[ EP: 科学に佇む心と身体 ]

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脳の中の倫理:知的会話のための英語に見る自文化中心主義

カテゴリ[科学に佇む2006年] 2006/11/21
◆左表紙

 『脳のなかの倫理 脳倫理学序説』
 マイケル S.ガザニガ (著)
 紀伊國屋書店 (2006/02)
 [ Amazon ] [bk1]

原書情報と書評: The Ethical Brain Michael S. Gazzaniga (著)(2005/05/20)


 脳研究の最新局面など、いろいろ知らなかったことを知りたい人にはおすすめのご本。
 わかりやすく、興味深く、世界中の科学者がいそしんでいる人体最先端の脳研究成果、2005年時点の新しい知見を、ふんだんに知ることができるでしょう。

 いやぁ、脳研究の最新局面などもうじゅうぶんだよ、その先はどうなっているんだい、もっとメタな話はどうなのかな、「倫理」が脳とどう切り結んでくるのか見せてくれよ、というお方には、もしかしたら残念なご本かもしれない。

 残念なご本。
 ふつうに読むぶんにはたいへん示唆に富む良いご本なのでしょう。
 でも結局、「科学的にニュートラルな観点から倫理を考えて」いるつもりで講釈なさっているのに、西洋的、もしくはあちらローカルな規範に偏った、ニュートラルとは言えない思考をなさっていることを認識なさっていない。
 文化を踏まえた見解が欠けている。
 結局、自文化中心主義(自分とこの文化中心主義)にとどまったまま、比較・相対視点に入(はい)れていない。

 西欧には「命」という概念はないのかな。
 「人格」とは別に存在する「命」。
   人格は、尊い命に乗っている
   ヒトは、尊い命を与えられている
   尊い命のおまけとして、人格が乗っている
という感覚は、キリスト教文化圏では理解されないのかもしれない。
 自然(じねん)から与えられた尊い命を、たまさか管理するよう申しつけられた/めぐりあわせた、命の下僕としての、我々人格。命を有効に永らえさせるよう、そこに乗せられた我々個々の人格は生涯精進せねばならない。
 一昔前に有効だった死生観の一つ。
 この、人格とは別に存在した命の尊さは、科学と進歩の皮をかぶった現代的世界観とゲームシステムがもたらす世界観によって深刻なダメージをこうむっている。
  → 『死の変貌 デスについてのノート』

 人格よりも、「命」を大切に。
 これ、西欧にあります?
 この感覚は日本ではいつ発生したんだ? いまは薄れているとしても、かつてはあったぞ、慥か。

 「命を大事に」と「人格」に対して説く、その「命と魂は別だよ」感覚に直接つながるらしき、複数霊魂観というものは、西欧はともかく、アジアには古来より。


アンカー 【魂魄:こんぱく】
 魂魄:こんぱく
  飛び去る魂:こんと、肉に残ってゾンビ化なんかもしちゃう魄:はく

 中国の道教由来の「陰陽」霊魂観。
 人間の霊魂は三つの「魂:こん」と七つの「魄:はく」から成っているとされる
 (民間信仰では魂と魄それぞれ一つずつになっていたりする)
●本ミニ ジョセフ・A.アドラー著 『中国の宗教』 春秋社 (2005/06) p.173大意
 
 中国の伝統的な死生観では、故人の霊は精神的な魂と肉体的な魄に分解し、魂は天に帰り、魄は土にかえるとされる。
 〜西谷大「第9章 墓と貨幣 古代中国の死後の世界」p.230大意
●本ミニ 『講座人間と環境9 死後の環境 他界への準備と墓』 昭和堂 1999

 魂=陽 精神 身体からはなれる動く霊魂
 魄=陰 形骸 身体にとどまる動かない霊魂
 古代の日本人も、中国人とまったく同様に、動く霊魂と動かない霊魂という観念をもっていた。
●本ミニ  諏訪春雄著『日本王権神話と中国南方神話』 角川書店 (2005/07) p.157-158大意


 (霊魂とは、生死において発生する感情的なわだかまりを処理するために設定された便宜的な緩衝用概念、というみなし方ができる)

 キリスト教的(ブッシュ的)世界観においては、上の「人格に対して命を大事にと説く」どころか、人格がメインで命は二の次ではなかったか。
 死後の冥福は祈らない。少なくとも日本的な意味では。
 死後は神の管轄。
 神が、土くれにヒト人格を吹き込みお試しなっているのであって、死後、生前の行いを元に神が人格をお裁きになられる。ヒト人格が目指すのは、一回きり許された今生において、全霊を賭けて神の国に入る資格をゲットすること。
 命ではなく、人格メイン。
 「ヒト個々人の自由意思」に対する、盲信とも言うべき強固な執着。

... 以下つづき...

