[ EP: 科学に佇む心と身体 ]

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ダーウィン前夜のビジュアル科学史と日本

カテゴリ[科学に佇む2006年] 2006/03/13
 温故知新の逸品2冊。
◆新刊◆新刊
 『科学と宗教 合理的自然観のパラドクス』 J.H.ブルック(著) 工作舎 ; (2005/12) 原書1991:Science and Religion
 『ダーウィン前夜の進化論争』 松永俊男(著) 名古屋大学出版会 ; (2005/12)

 どちらも労作。
 個人的には『科学と宗教』に軍配。

 なぜって、収録されている図版にノックアウトされてしまったもので。
 これこれ。
挿画
ジョセフ・ライト Joseph Wright画 「空気ポンプの実験」
An Experiment on a Bird in the Air Pump
@アート at ドリアン 西洋絵画史

 ●ネット 「アート at ドリアン 西洋絵画史」ジョセフ・ライト作品集(18世紀後半)
 なお、この「アート at ドリアン」さんに展示されている(文章以外の)絵画画像は使用フリーとのこと、むちゃ感激!
 上掲画像は色補正もレベル補正も不適切だけれど、『科学と宗教』所収の小さな白黒写真よりは、細部がよくわかる。
 より細部・暗部の再現性高く取り込まれている画像はこちら。(モアレが出ているのは…印刷物のスキャン?)
  ●ネット Euphrates : William Paterson's Webpage Community のサーバから
  ●ネット 部分拡大図@ArtsReproductions.Com
  ●ネット 部分拡大図@FNArt - art
 うわ。
 実験で肺破裂して殺されているのは白いインコでした(縮小図ではハトか何かかと思っていた)。えらいこっちゃ。

 「空気を抜くと、生き物は死に至るのだ」
 最先端科学の成果として、実験による動物の死にざまをご家族に披露する科学者。
 目を覆うご婦人、忌避のまなざしを送る少女、見せ物に満足するカップル、右の考え込む男性は…感服しているのか、思わず祈りを漏らそうとしているのか。

 当時、上流階級サロンやご家庭では、こんな「先進科学の知見」を実演してご披露下さる科学ショーが流行っていたわけで。ほか、ゲテモノ・大道芸・娯楽の見せ物も巷にはふんだんにあった時代であり、ジョセフ・ライト作品集@「アート at ドリアン」にある他の「実験を描いた絵画」などからも
  ええ〜っ 当時って科学はこうだったんだ!
とものすごく印象刻まれまくり。すごいすごい。

 同じ18世紀、すでに「機械論」が流行り、市井がそれを鵜呑みにしていた状況があるという”実例”も面白すぎで。
一七〇四年、 [〜中略〜] 「機械論的な」自然学ということばが氾濫していたのだ。学者の世界だけの流行ではない。デカルト哲学を聞きかじっていた婦人までもが動物を機械へ楽しげに還元していた。「どうかポーリンにイヌなどくださいませんよう」と、ド・グリナンとかいう婦人がお願いしたという一六九〇年当時の記録が残っている。「宅ではわたしたち人間と同じような理性をもった生き物しか欲しくないのです、(犬畜生のような)機械なんて真平御免ですわ」。
〜p.132 『科学と宗教』

 このあたりは18世紀のロボット事情をいきいきと描いていた
   → 『生きている人形』
も思い出されて「ああ、そうだったのか〜」と感じ入ることしきり。
 『生きている人形』に収録されていた図版も魅力的だった。
 → 科学情報の伝達にはビジュアルはじゃまなことがある とする意見もあるけれども、「異時代」を把握するには、さすがにビジュアルの力はかなり大きいのではないかと。

...以下つづき...

〓〓〓 EP 〓〓〓

一七四〇年代の初めに広まった、淡水性のポリプ、ヒドラが切断されても自己再生しうるという知見である。アブラハム・トレンブリーのこの驚くべき発見からヨーロッパじゅうにポリプ切りが流行し、R'A・レオミュールのように、何百回も実験を繰り返してその結果をパリ科学アカデミーヘ報告した学者もでる始末だった。
 〜p.192  『科学と宗教』

 18世紀の学者の間で ポリプ切りが流行った!hyaaa
 それも、「二つに切断された体がそれぞれ自己再生してしまう場合、魂はどうなるのか」という、マッコイかよ!(スタートレックの転送で魂はどうなるのかと悩む)みたいな宗教的陥穽に、学者さんがたが、たからずにはいられなかったという…。

◆90表紙
 『科学と宗教 合理的自然観のパラドクス』
 J.H.ブルック (著)
 工作舎 ; (2005/12)
 [bk1]


 理路整然としたクールな釘刺しがすごい、記述がていねいでわかりやすい。
  ・「科学」と「宗教」を区別しすぎるな。
  ・宗教におもねり寄り添い混然と織りなされて今まで来ているのが科学の実態。
  ・近代科学こそが”脱宗教”の原動力、のたぐいの先入観は捨てよ。
  ・「現代の知識を尺度にして先代の学説を評価」すべからず。
  ・「善玉か悪玉」のような浅薄な単純化をするな。
 あたりまえといえばあたりまえなのだが、このあたりまえを、かようにあらためてきっちり記してくれているものにはなかなかお目にかかれず。

 人類の起源に関して繰り広げられたハクスリーとウィルバーフォースの論争@一九世紀イギリスは、国家の知的生活に関する支配権を聖職者が失いつつあったその時代の状況をふまえるべし。p.56
 科学と宗教を混同するなと説いたフランシス・べーコンやボイルにしても、実際には宗教と言うよりは、当時の宗教内の魔術流行を指して警告していたのであって。p.80

