微小な生物にも五分の魂、虫や甲殻類、ナメクジの神経系〜脳を調べてわかることが、さまざまなアプローチでバリエーションも豊富に並んでいる。
脳とは何か、神経はどう発達するのか。
複雑すぎる大きな動物の脳・神経を扱うよりも、ごくごくわずかな神経細胞でみごとな動きや暮らしを見せてくれるこの小さな生き物たちをさぐるほうが、よく見えてくる点がたくさんあって。

『もうひとつの脳 微小脳の研究入門』
山口恒夫, 富永佳也, 桑沢清明編
培風館 2005/04
微小な生物、ちっちゃいものクラブの世界では、おっきい生き物の世界とは当然、もののサイズ・スケールが違うのはもとより、サイズのせいで運動物理もなにもかもが違ってしまうというワンダーランド。
すっごい高いところから落ちてもアリは怪我しないし、鳥のような羽ではばたいても空気が重くて粘って用をなさない、そんな異世界。
まして、小さま生物では神経細胞のサイズや栄養確保との兼ね合いで、我々のような億万の神経からなる、でかくて複雑な脳は、望むべくもないしろもの、いや、まったくもって無用の長物。
ちっさいちっさい図体。
その条件の中で、どうしてこうも巧妙な反応と精緻な生き方を見せてくれる生物たちが成り立っているのか。
p.27
寸法が変わると支配的な力の関係が変わるため,寸法に適した機能や構造があるはずである。自然選択の中で寸法に適した機能や構造を獲得して生き続けてきた昆虫は,1cm程度の小さなマイクロマシンをつくる場合のよい手本になるはずである。
●ザリガニの個々の神経が、体の動きにどう反応し、動作しているのかを調べて参考にしてみる研究者。
●足を動かして移動するロボットを的確に動作させるには、人工知能をどうプログラムすればよいか。
●はなからマイクロマシン作成の手本として探究の対象にされる小さな生き物たち。
●カイコガの行動が見せる電子回路みたいな「フリップフロップ応答」。
●ミニミニ生き物の神経繊維をはさんでとめる、ちょー微細なクリップ。
●蛾が動かしている羽の筋電位を計測するウルトラにマイクロな電極セット。
さらにはインターネットコオロギなるものまで登場するのだが、遺憾ながらこの研究は、ちょっとヤバいのでありまして。
...以下...

p.55〜「昆虫の情動と行動」(長尾隆司)
「隔離コオロギ」のことをはなから「インターネットコオロギ」と命名して研究してしまう点は、過日話題になった「はなから”ゲーム脳”と名づけて研究してしまったトンデモさん」を思い起こさせてどうにも…。
で、ガラス一枚で隔離されて育った「インターネットコオロギ」は、あんのじょう集団生活で育った「集団コオロギ」と比べて、
p.78-79 抜粋
●インターネットコオロギが雌雄関係なく相手を殺してしまうほどの異常な攻撃性を示す
●攻撃性が長く持続し,どんどんエスカレートしていく
●相手が逃走することによって敗北の信号を出しても,攻撃を抑制することができない
●歯止めの効かないインターネットコオロギどうしの闘いは簡単に決着のつかない激しいものとなる
●インターネットコオロギは一度負けてしまうと,それまでの凶暴性がうそのようにまったく攻撃性を示さなくなり,相手が集団コオロギであっても,出会ったとたん逃走するようになる。インターネットコオロギの闘争行動のプログラムでは,抑制機構が動作するための閾値が極端に高く設定されているが,それが一度負けるとゼロレベルにリセットされるのだろう。コオロギの示す攻撃性とは抑制機構が動作した結果であり,攻撃性のレベルは抑制機構が動作する閾値そのものであると考えられる。
●持続的な高い攻撃性の原因が生育時の社会的経験の遮断にあることに,疑いの余地はない。
という研究結果が紹介されるのであって。
いや、研究自体はいいでしょう、たしかにそういう現象もそういう機序もありうるでしょう。
でも。
それを「人間の特定の層を連想させる呼称」を用いてやる必要はあったのか。
過密に個体どうしが触れあう環境は、生物にどのような影響をもたらすかは一概には言えない。特定の種の結果が別の種にも当てはまるとは言いきれない。同じバッタのたぐいであっても、旅行バッタは過密状態で育てれば飛翔多型が現れるが、コオロギでそのような現象が見られるわけでもなし。コオロギはコオロギ。
そも、”インターネットユーザっぽく思えない結果が出た”場合にも、「インターネットコオロギ」という呼称を用いて発表したか。
研究者側の恣意性は、このあたりちょっと頭を冷やして考えてもらいたいところ。
下手な勇み足は、堅実かつ慎重にメディア影響を検証している研究者にとって迷惑千万になりうるので。
社会性を学んでいない孤立個体が示す性向については、馬や犬の場合など、↓第4章に詳しい。
『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』 テンプル・グランディン, キャサリン・ジョンソン 日本放送出版協会 (2006/05) (原書:2004年 Animals In Translation )

