
中公新書
『感性の起源 ヒトはなぜ苦いものが好きになったか』
都甲潔著
中央公論新社; 740円 2004/11
[bk1]
まえがきii
科学技術は人を幸せにするためにあるはずなのに、決して人を幸せにしていない。なぜなら人の「感性」を無視しているからである。「感性」とは、人のもつ感情や抱くイメージ、感受性のことである。こうあってほしいという気持ちを無視しているのである。
いやあ。
わざと無視しているわけじゃなく、配慮しきれてないとか、見えてないだけとかでしょ。
p.25-26で、西洋における五感の優劣が紹介されている。
最も優れた感覚は「視覚」、次に「触覚」「聴覚」があり、「嗅覚」「味覚」は賤しい感覚だとされるんだそうだ。
優劣の根拠として、快楽蔑視の価値観から来るのだとか、肉体蔑視とか、西洋の事情が紹介されるけれど、その中メインとして客観性基準が紹介されている。
視覚は対象物に影響を与えずに情報を得ることができる。
聴覚・嗅覚は対象が知覚できるものを出しているときのみ。音・匂いを出させるために手を加えねばならない場合、そのぶん客観性が減る。
触覚・味覚は対象に接触しないとダメ、そんなことをしたら対象と観察者に作用が及んでしまうことになる。
それに加えて、五感優劣の、より通文化的にとおりがよさそうな理由として、危険基準が挙げられる。
「視覚」は離れた距離から察知できる、最も安全な感覚機能。
「嗅覚」「味覚」は、直接対象の物質を体内に取り込まねば感得できないものであり、下手をすると命に関わるリスクをはらんだ感覚機能。そのぶん快・不快の情動と強く結びついている上、客観性もそこなわれる(対象と観察者が相互作用をしてしまう)ため、情動を貶め、客観性を尊びがちな西洋哲学ではこんな順位になってしまうのだと。
このあたりの話はこの本から来ているのかな。
「感性の窓を開けて」増成隆士著, みすず書房, 1997
「情動」と「理性」の対立や、西欧の「情動」を貶める偏向について述べていたのは別の本。
それに対するわけじゃないだろうけど、『感性の起源』では、「感」がはらむ「感情」と「感性」の違いについて、感性イコール感情、ではなく、感性=「静かな感情」だろうと推察し、「西洋生まれのサッカーは感動を生むが、日本生まれの武道は感性に染み込むものがある」(p.14)と持っていく。
あれれ。
そうか?
なんか、それはいくらなんでも東西対立枠組みのムリヤリな再生産媚び媚びな気がするんですが。(昨日
大城信哉, 小野功生著『図解雑学・ポスト構造主義』ナツメ社 (2005/12) を読んで「こりゃわかりやすい!」と感動したとこなので
)サッカーはハレだから、日本で言えばハダカ祭やだんじり祭みたいなもんじゃないのか? サッカーの対比相手は武道じゃないだろ。
武道を出すなら、あっちの騎士道やフェンシングあたりと対比させるべきじゃないか?
ねえ。

ディラン・エヴァンズと言えば。
漢字の「甘」は赤子の口がオッパイを含んでいるさまに由来する
との旨、記している。(p.2)
が、都甲潔著『感性の起源』では、
「甘」という文字は、大きく開いた口の中にもの「一」を入れた形を表す指事文字である(p.94)
と述べている。
あれれれ。
どっちが正解? 誰か「甘」字の起源知らない? 白川解釈ではどうなってる?
「甘」は口などではなく祭祀容器に何か(甘いモノ?)を納めているさまのような気がするんだが。

この本、中盤で 「粘菌」の感性について大幅に紙数をさいている。
その道の人には興味深い知見が記されているんだろうけど、知見の解釈に「そうか?」みたいな説得力弱いところがいろいろ。
「粘菌は計算ができる!」粘菌が迷路を最短で結ぶ現象のことをそう解釈しているけれど、単に律動の方向に反応して移動していくとそうなるだけじゃないのか?
「粘菌は記憶ができる!」生化学反応の蓄積を記憶と称するのってありなのか???
粘菌に思い入れなさる向きは多いけど、「感性」に関する本でこの生物を取り上げることは適切だとは思うけれど、なんかこの持って行き方は「ちゃうんちゃう」みたいな感じがする。
p.50
勇を奮ってキニーネヘ突進し、その先へ行ってしまう粘菌の一部分と、「危ない」と賢く察知し、後ろへ戻る粘菌の一部分がある
この表現もなんだかなぁ。
...以下つづき...

これはどうなんだろう。
p.107
ヒトの嗅覚感度が鈍いのは、外界情報の多くを、発達した視覚から得るようになったことが一番の原因と考えられるが、最近興味深い説が提示されている。それは、人類が一夫一妻制をとるようになるにつれ、排卵を隠すようになったからだという説である。夫婦以外の他人が排卵を匂いで嗅ぎつけると、相手によっては困るのである。つまり、健全な社会を成立させるために、人類は嗅覚を鈍化させたというのである。社会規範が私たち生物の構造までも変えた。
[〜中略〜]
いまから三〇〇〇年以上も昔に盛えた中国殷王朝の陵墓においては、犬が埋められていた。犬は鋭い嗅覚をもつ。そのため、犬を用い、人にのろいをかける存在である蠱(こ)を防いだのであった。豕(ぶた)も同様に嗅覚が鋭いので、祭祀の際の犠牲とされた。
なんか違わないか。そういう話だったっけ?
排卵については「ヒトは実際隠しきれてない」し、性器腫脹はチンパンジーとボノボの話なのであって「女性が排卵を隠すことは、単に、広範囲の原始的霊長類の特徴の保有」とする見方もあるわけだし。(〜p.55 クレイグ・B・スタンフォード著 「狩りをするサル:肉食行動からヒト化を考える」青土社 2001/04 原書1999/Hunting Apes)
イヌ・ブタに関してはこれは嗅覚云々以前に、五行思想の影響ではないのか?
ほか、後半の嗅覚に関するくだり、興味深い知見も紹介されているのに、おおざっぱすぎる論展開で引いてしまう箇所もあり、う〜ん
、こなれきれてない感じ?嗅覚関与ヒト遺伝子 推定1000個
聴覚関与ヒト遺伝子 推定50〜100個
触覚関与ヒト遺伝子 推定20〜40個
味覚関与ヒト遺伝子 推定30個
視覚関与ヒト遺伝子 推定数個〜10個台
という数値は面白いです。嗅覚ダントツ。
感覚機能を「五感」として並列させること自体、五行思想なみになんかもともと無理があるのかもしれないと思えてきたり。

ツッコミ癖からいらんこといろいろ書いてしまったけれど、この本自体は740円と手頃に安価&コンパクトで、新しい知見も情報も詰め込まれているし楽しめるし、価格からすれば入門や雑学に、コストパフォーマンス的におすすめできる本じゃないかな。

![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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