脳の障害だ、心の理論の障害だ、などさまざまな情報は流れはするが、かといって何が原因なのか、どうすれば状況を変えられるのか、決め手も確証もないままに、混乱が増している現状。(p.17高岡「自閉症スペクトラム入門」 『自閉症スペクトラム』)
新刊情報を眺めていると、自閉症、LD、アスペルガーなどに関する新刊がつぎつぎベストセラー状態になっていることが少なくなく。
こないだ テンプル・グランディンのときに、検索で感覚統合が出てきて、なにか引っかかりを感じていたら、この新刊。ベストセラー。
★人気: 「育てにくい子にはわけがある 感覚統合が教えてくれたもの」 子育てと健康シリーズ 木村順(著) 大月書店 (2006/03)
感覚統合…
先日はこれがあって。
★人気: 「自閉症・こんな治療法があった 見えてきた原因と親にできること」 阿部博幸(著) PHP研究所 (2006/02)
RNAサプリメント…?

自閉症を疾患として捉えた場合、親や家族はなんとか疾患を治そう、疾患をなくそうと必死の努力をすることになる。藁をも掴む思いで、不適切な治療法や根拠に乏しい代替療法を子どもに強いる場合も少なくない。過去から現在に至るまで、特効薬、キレーション、手術などの治療法が入れ替わり立ち替わり登場し、自閉症の人の家族に熱狂や混乱を生じさせていた。
(p.41大屋滋「自閉症のバリアフリーと合理的な配慮」 『自閉症スペクトラム』)
2つ思い出す。
自己救済的あがきと、独善的あがき。しごくテキトーな便宜的命名。
自己救済的あがき
人間は、やれることがないと逼塞してしまう。
何もできない不治の病。何もできない災厄。何もできない悲報。
「何もできることはありません」と言われて、そこでハイそうですかと引き下がっていられるか。
「なにかできそうなこと」に、すがる人々。
なにかすることにすがることで、おのれの気持ちを救う。
何もできないと言われても、抑えようもなく何かをしようとあがいてしまう、そういう傾向を持つリネージがより適応的だった、というヨタはさておきも。
...以下つづき...

不治の病の息子が、「何もしてやれることがない」と悲嘆にくれている父親に対して、死の床から父親の得意な「トランペットを吹いてくれ」(サックスだったかな…?なんか管楽器)と声をかける。目を輝かせる父親。
この段のマエフリには
・自分の残りわずかな余命を前にして絶望しキレまくる息子
・その姿に心切り裂かれる家族たち
・ドンゾコ状態の息子に対し、絶望しているのはオマエひとりじゃない、
オマエに何もしてやれない家族の悲しみを考えもしていないだろう!
という第三者からのツッコミ
があり、死を前にした息子が、あとに残る父親のために「唯一なにかできること」を与えたのだ、という図式になっていた。
なにかできること。
祈りであれ、おふだであれ、お百度であれ、民間療法であれ。
独善的あがき
何をやろうとしているのかも、「何から救われようとしているのか」も二の次に、べつだんどこも悪くもない我が子に、怪しげなものをいろいろ飲ませていた**のことを思い出す。
「自分には〜〜されるべき価値がある」という無根拠な自信に基づいて周囲の意を介さない。相手が何を欲しているかを”相手にたずねもせずに”勝手に規定して押し付けてくる。進路はこれ。つきあうべき人間はこれ。あなたが好きになるべきものはこれ。しまいにゃ画数が悪いから名前を変えなさい。
無根拠な自信。
…あ。これは根拠を二の次にしていたからこそ、無根拠だったのか。
って、よけいよくわかんないぞ。
**はやたら宗教モノが好きだったが、療法ザッピングと宗教ショッピングは通じるものがあったりするんだろうな。
宗教と、無根拠。
今も自分用に高額な健康食品をとっかえひっかえ買いあさっていると思われ。
自己救済的あがきと、独善的あがきは、いっしょにするのもはばかられるほどべつものでもあり、べつものでありながら、なんぼか重なって現れている場合もあり、かな。

【人権?】
現状を変えたいと思う場合、忌避すべき現状、という価値判断は誰が生み出しているのか、どこからもたらされているものなのか。
患児の意思ではなく、親御さんがたが、受診や治療を選択し、与える。そのことについて人権問題、人権侵害の話も出てくる。(p.41大屋滋「自閉症のバリアフリーと合理的な配慮」 『自閉症スペクトラム』)
人権… ?
トロい私は、人権や権利という概念がどうも昔からうまく理解できず。
「根」ではない、何か基盤から遊離した、浮いたもののような気がして。
施策の側、外枠、いや、他人との概念共有の必要性から見ていくと、そういう人権や権利という物言いが生きてくるのかな。
個からすれば、権利などという体裁などどうでもいいような気はするのだが。他者とコミュニケーション・かけひきしていこうとする限り、そういう道具の援用も仕方ないのか。
下記のような指摘も。
輸入「療法」家の中には、残念ながら自分の学んだ「療法」の一方的押し付けしか行わない人々が少なくありません。それらの人々は、苦手さの克服にばかり視線が向きがちです。しかし、苦手さの克服でしか評価されないような人生が、楽しいわけはありません。
(p.20高岡 『自閉症スペクトラム』)
自閉症という<呪>に対抗するための<呪>が、下手な<呪返し>になって、よけいこじれるか。
うむ、人権ってのはよくわかんなくてあたりまえなものであるらしい。

