
いや、ちょっと日本語サイトを検索してみたら「魚は痛みを感じません」との旨の記述が多くてびびったんですが。


まず3年前に海の向こうでひとしきりもめています
やさしく釣ってね 魚だって痛いんです 〜Lynne Sneddon、Dawn Carr
2003/04 BBC News Fish do feel pain, scientists say魚も痛みを感じるのだという証拠を見つけたぞ。
危害に反応する脳部位を特定したし、有害物質にさらされてもえらい反応するし。
なんでこんなことでもめているかというと、イギリスでは動物愛護派と釣り愛好家の間で、延々確執が続いているわけで。
「魚が痛みを感じている」主張をなさったのはLynne Sneddon。
Lynne Sneddonの「魚の痛み研究」について記している日本語ページ
魚達は痛みを感じます 〜Fishing Hurts!熱したり叩いたり毒にさらしてみたりしてみたところ、魚のちっぽけな脳にも鳥や哺乳類と同様にヤバイ状況を察知するための「侵害受容器(ヤバイ状況だセンサー)」がたくさん備わっていることが確認できた。
毒液を刺された魚は患部を壁にこすりつけるなど、単純な反射行動の域を越えた「苦しみをなんとかしよう」とする動作を見せますよ。まさにこれは単なる反射行動以上の「苦痛」を感じている証拠ではありませんか。
※ 侵害受容器 nociceptor
侵害刺激 nociception
痛みに関する用語 〜 口腔顔面痛情報 ちなみに軟骨魚方面では侵害受容器の存在は確認されていないので、もしかしたらこのあたりが軟骨魚類と硬骨魚類の進化的分かれ目だったりするのではないかという話も。
で、そのLynne Sneddonの研究発表を受けて、キャッチ&リリースや残酷な漁業はもうやめて!と声高に叫ぶのは菜食主義運動の Dawn Carr。
Dawn Carrのお魚を苦しませないで日本語ページ
商業的漁業: 取材報告 魚達は、ゆっくりと死んでいます 〜Fishing Hurts!…しかし、なんか、Lynne Sneddonにしろ、Dawn Carrにしろ、日本語サイトでは、このものすごく下手くそな翻訳の菜食主義者サイトしかヒットしないんだが。orz
で、Lynne Sneddonの見解は少数派であるらしい。
大半の科学者は「魚は痛みを感じられるような脳は持っていない」とみなしてスルーしている、のかな。
「魚は痛みを感じられるような脳は持っていない」派のトップに挙がるのはアメリカ釣り同盟のブルーノ・ブロートン
『サルでもわかる釣り入門 Fishing (Flying Start)』Bruno Broughton(著) Hodder Wayland (1992/9)
魚類神経学のJames Roseも応えて
いや、魚には痛みを「経験」できる回路がそもないし、無理でしょう。
魚の脳は、苦痛を感じられるような意識レベルを産み出せない構造です。
2003/04 New Scientist Fish 'capable of experiencing pain'Patrick Bateson氏(イギリス/ロンドン動物学会会長、著作多数あり)はなんぼか中立。
そも、脳がどのように「似た反応」を示そうが、
自分のものではない痛みは誰にもわからない。
たといそれが魚どころか、ほかならぬ人間の肉親が感じている痛みであっても、
「他人の痛みはわからない」想像するしかないのだ。
敢えて言うならば、魚が哺乳類が苦悶の際に見せるものと似た行動を示すならば、
「苦痛を感じている」と推察することは可能かもしれないが。
2003/04 news@nature.com New evidence that fish feel pain魚は皮膚や頭部にダメージを受けたときに、回避行動を引き起こす刺激を伝える受容体(感知センサー)を備えている。
傷を受けたら、ふつうにもがくし逃げる。
しかし、これは魚が「苦痛」を感じているという証拠にはならない。
WHO配下の「痛み研究国際協会」は痛みを「感覚と感情的な構成要素を伴った意識的な経験」であってはじめて苦痛といえるのだと定めている。
痛覚はあっても痛くない?魚は痛みを感じられるようなレベルの意識を持ってはいないと主張した学者
2003/05 New York Times Fishing for Clarity in the Waters of Consciousness
天体物理学者で菜食主義者のPiet Hut曰く、
ヒトのような意識を持たなくても、
ヒトとは異なる意識を持っている可能性は閉じられていない。