●ナメクジ研究にはちょっとびっくらこきました。
p.85〜 微小脳の記憶システム(水波誠/木村哲也)
ナメクジは、あのこまかな図体でりっぱに食べ物の匂いや味を「記憶」してしまえるんだけど、それよりなんと
p.100
学習した匂いで刺激した直後にナメクジを冷却すると,刺激によって誘導された記憶を選択的に消失(逆行性健忘)することができ,この方法を用いて複数の記憶の相互関係を調べることも可能である。
ええ〜っ! 冷やすと忘れる!

この便利(あわれ?)な性質のおかげで、ナメクジさんは記憶研究にたいへん役だっているとのこと。
(ナメクジの解剖ってシロウトには想像もつかないんですが…)

【ちっちゃいものクラブの色覚のすごさ】●ちっちゃいものクラブの色覚のすごさにもビックリ。
p.233〜 微小脳がつくる感覚の世界(蟻川謙太郎)
人間の色覚細胞は、おなじみ赤・緑・青の3種類。
(一部女性は4種類であるという報告もありますが)
p.235 抜粋
●約20年前,鳥類や魚類の網膜に4種類の色受容細胞が発見され,行動学的にも4原色の色覚系が証明された
●日本産のアゲハをよく調べてみると,紫外線,紫,青,緑,赤,広帯域の,少なくとも6種類の色受容細胞があることがわかった。アカネトンボの一種では5種類,熱帯産甲殻類のモンハナシャコに至っては十数種類の細胞があることが知られている。
ええ〜っ! 十数種類の色覚細胞!!!

しかもその多様な情報をちんまりした脳で処理してしまえる!
もう全然違う機序で視覚を処理しているのか、特定の色覚細胞が反応すると、それは忌避行動や採餌行動に直結してたりする?
あわ〜、ワンダーランドだなぁ〜。

一応目次を置いておくけれど、内容は一般向けと言うよりはやや堅物な仕上がり。
1.微小脳システムの分散並列処理機能(高畑雅一/山口恒夫)
2.昆虫の脳からマイクロマシンヘ(神崎亮平/安田隆/下山勲)
3.昆虫の情動と行動(長尾隆司)
4.微小脳の記憶システム(水波誠/木村哲也)
5.ミツバチの脳と社会システム(佐々木正己)
6.微小脳システムと神経伝達物質(宗岡洋二郎/桑澤清明)
7.神経系の形成と機能を制御する遺伝情報(粟崎健/伊藤啓)
8.昆虫の変態と脳の再編成(市川敏夫)
9.微小脳がつくる感覚の世界(蟻川謙太郎)
補章.微小脳の特徴一「おわりに」に代えて(冨永佳也)
内容自体は、お子さまにもわくわくしてもらえるような記述に書き換えて売ることも充分可能ではないかと思えるようないい題材が揃っている。
ロボティクス(ロボット工学)に興味がある向きとか、昆虫に興味津々な人とか、これ一読してみると吉かもしれない。

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