人間の所業とその解釈。
ピンキリなヒト脳の魑魅魍魎なアウトプットを、解釈分類し追儺しようと艱難しているのはほかならぬ現世のヒト脳でしかないという、このなさけない限界。




『メディアと精神科医 見識ある発言と冷静な受容のために』 阿保順子, 高岡健編 メンタルヘルス・ライブラリー 批評社 (2005/06) [bk1]
『自閉症スペクトラム 浅草事件の検証 - 自閉症と裁判』 高岡健, 岡村達也編 メンタルヘルス・ライブラリー 批評社 (2005/09) [bk1]
「殺し殺されることの彼方 少年犯罪ダイアローグ」 芹沢俊介, 高岡健(著) 雲母書房 (October 2004) [bk1]
● 人間いちど逮捕されてみるといい
取調官は、自分が理解できる範囲でしか犯人の自供を聴取できない。
え〜と、こちとらありがたくも警察さまに逮捕された経験があるんですが、こっちが黙っていると、警官さんも刑事さんも「〜〜だからやったのか」「〜〜だったんだろ」と先に勝手に話をこさえてくださるんですね。
んでもって、こっちは相手さんが並べてくれるいろいろな話を聞きながら「ああ、これならいいかな」と選んで「そうです」と答えるとさらにそこから相手は「そうなのか、それじゃあ〜〜はこうなのか」と話を彼らなりに型どおりな補強をしていってくれる。
実状とは違っていても、「理解できる範囲の話」がこしらえられていく。
例えば「##があったからなのか?」「うらみがあったのか?」「##が嫌いだったのか?」「溜まっていたんだろ」。
ただ単に「過去のシンボルを変えたら何か変わるかな」と思っただけであったとしても。 (2005/02の再録 )
私でこうですよ。
私だからこうなのか?
私よりコミュニケーション能力が弱い人(もしくはコミュニケーションを取り調べ側にうとまれる存在)だったら…
取り調べの過程は記録が残らない。なにされてるかわからない。(p.124 『自閉症スペクトラム』)
陪審員制度、前科がある人間でも、陪審員になれるんだよな?
陪審員には、前科がある人間が一人はふくまれるべきだと思う。
(もとい、前科の有無に関わらず逮捕された経験を持つ人間)
捕まったことがない人間にはわからないよ。「自供」とはなんなのかが。
『自白の心理学』 浜田寿美男著 岩波新書 岩波書店 2001年
『自白の研究:取調べる者と取調べられる者の心的構図』 浜田寿美男 三一書房 1992浅草・レッサーパンダ帽事件の彼は、うまくコミュニケーションがとれないから、コミュニケーションが独特だったから、諸般の結果としてあそこにいた。
彼のコミュニケーションの仕様では、取り調べもうまくいかないし(対話が無理なことは言うに及ばず、現場検証の前に「こうやりなさい」と警察の人からリハーサル練習までさせられたらしい)、弁護士さんとの接見も”接見室の仕様”では取り調べ以上に何ができるわけでもなく、しまいには接見よりも法廷の場のほうが本人の本音があらわに出てしまうという皮肉。
弁護側は、情状酌量を求める方向で彼の「これまでの彼の人生と、これからの彼の人生をトータルに捉えた鑑定」と訴訟能力の有無「コミュニケーションのできない人からなぜ自白が取れたのか」を前に出して争った。
それは「自分は知的障害者ではない。自閉症ではない。普通だ」と主張する彼の意思を 無視 した形で、進められた。
なぜ本人が認めない障害を正面に据えて裁判をやったのか?と言えば、この彼の障害というのを、いまの司法のかかえる問題として普遍的なものだと考えたからです。この人たちの生きにくさ、彼の自閉症からくる生きにくさが、まさに司法の場において如実に出てきます。それは典型的に出てくる、』それは弁護士として面白い問題です。その社会性・対人関係とコミュニケーションの難しさ・ハンディは、司法手続きにおいては著明な障害であり、不利益としてこの人たちが負うことになっています。この問題は、われわれにとって、司法の場で正面に掲げて戦うに値するものだ、と。だから、彼には「ゴメン」と言いながら、彼の嫌な「障害者」として弁護してきました。彼を守るには、彼の理解として彼のその障害の特徴を強く主張していくことが求められている、と捉えたからです。
(p.142副島 『自閉症スペクトラム』)
私たちは私選弁護人で、本人に頼まれてやったわけではなくて、押しかけ弁護人なんですから(笑)。私たちがやりたくて乗り込んでいって、やりたい弁護をして、本人に謝りながらですが、本人が嫌がる障害者のレッテルを貼りながらその弁護をやってきて、正直、いろいろ悔いるところはありますが、弁護として面白かったし、やる意義があった、と捉えています。また、本人は自分で控訴して、「もう一度、弁護してくれ」と言ってましたので、控訴の弁護もしようと思っています。
(p.151副島 『自閉症スペクトラム』)
「しようと思っています」の後、「銃刀法」や「起訴状」や「自閉症」という概念さえもが納得できていないままの本人は、自分から上告を取り下げて裁判を終わらせ、刑務所に行くことを選んでしまう。
勝手な図式(ヨソの社会)に振り回される横暴に耐えきれず、裁判の終結が自己救済に見えてしまったのか。
ヨソの社会。
不幸な図式だと思う。
かの者たちは、共感・コミュニケーションが違うわけで「他者と同じであること」が、ふつうには、なせない。
自閉症スペクトラムを有する人たちは、青年期を迎えると、「社会」というものが回りに存在することに気づき、驚愕を覚えるといわれています。(p.21高岡健 『自閉症スペクトラム』)
他者と同じであること、すりあわせて行動すること、すなわち社会。
社会を守る位置の者たちが、別の社会のものを、自分側の社会のために表象として持ち上げる。
これはイゾラドと同じ構図を持っているんじゃないかと思う。
利益を見出さない場合、救いには来ないのか。
救い方は、救い手の利益基準で終始してはいないか。
共有地の悲劇を回避するためなら、個は利用されてしかるべきなのか。
…私の見方がおかしいのかな。
今の裁判制度がこんなである限り繰り返されるダメダメをなくすためには、誰かが突破口としてノーズアートになんなきゃなんないのか。
冤罪ではない犯罪者だから、ノーズアートに使わせてもらったという部分もあるのか。