アンカー 【自由意思】

 もひとつ「そうだったのか!」と感激したのが、自由意思の件。
 前々から、頭がトロい私は、キリスト教圏の方々が見せる異様な「自由意思」執着がさっぱり理解できず。
 おりおり教授さんがたや学術ML、海外在住の日本人研究者さんなどに「自由意思執着が理解できないんですがぁ」と投げてみたりしていたのだけれど、誰も教えてくれなかったもしくは無視スルー、ウェブを覗いてもさっぱり要領を得ずだったもので、「自由意思とは何か」をおぼろに私にわからせてくれた記述(p.160)に感謝してみたり。
 そうか、「自由意思=神の有無と直結」、表裏一体なのか!
 自由意思さえあれば、神があるっぽいということなのか。なんでまた。
 …そこまで神を希求なさるありように、哀れささえ感じてしまうのは、まだ私が状況を把握しきれていないゆえ?

 当然のことながら、社会動勢を巻き込みながら繰り広げられた19世紀末の進化論論争についてもかなり紙数をさいている。
 政治とのからみ、国ごとの各宗派ごとの時系列を踏まえた変化、科学がごっちゃごちゃな思惑の中でつつき回され右往左往しているさまがよくわかる。
 記された釘刺しを踏まえた、科学史の解き明かし。
 末尾には社会生物学以降も述べられて。
 すごい。
 原著は15年も前に出ていたのに、どうして今まで邦訳が出なかったのか。

〓ガラス棒〓

◆90表紙
 『ダーウィン前夜の進化論争』
 松永 俊男 (著)
 名古屋大学出版会 ; (2005/12)
 [bk1]


 こちらは「ダーウィン前夜」の19世紀に的を絞った著作。
 各論をよく追い見てはいると思うし、日本人が記したブラボーな労作だとも思うけれど、個人的には『科学と宗教』にノックアウトされたので、ちょっと物足りない。
 追ってはいるけれど、詰めてはいない、そして、関係者の言動はともかく、無関係者、つまり当時の社会状況、社会リアクションが、言及しているようでいて、実は抜けている?
 文壇の上澄みだけすくっている、みたいな印象になってしまっているのはなぜ。
 安易な推論「一般の読者も〜〜だったろう」p.12とか、「発行部数」だけで市井のリアクションを判断してすませているとか。息づかいがない。

 あと、なんか半端な諦観がちょこちょこ顔を見せているんだが、これは何だろう。
 安易に現代に引きつけすぎている記述もあるし。

 市井の光景は登場しないが、各論者の肖像は登場する。
 その中、チェンバースの肖像が、現代の某チェンバースさんにそっくりでase、うわ〜、→ 『アダムの呪い』 の「苗字が同じならY遺伝子も同じかもよ」が思い出されてちょっとツボ。

 『ダーウィン前夜の進化論争』の欠点部分は、『科学と宗教』がおぎなってくれる。
 『科学と宗教』の西洋的カラーは、『ダーウィン前夜の進化論争』で噛み砕くことができる。

 両者読み合わせると吉。

〓ガラス棒〓

 …あちらの科学には<呪>がかかっていると思う。
 ひるがえって、日本はどうか。

▲アンカー 日本的な科学受容

 『ダーウィン前夜の進化論争』は末尾で、なぜ日本では生物学の専門的な研究が進化論と拮抗しなかったのかを考察している。
 ・日本には「不変の種」的な観念がなく、ほとんど進化論に抵抗はなかった p.229
 ・ものごとをトータルに体系的にとらえようという西洋的な発想が日本にない p.230

 似た指摘を手元のメモから拾ってみると、
●本ミニ勝又義直 著 『DNA鑑定 その能力と限界』 p.227-228
 ・日本では,新しい生命科学に基づいた人類遺伝学の教育はほとんど行われていない。
 ・ ELSI(倫理的・法的・社会的問題)さえないがしろのまま、規範あとまわしで知識だけ詰め込んでいる。

●本ミニ 荒川紘 著 『東と西の宇宙観 西洋篇』 p.305-306
 ・日本人はどんな宇宙観にも寛容であるなど、総じて原理的な問題に関心をしめさない傾向
 ・理解できなくても素直に新奇なものを受け容れてしまう
 ・規則や倫理より、目の前の現実を優先させてしまいがち

 …なにやら
  ・個が主体的に行動する上での原理規範が必要な西欧
  ・場の中で依存的にふるまう上での順応第一な東洋
のような 戯画 がまた浮かび上がってきそうな。

〓ガラス棒〓

 ついでに、
 現在では日本にも生物進化の専門家といえる研究者が生まれている。彼らが進化論の解説書を出すこともあるが、それが広く読まれることはない。逆に、現代生物学の成果をろくに理解していないジャーナリストの著書が驚くほどの売れ行きを示し、間違った知識を広めている。一九世紀のイギリスの状況と同じである。
 〜p.232  『ダーウィン前夜の進化論争』

 上で紹介した「犬を機械扱いするご婦人の例」などを挙げて
  『一七世紀に勃興した機械論哲学の痕跡が、
   「遺伝子工学」というようなことばや人工知能コンピュータの記述に
   息づいているのは明らかだ。』
と述べた『科学と宗教』p.132と呼応して、なんとなく”個々の俗なる人間がよってたかって形成している科学”というか、今も昔もなありようが、ML上のとっちらかりと重なって、なにやら物悲しく見えてくる今日このごろ。





メタル
[カテゴリ 科学に佇む2006年] : 2006年03月13日 
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