そも、この「魚の苦しみ」が問題になるのは、動物愛護や動物福祉において「魚は苦しいと【思っている】のかいないのか」が肝心かなめの争点であるからであり、「魚は意識的に痛みを感じている」ことを証明できない限り、身を削(そ)がれてたまま口鰓(くちえら)があえいでいる日本のホラー名物活け作り(いけづくり)は、野放し。
魚は痛さに突き動かされているとしても、「痛みを意識で感じている」とは認められずじまいに終わる。

しかし、この「意識基準」。「痛み」基準。

ヨソの文化から見るとかなりズレてないか。
もとより「魚は痛みを感じない」と言いだしたのは西欧人ではなかったか。
アチラのお国はマジ「意識」第一主義。
自由意思に執着しまくり。
その延長なんだろう、お魚のありようまで「意識」第一でかかずらいなさる…。
「意識」がなければ意に介さない。
「意識の有無」が何より大問題。
なにがなんでも「意識」第一であって「命」は二の次である、というあちらのお国の文化的偏向がよく表れているのかも。


そしてLynne Sneddonの論文の翌年2004年。
動物の心を翻訳するテンプル・グランディンさんの見解は、「魚は痛みを感じている」。
『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』 p.244
魚には新皮質がまったくないが、たいていの神経学者は、意識するには新皮質が不可欠だと考えている。だからといって、かならずしも魚が痛みを意識していないということにはならない。種によっては、脳のことなる器官や系統が同じ機能をつかさどっていることもありうる。
... 以下つづき...


『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』
テンプル・グランディン, キャサリン・ジョンソン著
日本放送出版協会 (2006/05) 原書2004年
まずグランディンさんは、人間の痛みが、ほかの動物種とはかなり違う現象を引き起こしていることを指摘する。
人間以外は、基本的に人間ほど泣きわめいたりすることはない。
なぜなら。
そんなことをしたら 死ぬから。
「痛みで泣きわめかない」。
特に「食われる」立場にある動物ではそれが顕著。
痛みのサインを出したら、ねらわれる。殺される。
痛みで苦しみのたうったり、顔を引きつらせたり、泣きわめいたりして目立った場合、助かるどころか、死んでしまう可能性のほうが大きくなるなら、「痛くてもフツウにしているほうが助かる」。
逆に、「痛いよ」と騒いだほうが助かりやすい動物の場合は、「痛がる」。
例えば、親がそばにいるときの子犬子猫。
例えば、集団生活で応援が期待できる霊長類、おサルさん。
例えば、痛みでうめき声を抑えられない、動けなくなる、涙を出して泣き叫ぶ、人間。
「痛いよ」と泣きわめきサインを出しまくると状況が好転するような動物に限って、
痛み反応が正常な行動を乗っ取るほど強烈になっている。

人間では特に、「痛み」が普通の行動を乗っ取り暴れる度合いがかけ離れている。
司令塔の前頭葉が何もできなくなるほど、痛みが自己主張をしまくる。
本人の意思そっちのけで痛みで苦しみのたうったり、顔を引きつらせたり、泣きわめいたりして目立つことこの上ない。
基本的に集団生活互助体制で長いことやってきた人類なわけで、単純に身体がやばいときには目立って援助を集めたほうが、死ななくてすむ可能性が高い。
そんなこんなの進化的おかげさまで、行動の自由を奪われるほど、人間さまは「痛みにめちゃくちゃにされがち」な動物。
追記:
2007/07 EurekAlert How pain distracts the brain
苦痛は、どのように脳を乱れさせるか
a brain region called the lateral occipital complex (LOC) as the cognitive-related area affected by both "working memory load" and pain.
ということで、生物の世界では、「痛みで人間のように苦しむのはデフォルトではない」ことを確認して。
『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』 p.245
ほんとうに知りたいのは、動物(鳥と魚も)が痛みを感じるかどうかではない。痛みを感じるのは、はっきりしている。
_どのくらい痛いのか_、知りたいのだ。


かんじんの魚の痛みの話に行く前に、まずグランディンさんが指摘する「どんなに痛くても平然としていられる人間」の例を見ておかねば。
見ておくべき例。
痛覚と、前頭葉を切り離す脳手術「前頭葉白質切断(低侵襲性ロボトミー)」を受けた人間は、「痛みが気にならなくなる」。
前日までどんなに痛みに苦しみのたうっていても、痛みが前頭葉から遮断されたら、全く平然としていられるようになる。
鎮痛剤で痛みがなくなる、というのとはまた違う。
「痛いのは同じだが、痛みがそんなに気にならない」状態になるのだという。