新聞記事を読み解く3つの原則
新聞記事だけから、社会事象の本質を見抜くことが可能かもしれない3つの原則があげてある。
高岡健「あとがきにかえて 新聞報道と私たち」『メディアと精神科医』
p.176 -177大意
1.記事から推測っぽい部分を捨てていき、「ここまでは確からしい」とみなせる部分を抜き出していく。
2.個々の記者が「勝負」をかけて執筆したと考えられるレア記事に注目してみる。
3.読み手側の個人的経験や、先入観・偏見とごっちゃにしない。どちらかに肩入れしようとする自分を客観視せよ。「粗野な対立を止揚するため」にも。
日本は、メディアの視野や体力がぼろぼろなんですか?
新聞記事を比較検討すると「取材していない人が書いている」ような紋切り型の記述が目につく。(大意p.131高岡『メディアと精神科医』)
メディアの集中排除原則がなってない上に(p.18宮台 『メディアと精神科医』)、「警察リークの垂れ流し報道」(p.45,60 同書)が多く、誤報や冤罪の温床になっているとの指摘。
海外ウェブではいろいろなネットニュースサイトを比較できて面白いのだけれど、それに比べて日本は報道側の数自体が少ないのか、気の効いた記事が少ないじゃんとは感じていた。
どうなんだろうな、「人口比」で見ると報道機関の”系列数”はむちゃ少ない?
昔から? 昔はそうでもなかった?
新聞社、放送局、出版社の密着、取材・報道の技量が萎えている?
...以下つづき...

