『DNAから見た日本人』と
『Y染色体からみた日本人』には「渡来人負け犬説」が登場する。この呼称は私が勝手につけた。しかし。 なにこれ。 最近流行ってんの?
ちくま新書 『DNAから見た日本人』
斎藤成也著 筑摩書房 700円 2005/03
p.52〜
住み慣れた場所から新天地に移動する場合、それらの人々は、基本的にはもとの土地でなんらかの問題があった、いわば「負け犬」ではなかろうか。
アメリカ大陸への移民を考えてみよう。コロンブス以降、多くの人々がヨーロッパから新大陸へ移民したが、その大部分は欧州で食っていけなかったからではなかったのか。メイフラワー号に乗ってきた清教徒も、イギリスではやっていけないと感じて、新天地をアメリカに求めたのである。
大規模な移住に関しては、基本的には同じ論理が、どのような時代や場所であってもあてはまるだろう。例外的なのは、軍隊などによる組織的な侵略である。しかしこの場合は、勝利した暁には祖国への帰還を前提としており、行ってしまったきりの移民とは異なる。
このような考察から、アフリカからユーラシアヘ移動していった初期の人間たちも、ある意味で、当時の「負け犬」だったのではないかと私は考えている。
『Y染色体からみた日本人』 中堀豊著
岩波科学ライブラリー 岩波書店 2005/09
p.115(あとがき)
語ったように、日本の男性は大陸の落ちこぼれである。一度目の落ちこぼれである縄文人と、二度目の落ちこぼれである弥生人が、互いを滅ぼしてしまうことなく共存したのが現代日本の男性たちである。まさに、窓際族同士仲良く机を並べて、極東の小島で自然の恵みを享受し、自然に従って生きてきた。互いの言葉も融合させてしまった。日本人は自分たちがほぼ単一の民族だという意識をもっているし、言葉も日本中で共通に使っている。同じアジアの島国インドネシアでは人々はたくさんの民族に分かれていて、それぞれ違う言葉が使われているのだという。彼我を比べてじつにありがたいことだと思うが…
えーと。
自虐史観がどうの以前に、なんつーか、短絡? 安直? 思考停止?
「縄文 負け犬」で検索。
あああ、これか!
「第6回 負け犬、いいよねぇ」 ほぼ日刊イトイ新聞 - はじめての中沢新一。 2005-09-27中沢新一もぶっているのか。
糸井「生物の進化の歴史は、負け犬の歴史、だもん。」
糸井「負け犬がトクなんだね。」
…ひどすぎてこっちが思考停止しちゃいそうだ。

進化に勝ち負け。
ほかの検索結果は…
ん? 「縄文 負け犬」呼ばわりは、その「ほぼ日刊イトイ新聞」しかないのか?
ほかにページある?

●進化における勝ち負け/勝ち負けというローカル性
「勝ち負け」というくくりは、「科学的」な物言いではない。
「勝ち負け」という概念は、人類共通のものではない。
「勝ち負け」は、特定の文化でのみ、有効な概念。
【福井勝義】によれば、ボディ社会(@エチオピア)は首長の交替時期に近隣の農耕民を大襲撃する、これは集団の排他性を示し新たな統一的社会を形成再生する効果があると見ることもできる、とされる。しかもこの社会、「倒す」、「追う」、「追われる」という概念はあっても「勝つ」「負ける」という概念がないとのこと。
(国立歴史民俗博物館監修「人類にとって戦いとは 1 戦いの進化と国家の生成」 東洋書林 1999 末尾の総合討論より)
かくのごとき意味体系の中ではそも「闘い」や「戦さ」という概念が大幅に様相を異にしていることも考えられるわけで。 勝ち負けという概念が通文化的ではないようだというこの事実、ちょっと肝に銘じておいたほうがいいかもしれない。
( 2004/07記)
異文化、異時代を、おのれ基準で安易に推測して意味レッテルを張り付けるのは無礼千万無粋の極み。
死人に口無し?
亡き民族は見も知らぬ世代に言われほうだい?
異文化、異時代を、尊重せよ。
現世で言う「勝ち負け」は、異文化、異時代には通じないかもしれないことに加えて、科学(進化学)においても、適応度(繁栄力)と現世的「勝ち負け」は比例していないことが多い。
実際には繁栄していても巷は「弱者」とみなしたり、繁殖度で「負け犬」とみなされてもミームで勝っていたり。
「負けるが勝ち」もざらなことで、視点によっていかようにも見えてしまうこともある。
安易に混同するな。
”進化における現象”と、巷の「勝ち負け」は、ベツモノ。
そのあたりを混同したり、一面的な物の見方で断定してくれたりすると、すてきなトンデモができあがるし、しかもこれよくある悪しきパターンだし。