その事例が紹介されている書籍:
アントニオ・R. ダマシオ著「生存する脳 心と脳と身体の神秘」
講談社 (2000/01)
ものすごい痛みを感じていても、「なんぼか激痛がうざいだけ」でふつうに暮らせてしまう!!
脳の回路をちょっと変えるだけで!
※ 無痛症 という症例もあるけれど、この場合は「感じていない」のか「気にならない」のか不如意なのでここではスルーでごかんべん
※ 前頭葉の具合しだいで痛みがえらく違ってくるという話はこちらにも
『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』 p.248
けがをした動物は、白質切断を受けた患者とふつうの人間のあいだのどこかに位置すると、私は考えている。たしかに痛みを感じ、ときに激しい痛みを感じることもあるのは、手術をして前頭葉がほかの脳から切り離されたわけではないからだ。けれども、人間が同じ状況になったときに感じるほどは、おそらく、痛みを不快に感じていない。前頭葉が人間ほど大きくないし、強靱でもないからだ。だから、手術後に私たちのように安静にしたりしない。安静にしようと思うほど、気分が悪くないのだ。動物は人間と同じくらい痛みがあっても、苦しみは感じていないのだろう。
ものすごい痛みを感じていても、「なんぼか激痛がうざいだけ」でふつうに暮らせてしまう動物たち。
そんな可能性。
参考追記:
ハダカデバネズミは、火傷を感じない
2008/01 news@nature.com Naked mole-rats don't feel the burn
冷血哺乳類で、長寿で、社会性昆虫のような営巣形式を持っていて、毛がないし、女王がいるし・・・
この珍奇な動物は、酸や唐辛子の火傷も気にしない
すべての動物は、全てのタイプの苦痛を感じるというわけではない


さても。
他人がどのくらい苦しいのかは、究極本人になれない限り、誰にもわからない。

うちの 故・巨大金魚は、瑣末なことに驚いただけで水槽のフタを跳ね上げてしまうほどの大騒ぎをする一方、鰓に穴があくほどの死病に見舞われてもほよ〜んと普通に泳いでいた。
思うに、「死ぬ可能性のある刺激」に見舞われ、それに対して「死ぬほど反応すると生き延びられる可能性が増える」場合、
痛みに関わらず、
人間が激痛でのたうつのと同じほど激しく、
命がけで苦しむのではないか。

例えば、釣り針にかかった魚は、自分の身体が少々壊れようとも「命がけで苦しみもがく」。
そもそも、肉食魚に襲われたら確実に殺されるのだから、死んでもともとなほど「命がけで苦しみもが」かないと、口が壊れようが肉が裂けようが何しようが、「命がけで苦しみもが」かないと。
そんなありよう。
「命がけの反応を問答無用に引き起こしてしまうほどの苦しみ」。
そこではもう「痛覚」なんざはどうでもいいんじゃないか。
例えば、怪我をして人間に保護された野生動物は、「命がけでじっとしている」か、おりあらば「命がけでむちゃくちゃに脱出しようとする」。(特に食われる立場の動物、シカのたぐいで顕著)
中途半端に動けば「見つかって食い殺される」だけ。
死ぬほどのストレスの中でじっとしているので、そのストレスが限界に達すると、ただじっとしていただけなのに、パタリと死んでしまったり。
「死ぬほど苦しく」じっとした結果なのかもしれない。
人間では、「痛み」が行動を支配蹂躙するほどの苦しみをもたらす。
「痛み」で苦しんだら人間とは逆効果になるような生物では、痛みとは別の次元からくるなんらかの尋常ではない苦しみが、人間での激痛のように脳を支配して暴れている可能性。
苦しさの表出が、種類が、もう全然違っているのかもしれない。
「意識」偏重主義ではない文化圏においては、痛みを意識するか否かという皮相なレベルを越えた「苦」からの考察が、わりと現実的になるのではなかろうか。
…あ〜、いや。
もしかしたらこの「苦」という概念は仏教圏特有のものだったりする?
一神教圏ではわかりづらい概念だろうか?
「苦」は …かなり直訳しづらいかもしれない。



人間はむやみに「共感」能力を発達させてきた。
自分が感じるそれを、ほかのありようにもどんどん「私と同じように感じているでしょ」と投影しまくり「あの苦しみは私にもわかるんです」などと共感幻想しまくる、その傾向が顕著なのは、概して男より女。
冒頭にあげた「魚は痛みを感じている」派の菜食主義者二人が、二人とも女であり、加えてグランディンさんも女である点は、…さもありなんなのか、偶然の皮肉なのか。
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