萎えてきているという点では、精神医学の現場のほうも、DSM(レッテルやカテゴリー)頼りな施療側の技量低下があるだろうことに加えて(p.37高岡 『メディアと精神科医』)、患者のほうの耳年増自己診断こじれぶりも今どきはかなりのものなんだろうけれど…。
異端者(トンデモ)の勝手な言動が、業界内評判に関わりなく威光暗示さえ伴って闊歩流通している事態はなぜ放置されているのか。
「小田氏の記事は裁判にしたいくらいなんですね。明らかに名誉毀損ですから。」(p.138-139副島 『自閉症スペクトラム』)
● 容疑者の属性
浅草・レッサーパンダ帽事件で、アスペだの、自閉症だの、病名だか症名だかが流れて、単純に思ったのは
「事件報道で流される”容疑者の属性”って何!?」
だったんだが。
よく見かける属性は
・職業
・性別
・年齢
・住所
なんでこんな情報を添えなければならないのか。どういう基準なんだろう。
犯人が「秋田の56才の会社役員の女」と聞かされて、「ああ、それでか!」と思うか?
犯人が「イラク国籍の32才の塗装工の男」ではどうだ?
「精神科に通院歴のある主婦」と「有名進学校の女子学生」では。
容疑者が「自閉症」や「アスペルガー症候群」だと言われて「ああ、それでか!」と思った場合、それはなぜ。
んなこと流すなら、容疑者の
・血液型
・星座
・学歴
・喫煙者か否か
・一人っ子か兄弟の何番目か
・異性愛か同性愛か も全部流しちまえよと思ってみたり。
それらではなく、「自閉症」や「アスペルガー症候群」だという情報が流れたその場合、
・流す側がすでにそれになんらかの犯罪行為との関係性を見出している。
・流す側がすでにそれになんらかの犯罪行為との関係性を見出しているからこそ、
流れた情報なのだと受け手が解釈する。
おっかない。
イゾラドの政治利用や浅草レッサーパンダ殺人事件とは程度は違う、のかもしれないけれど、また別の事件で、これも似た「レッテルの旗掲げ」な横暴さを持っているんじゃないかと思う例。
私は空いた口が塞がらなかったのですが、付添人弁護士が少年に会ったいちばん最初に何をいったかというと、「一生かけて償わなくちゃいけない」と言っている。
そんなことでは、この加害少年が心を開いて付添人弁護士に真実を語るわけがないと私は思うし、大抵の方もそう思うでしょうが、それをいきなり言っている。この事件の本質が何だったのかを考える姿勢が、最初からこの人たちにはないのではないかというのが、私のテレビを観た率直な感想でした。
p.48 芹沢俊介『殺し殺されることの彼方』
その弁護士は次のように発言しています。「この事件がはじめ報道されたとき、日本の多くの母親たちは不安に陥っただろう。なぜなら、普通の少年だとか、成績のいい少年だと報道されたものだから、わが子は大丈夫だろうか、加害者になることはないだろうかと思って恐れを抱いたはずだ」というのです。
ところが、裁判所の決定要旨が発表されたことによって、「いや、そうではない。障害を持った特別の子どもが、特別の家庭の中で育ったが故に起こした事件だということが明らかになった。そこで、多くの母親たちは胸を撫で下ろしているに違いない」という内容を、ご遺族の弁護士がおっしゃっているわけです。
p.52 高岡健『殺し殺されることの彼方』
犯人は「普通の少年、成績のいい少年」であってはならないわけね。
異常者は、明確な異常者でなければならないわけね。
浅草・レッサーパンダ帽事件では、アスペ云々以上の、流れるべきでもはずでもない情報がぼろぼろメディアに流されてしまっていたという。
これは、「自閉症」や「アスペルガー症候群」というからみがなかったら、流れることはなかった可能性は?

追記:
アスペルガーが犯罪につながるというのはガセ
2006/05 BBC News Asperger's 'has no link to crime'

病名という<呪>
人格障害 自閉症 ADHD 前頭葉異常…
「多様な原因による結果」をくくるための呼称だったはずのものが、いつのまにか原因にすりかわり、振り回されはじめる。
事象を納められるレッテル(呼称やカテゴリー)を得るだけで、脳内におさまりどことができるのか、半分以上解決したように思えてしまう、一種のペテン的な方便?
いや、他者と共有できる「位置」が受診という儀式によって示されたことになるのかな。
病院で「病名」を買う。「位置」をもらって「混迷からは抜け出せた」という安堵とともに家路につく場合。
「位置」としての「病名」が、不用意な報道によって犯罪者や異常と重ねられはじめ…
共有できる「位置」、共有できるレッテル(呼称やカテゴリー)、…そこからして何かおかしいような気も、する。
共有しきれないものがあるのを、無理に共有させようとしているような。
善意ではあれ、まっとうな手の差しのべであれ、救いであれ。
共有される…べきか?
まあ、そこを言ったらそれこそコミュニケーションもくそもないんだろうけれど。
コミュニケーション外の、おさまり、そんなことを言っている余裕も何も、ムリヤリにでも「共有」に納めねばならない犯罪者処遇施策のおしらすの場ではかまっちゃいられないのだろうけれど。
共有できない人間を、共有形成で戦う場にシンボルとして担ぎ出す…

読みたかったけれど入手が間に合わなかった本、2冊。


『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』 佐藤幹夫(著) 洋泉社 (2005/03)
『発達障害とメディア』 野沢和弘, 北村肇(著) 現代人文社 (February 2006)
追記:その後、上掲2冊も読了。どちらも、オススメ。


![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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