倫理・生命科学・遺伝子操作などについて一言語りたい向きは、無理をしてでもこれ目を通しておいたほうがいいかも。(遺伝学初心者には少々つらい内容かもしれないけれど)
高額な一品なので、図書館チェックが吉。

『DNA鑑定 その能力と限界』
勝又 義直 (著)
名古屋大学出版会 ; (2005/10)
[bk1]
内容はそれこそ表題のとおり『DNA鑑定 その能力と限界』。
DNA鑑定の実状・現状がよくわかる、いろいろな面を、広範囲に記してある。
日本のDNA鑑定現場のごく初期からたずさわってきたその道の第一人者が執筆。
日本法医学会理事長。
DNA鑑定の歴史、解析の現状、使用する機器、素材、手法、鑑定にまつわる種々の問題点、DNA鑑定ができること、できないこと、わかること、わからないこと、そして、鑑定(診断)結果の告知・伝達やカウンセリングの実例まで取り上げ網羅しているという親切さ。

●現在主流のDNA分析キットは1ng以下のDNAでも十分分析可能!
(ng ナノグラム=1000000000分の1g、10億分の1グラム)
●試料の細胞がわずか20個程度であっても、遺伝子は分析可能。
理論的には細胞1個からでもOK。
●毛髪からのDNA鑑定は、意外と困難。
毛髪DNA検査の成功率を上げるための薬剤が市販されていたりする。
●ホルマリン漬けの標本はなんとなくDNA検査しまくれるような気がするけれど、実際は、薬剤がDNAを分解してしまうのでほとんど鑑定不能なのだそうです。
●DNAの変質防止に最も有効な方法は、-80℃程度の超低温保存。
一般には、試料は乾燥していたほうが、DNAの損壊は少ない。
●市販のDNA鑑定キットには、黒人・白人・アメリカ原住民(アジア系)とヒスパニック(アメリカ原住民と白人の混血)の判別用試料がついている。
へぇ〜。
●服役している囚人の中に、無実の罪で投獄されている人はいないか、DNA検査で調べなおす「イノセンス・プロジェクト」と、それによって実際に「無実が証明されて釈放された」大量の人々の話については

DNA鑑定は、イコールDNA診断ではない。DNA鑑定は、血がつながっているか、この人は証拠物件の体液や毛髪の持ち主か、を判別する。
DNA診断は、病気を起こす遺伝子があるかどうかを調べる。
鑑定(個人を特定する調査)は個人の遺伝情報全部を用いるわけではなくて、病気や体質とは特に関係のない部分のDNAだけを使って行う。
「診断」には使えない部分で「鑑定」をやるわけで、遺伝子捜査やDNA鑑定をされても「この人はこんな癌に罹りやすい」みたいな健康情報までわかるわけではない。
特に何を表すでもないDNAパターンで、個人を見分けることができる。
これは「特に何を表すでもない指紋」を使って個人を特定する感覚に近い。
ふむ。
それじゃ、警察が推進している捜査用のDNAデータベースはどうなんだろな。
容疑者DNAデータベース 登録、来月から
2005/08 【日本語記事】 読売
2005/12の時点で、DNAデータベースを用いて「32件の容疑者特定」にこぎつけているらしいけれど。
追記:
DNA型情報DBで245件の容疑者特定 警察庁まとめ
2006/03 【日本語記事】 asahi.com
ジャンク以外の、健康情報などまでをも含めたDNAデータまでのきなみ網羅するんだろうか?
それとも単に個人同定に足りる程度な、例えば”15ローカスのIdentifilerキット”用みたいな部分の情報だけ、集めているんだろうか。
ああ、書いてあった。
とりわけ,強姦事件は同一犯人が繰り返す例が多く,このような犯罪者DNAデータベースはきわめて有効と考えられた。
このようなデータベースでは,検査されたSTRローカスの型判定結果が入力され,必要なときに照合される。したがって,入力データは非コード領域に限定されており,遺伝的資質による差別をもたらす心配はない。ただ,この遺伝情報は本人識別を極めて高い確度で行うことが可能であるほか,家族の情報も一部は入るなど指紋とは異なる性質も持っている。また,捜査の過程では比較対照のために被疑者でないヒトの検査もかなり行われ,それらの管理が問題となる。
p.151 『DNA鑑定 その能力と限界』
非コード領域とは、つまり、個人の身体の特徴や病気のかかりやすさなど重要な役割は持たない、ツナギのDNA部分、いわゆるジャンクDNAのたぐい。
DNAを履歴書に喩えるなら、警察がデータベースに集めるのは履歴書用紙の枠線の太さやレイアウトであって、学歴や賞罰の内容ではございませんよと。 ああ・・・ちょっとたとえが悪いか
もっぺん。
DNAを音声テープにたとえるなら、警察がデータベースに集めるのは誰も何もしゃべっていない無音のバックグラウンドノイズの部分であって、しゃべりの内容や音量声質などではありませんよと。
指の指紋が、持ち主の将来について何も語らないのと同じようなもんだよと。
「非コード領域」部分だけ集めたデータベースは、指紋以上に、個人の特定に威力を発揮する。
犯罪捜査用のDNAデータベース、威力発揮中
イギリスの全人口6000万人中、すでに5%ぶんを集積
2005/04 FuturePundit: British DNA Crime Database Ups Crime Clearance Rates
「自分の遺伝子情報は渡さないぞ!」と拒否していても、血のつながった誰かさんのDNA情報がデータベースに登録されていれば、「これは**の血縁者に違いない」とイモヅルされることもあるわけで。
追記:
親戚のDNAデータから犯人をイモヅルしうるという捜査倫理問題
2006/05 BBC News Kin search 'could trap criminals'
2006/05 PhysOrg.com Using kin's DNA to find criminals focus of study
DNA捜査の先進国イギリス。
...以下つづき...