ちょっとほっとする。
特集「人類学と人権」:人権は ヒューマンユニヴァーサルたりえるのか?
2006/05 Anthropology News 47(5)
Fluidity of Human Rights in Practice 人権の流動性 Sally Engle Merry
鵺のような「人権」概念を釘づけようとしても実際的ではない
それより力と資源をめぐるグローバル&ローカル紛争において「人権」がどう立ち現れているのかを見ねば
The Globalization of Human Rights 人権のグローバライゼーション Kamari Maxine Clarke
帝国の遺産:西欧のローカル概念である「人権」が世界を席巻していく
Anthropology and the Philosophy of Human Rights 人類学と人権の哲学 Mark Goodale
西欧的人権概念がローカルの道徳規範を撹乱する場合
人権普遍性の哲学の問題に対しては人類学的にどうこうしきれるものではないが貢献はできるしすべき
Anthropologists Should Participate in the Current Immigration Debate
人類学者は、現在の出入国管理討論に参加しなければならない JC Salyer




『自閉症スペクトラム 浅草事件の検証 - 自閉症と裁判』 高岡健, 岡村達也編 メンタルヘルス・ライブラリー 批評社 (2005/09) [bk1]
『生命の臨界 争点としての生命』 松原洋子編; 人文書院 2005/03 [bk1]
『正常と病理』 叢書・ウニベルシタス ジョルジュ・カンギレム (著) 法政大学出版局 (1987/12) [bk1]

日本的な軽度発達障害?
「軽度発達障害」というくくりは、巷の流行語であって、医学や科学の用語ではない。(p.60生地新「発達障害概念の拡大の危険性について」 『自閉症スペクトラム』)
この新刊もベストセラーになってたけど。
★人気: 「軽度発達障害のある子のライフサイクルに合わせた理解と対応 「仮に」理解して「実際に」支援するために」 学研のヒューマンケアブックス 田中康雄(著) 学研 (2006/03)
巷で高まった需要に対して、施療側・指導側がすり寄ってきてしまうという、どこか本末転倒な。
「製薬会社が病気を作って薬を売り込む」、最近では{社会不安障害}の流れの、ある意味逆みたいな?
ラベリングだけのエスカレート(p.81石川憲彦「自閉症スペクトラムの社会的処遇 発達障害者支援法の成立をめぐって」 『自閉症スペクトラム』)、分類、階層分け、選り出し…
「この範囲の症状」を現す概念だったものが、いつしか「典型的な症状」の概念を与えられ、特定の実態を持つ病気のようにキャラ立ちし…。(「妖怪」の成立経緯みたいだね)
自閉症や精神病とは別の脈絡で見かけた、以下の カンギレムの話は、この混乱の中、ちょっとあざやかで。
はみ出るか否か
市野川氏はカンギレムの論をひく。
・健康とは、枠の中を指すのではなく、自由に枠を出入りできること、枠を作り替えたりできることを指す。
・病気とは、枠からはみ出ることができないありようを指す。
カンギレムは、さらにこうも言う。「病人は、一つの規範しか受け入れることができないために、病人である」。生が一つの規範しか受け入れないほどに硬直化すること、それが病気だとカンギレムは言う。(p.59 市野川容孝「病と健康のテクノロジー」『生命の臨界』)
絵だ。
あざやかに見えた。
異常は正常の外にあるんじゃなくて、正常の中に閉じこめられているんだ!
そんな絵も描けるんだなぁと。
さまざまなありようがある中、特定のありようにしかいられないものを、袋に入れてよっこする。
・正常とは、袋の中を指すのではなく、自由に袋を出入りできること、袋を作り替えたりできることを指す。
・異常とは、袋から出ることができないありようを指す。
受診することによって、病名を与えられることによって、病気になる、病気から出られなくなる、そんな感覚と彩をなす。
ヒト脳って無粋だ。
異端を、どう処理するか。おのれであれ、他者であれ。
異端(自分の側と、そうでない側)にフダを張って、よっこする。
加えて「比較」もし「上下」もつけ、好悪もくっつける。
自分でくっつけたものからのがれようとして、あがきもし。
ヒト脳で思考し、それを他人のヒト脳と共有しようとする限り、こう、ものごとはいちいち便利袋(レッテル、ラベリング、カテゴリー、分類)に入れないとどうにもならないもんなんだろうけれど、袋に入れること自体(ヒト脳的に思考すること自体?)が、すでにものすごく不適切かつ横暴無粋な行為でもあるわけで。

『自閉症スペクトラム 浅草事件の検証 - 自閉症と裁判』の目次は以下のとおり。
●はしがき●高岡健 自閉症スペクトラムの現在
●自閉症スペクトラム入門●高岡健
●自閉症のバリアフリーと合理的な配慮●大屋滋
●"気がかりな"特別支援教育の本質●氏家靖浩
●発達障害概念の拡大の危険性について●生地新
●普通?普通じゃない?●木村一優 スペクトラムを考える
●自閉症スペクトラムの社会的処遇●石川憲彦 発達障害者支援法の成立をめぐって
●小児療育現場の自閉症スペクトラム●坂後恒久
■座談会 浅草レッサーパンダ事件 自閉症と裁判をめぐって
副島洋明・大石剛一郎・浜田寿美男・高岡健・岡村達也(司会)
●浅草・レッサーパンダ帽事件の結末●副島洋明
●あとがき●岡村達也
後半は浅草レッサーパンダ事件が占めている。
他者とのコミュニケーションがスムーズではない(袋から出られない)個人が、おおざっぱなコミュニケーションの場(物事を便利袋に入れたままでしか扱えない)世間、取り調べの場、裁判の場で、なんでこんなされちゃったのか、あまりになさけない展開にどうにもおさまりが悪く、おいおいマジこれしか道はなかったのかよと。
正常としての「情報の共有」基準の非情さに、なにやら右の臑からばかでかいバールを肉にこじ入れられているような、強引なおぞ気が。
![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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