無粋な浅慮はなしてはならないことを、しかと踏まえていらっしゃる先生はこちら。
森浩一著
「海から知る考古学入門 古代人との対話」
角川書店 2004/12
森浩一著「海から知る考古学入門」 p.16-17
「続縄文時代」という場合、"本州島や九州島が弥生時代になってもなお縄文文化が続いている"というような地域にたいする差別意識から生れた用語とみていて、僕は使わない。考古学用語を自分の頭で点検しないで使っている人もいるが、最低それぞれの用語のもつ意味や命名の背景を自分で一度濾過しないようでは、研究者としてふがいない。
[〜中略〜]
考古学は地域学の核となりうる学問であるが、そのためにもある地域にたいして優劣をまじえて臨んでは出発の時点で失格している。
もし続縄文という発想を使うとすれば、九州や近畿の弥生時代も時間的には縄文時代に続いているのであって、ことさらいう必要のない言葉である。北海道考古学で、この学術用語を学史上のこととできるようになったとき、考古学は地域史の核となるだろう。
そう。この感覚。
安易に他の文化に引きつけない、無為な優劣を振り回さない。
学究者のふまえるべき姿勢。

●移住のタイプ
どの時代、どのケースも、「移住者は負け犬なのだ」とみなしていいのだろうか?
未知の世界に移住していく者は、みな負け犬?
月面に移住する時代が来たとき、月面移住者は負け犬?
まず、森浩一氏に倣って、移住のタイプを2種類に分けて考えてみると。
...以下つづき...

個人または集団が、居住地を離れて新たな土地へ移り住むことを移住としよう。その場合、先の居住地を故郷(本貫/ほんがん)として、そこに住む縁者たちとさまざまの繋がりを保ちつづけることがある(移住A型)。
これにたいして故郷を棄てるというか、先の居住地との関係をたち切って移住してしまう場合もある(移住B型)。藤原京から平城京、平城京から長岡京、長岡京から平安京へのいわゆる遷都は、僕には移住B型とうつる。
〜p.25 森浩一著「海から知る考古学入門 古代人との対話」角川書店 2004/12
屯田兵や私は、移住B型:故郷捨てました型。
コロンブスやザビエルは、移住A型:故郷は捨ててはおりません型。
故郷は捨ててはおりません型:
華僑も入るかな 宣教師、占領軍、左遷、派遣、出張、遠征…
故郷捨てました型:
エクソダス、亡命、入植、追放、被災地からの脱出
故郷捨てました型も故郷は捨ててはおりません型も、それぞれさらに下記2種類を含むような気がする。
エリート型サブタイプ:
有能な者が有利な地へ移動する
リスクテイカー型サブタイプ:
現状固執よりも、リスクをおかしたほうが有利かもしれない可能性をとる
もしくは好奇心と冒険の愉悦に惹きつけられる
●月面進出はどうか
この場合、故郷捨てました・エリート型はありえる。
資産があり、パラダイスな環境を地球外にこしらえられるなら、あっさり地球暮らしを捨てて外宇宙な余生を満喫なさるかもしれない。これ「負け犬」と称せるか。
●古代ではどうか
海を越えて日本列島に至った者たちは、遠洋航海に耐えられるほどの「船」という資産を持ち渡航技術を持っていた人々だ。
本当の意味での負け犬は、移動もせずに逆境の地に留まったままあっさり血脈が絶えているだろう。
故郷は捨ててはおりません型のエリートも日本に来ていただろう。
西方浄土感をかかえたまま、沿岸を行き来し、種を落としていく海洋民族たち。
●冒険をいとわない性向
世の中には引っ込み思案な人、保守的な人がいる一方、リスクに物怖じしない、リスクにワクワクする人々もいらっしゃる。
冒険好き、刺激好きな人(リスクテイカー)は、「新奇追求傾向」が高い遺伝子をお持ち。
移住を選ぶ人間は、もとより「新奇追求傾向」が高めな人々だったとみなすことができる。
北アメリカ植民者の末裔や、南アメリカのネイティブは、実際遺伝的に「新奇追求傾向」が高めな人々が多い。
テリー・バーナム/ジェイ・フェラン著「いじわるな遺伝子 SEX、お金、食べ物の誘惑に勝てないわけ」日本放送出版協会 2002/01 (原書2000/Mean Genes)
p.109
こうした人々に特有の遺伝子を、メディアは"新しいもの好き"遺伝子と呼ぶ。最近の研究によって、ある集団内にこの遺伝子をもつ人々がどれだけいるかと、その集団の移住距離とには密な関係があることが証明されている。人類は最初アフリカに発生し、その後世界中に移住していったことを思い出してほしい。その移住先の中で、いちばん遠かったのは南アメリカだ。人類はアフリカからアジアを通り抜け、陸の橋を渡って北米にたどり着き、そしてはるばる南米までやってきたのだから。
南米の先住民は、何千年もかけて移動に移動を重ねてきた人々の子孫だ。そして、これら南米の人々の三分の二は、先の"新しいもの好き"遺伝子をもちあわせている。この率は、どの民族集団と比べてもいちばん高く、四人にひとりしかこの遺伝子をもちあわせていない現代アフリカ人やヨーロッパ人と比べて格段に高い。
ステータスや生活の保証がさだかではない場に、おのれの将来を賭けることをいとわなかった人達の子孫。
そしてみごとに新天地での適応的な生活を編み出した人達。
冒険心にいざなわれた人々は「負け犬」なのか。

