人の思いの勝手な投影対象にされている。そんな思い込まれの中をなんとかやりすごして、投影し返したりなんかして、ごまかしごまかし生きすごしているわけで。
それが、死によって、反論できない投影対象になりさがるだけのこと。
生きているときでさえ、他者からの投影を祓いきれないまま生きている、それを死後… どうにもならんわな。
死者よ。
願わくば、抗弁せよ。
![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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