〓〓〓 EP 〓〓〓


 ※ 自由意思
    → 『自由意思』 =神の有無と直結する概念
    → 『旧約聖書のゲーム理論 』  人間に自由意思があるゆえに、神は万能ではない


 日本でよく目にするのは、故人の死後が家族の管轄扱いされている言動。
 死者のものでも、神のものでも、なさげ。
   → 『日本人が共有する死の物語』 +死についての文献資料
 家族が故人の死後の存在を自分に都合よく解釈する。
 冥福を祈り、見守られ、死者が抱(いだ)く不満を仮想設定し仮託しておのれの憤懣(ふんまん)をぶちまける。

●●●小玉7●●●

 で、当該書の著者、脳研究スポークスマンの第一人者ガザニガは、西洋文化圏のおひと。
 あんのじょう、デフォルトで「人格偏重」することに毛頭疑いをはさんでいないというか、当然とみなして他の視点・価値観の存在は考慮の外。
 人を大事だとみなしている時点で、脳科学はともかく、倫理については特定の文化のローカルなお話に留まってしまっている。

 ガザニガは、「個人の一つの人格」を命より何より偏重するキリスト教文化圏において、科学的には脳には一つの固定人格だけとは限らないのだ、「個人に一つの人格」は科学的にはデフォルトとは言えないのだ、ということをさまざまな機会に示してきた。
 左脳と右脳を切り離した分離脳。
 複数の人格が普通に一人に宿りうる諸現象。
 人格統合機能を持つらしい左半球のニューロン連絡回路網。
●本ミニ トール・ノーレットランダーシュ著『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』 紀伊国屋書店 2002/09 (原書1991/The User Illusion) p.339
●本ミニ ジョン・コートル著『記憶は嘘をつく』講談社 1997(原書1995/White Gloves)p.160
●本ミニ デリク・デントン著『動物の意識 人間の意識』 紀伊國屋書店 1998 (原書1993 / The Pinnacle of Life)p.123


 が、キリスト教文化圏が大事大事にしている「人格」、それより重いものを定めうる文化があることは、文化研究の専門家ではないからかな、それともあちらの文化的にはたいがい異文化(異なる価値観)の存在に無頓着だからかな、「人格が一番大事で疑っておりません」状態。
 自意識中心主義、とでもいうべきか。
 その範囲の中だけで、「脳の中の倫理」を講釈なさっている。
 「脳の中の倫理」と銘打ってヒューマン・ユニバーサルを語らんとするスタンスの場合、そんな偏りのままでは物足りなさすぎる。

●●●小玉7●●●

アンカー【無知傲慢な知的会話のための英語】

 ある意味似たようなところでもう一冊。

◆左表紙

 『知的会話のための英語』
 CD book
 カール・R.トゥーヒグ著
 ベレ出版 2004/06

 [ Amazon ] [bk1]


 進化心理学についてひとしきり述べてあるというウワサから、とりあえず覗いてみた一冊。
 CDがついているのでヒアリングごっこができる。
 英語好きさん、いかが?

 それはそれとして、この著者カール・R.トゥーヒグ(イギリス人)、異文化なめまくり。
 無知傲慢もいいとこ。
 そんな状態でありながら、『知的会話のための英語』をぶってしまえるという、はなもちならないアチラの感覚。
 ガザニガの論にちら見える自文化中心主義視点を、はるかに低レベルな形で極端に表出するとこんな感じか。

 『知的会話のための英語』 p.285-286 大意

 人類を進歩させる大きな業績はたいがい15世紀以降のヨーロッパ文化でなされており、それ以外の文化は西洋文化のケツを追うのに精一杯な上、詰めが甘くいまいちで、世界を変えるような考え方はものしていない。 [このあたり、 ベルカーブの著者でもあるチャールズ・マーレイの近著からひく形にかこつけながら持論偏見を開陳しているっぽい]
 異文化がダメダメなのは「人生には目的があると信じる才能ある個人」もしくは「創造的な個人主義」が欠けているからだ。
 中国や日本の文化は「自分自身の考えや大志」を育まず、オリジナリティも欠落している。
 イスラムは未来を見ていないので発展しないし、「人生は落とし穴と妄想である」と説く禅なんぞは地球上の生命を満足させるために努力しようという気を殺いであかん。


 笑うね。
 進歩をデフォルトに礼賛。もしくは西欧的変化以外は進歩とみなさず貶める偏向。

  ・地球上の生命を満足させるために努力することが最善だと疑わない、
   満足の意味をそも省みていない前提
  ・自分自身を見つめ研鑽する行為は、西欧的基準をはずれている場合無視する
  ・未来を見て発展することが是だと信仰している
   もしくは西欧的な「未来を見た発展」以外は無視して評価しない
  ・西欧ローカルな、自意識の過剰偏重。自由意思盲信が透け見える
  ・「禅は人生を落とし穴や妄想とみなす」という浅薄トンチンカンな理解、
   なんや ロジェ=ポル・ドロワ さんが指摘した西欧的無知偏見のこてこてな典型で笑える

 こんなもんを『知的会話のための英語』として提示された日には、西欧文化信者同士では自文化万歳で盛り上がるのかもしれんが、ちょお異文化さんがたにしてみるぶんにはもうどないしたろかと盛り下がってかないませんがな。

※ ●本ミニ ロジェ=ポル・ドロワ著 『虚無の信仰 西欧はなぜ仏教を怖れたか』 トランスビュー 2002年(原書1997) こちらの本はたのしゅうございますgoo

●挿画


 で、申し訳ありませんが、このエントリは都合により前後編のつもりで分け書きしています。
 つづきの後編はこちらに記しております。
   → 『科学と宗教、東西生死の進化心理学と世界観』

 しかし、人間は「自意識を命よりなにより最重要視」し「現状を変えて進歩」せねばならず「完全な満足を求めてあたりまえ」という、これをなぜ

   特定の文化だけで有効なローカル感覚なのに

   全人類が従ってあたりまえだとみなせるのか。

 そう言われて「え!?」と思われる場合、これは私が間違っているのか。
 それとも、すでに西欧的規範をデフォルトインストールされてしまっている読み手がそう反応するのか。


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メタル

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