ところで、屯田兵以降の移住者のかたまり北海道人も、「新奇追求傾向」が高めであり、内地の人間に比べて「新しもの好きでおおざっぱ」という妙な風土を醸している。
ブログピープルの「ご当地ブログ」コーナー、北海道のブログ数が異様に多い。
東京都(4330)
神奈川(2171)
大阪府(1754)
埼玉県(1133)
北海道(1102) 全国5番目!?
千葉県(978)
愛知県(927)
兵庫県(872)
これ誰か人口比出してみて。
どさんこの、新しもの好き手を出したがりが現れているのかも。
いつだか福島の人に「インターネットなんて恐ろしい」とか言われたことがあって、その超保守傾向に閉口したことがあったりしたんだけど、北海道以外の”普通の田舎”は人口比ネット発信率はずっと低いんじゃないか。
コロンブスやザビエルの時代、渡航は非常に危険な行為だった。
海経由の貿易が盛んであったにもかかわらず、長航路の貿易船に乗り組んだ3人に一人は、生きて帰ることはできなかったという。
3割死亡(!)。
そしてそのリスクをおかす価値があるほど、よほど儲かったか名誉があったか「冒険の愉悦」があったかしたんだろう。(ご先祖さんったら
)
移住=負け というものの見方をしたいのであれば、人類発祥の地アフリカの人々が最高の勝ち組と言うことになるわけだ。
それはそれでいいんじゃないかな。
もし「アフリカの民が最優秀者」だとすることに違和感を感じるのであれば、そこに西欧中心視点の影響はないのか、考えてみるのもいいだろうし。
●<呪>のかけ合い
自分の都合で何かに社会的な意味を押し付けることを<呪>と呼んでみるとして。
日本に住む人間は、米国と比べると(いや米国が高すぎるのかもしれないが)新奇追求傾向の高い遺伝子を持つ人の割合は低い。保守的。
無為な<呪>の掛け合いに参戦するなら、移住してきた祖先ではなく、今の日本に残っている者こそ、冒険心(可能性)を失ってくすぶっている負け犬かもしれない。
超な探究意欲を持った者たちは、閉塞的な封建時代に不適応を起こして殺されていたり、とうに他の地に去っていたりするだろうし。(その行き先が死の補陀洛浄土であったとしても)

しかし「古代の日本への移住=負け犬」という表現がもたられされて、それをどう扱うかで各人各様えらいレベルの差があるような。
「わかっている」人の間では、実はメタな相対化で茶化して胡散できちゃってるのだとしても、
例:上掲
「第6回 負け犬、いいよねぇ」 ほぼ日刊イトイ新聞「わかってない」人は平気で『Y染色体からみた日本人』(徳島大教授だが考古・文化・社会については素人)のごときずぶずぶなご無礼に持っていってしまうわけか。
おのれの現世の無粋な色眼鏡で染めた解釈を振り回す、そんなことを飽きずこりず繰り返してきたのが考古学だったような気もするけれど。
安易に異時代を自分に引きつけるな。
アイスマンに対する無礼もそう。
死者よ。 抗弁せよ。

日本人が勝ち組だ、とか言いたいわけじゃない。
<呪>のかけ合いと、科学は区別してくれ、と言いたいだけ。
なお、このエントリで挙げた書籍のうち、尊敬したのはダントツ森浩一氏の『海から知る考古学入門』。
たぶんまたあとで別途エントリ書きます。
書きました。
斎藤成也著『DNAから見た日本人』は詰めや見聞が甘いところがある。
で。
中堀豊著『Y染色体からみた日本人』は、私的には「ト」と評価。
知識はあっても、知恵が伴っていないという好例じゃないだろか。
冒頭の簡単な抜粋からもじゅうぶん見て取れるように、偏見&無粋にうかつな表現多々。
いろいろツッコミながら読むことができます。
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