DNA鑑定発祥の地であるイギリス
・まずは重大犯罪の被疑者から「同意なし」の資料採取を開始。
・はじめのうちは、登録は有罪確定者のものか未解決事件の現場資料に限られ、
無罪となった人間のDNA情報は破棄されるはずだった。
・その後、犯罪無関係のDNAも集積されるようになったり
「いったん提供に同意したら撤回できない」とされるなど、
もはや「犯罪者DNAデータベース」ではなく、
大規模な「国民DNAデータベース」さらには「ヒトDNAデータベース」に変貌していく。
悪い人を捕まえるためだけのはずだったのが、罪があろうがなかろうが、そこらじゅうの人たちの遺伝情報をにぎりまくるぞとなんかすごい規模に爆発中。
2008/01 【日本語記事】 UK Today (JAPAN JOURNALS)
「こんなつもりじゃなかった」――DNAデータベースの開発者、政府の方針を批判
1984年にDNA登録システムを開発したという、レスター大学のアレック・ジェフリー教授
当初の意図からかけ離れ、何十万という無実の人々のデータを擁する大データベースに「成長」
内務省では、DNAデータベースが解決に役立ったのは、殺人事件が452件、レイプ事件が644件、他の暴力事件が1,872件と報告
こういうスライドというか、ふくれあがりの例は、今のところはイギリスだけであって、他の諸国ではおおむね「重罪限定のDNAデータベース」にとどまって… いや、アメリカもスライドし始めているか。
アメリカ:無罪だろうが有罪だろうが警察には関係ない
捕まえた人間からはのきなみDNAを採るぞ
2005/09 Washington Post Bill Would Permit DNA Collection From All Those Arrested
カリフォルニア州「犯罪者DNAデータベース」、容疑者も対象
2004/11 ▲日本語記事 ワイアードジャパン
遺伝情報のプライバシー保護が無理ぽな理由
2005/05 FuturePundit: Another Reason Genetic Privacy Will Be Impossible To Maintain
…プライバシー保護が、無理?
いつわりのDNA登録?
日本のデータベースも、そのうち米英に続いて”国民総背番号制”状態へふくれあがっていく?
2007/07 【日本語記事】ワイアードビジョン 犯罪者のDNAデータベース登録が進行
英国のデータベースには、現在340万件あまりのサンプルが登録されている。米国では、連邦政府によるデータベースと各州のものを合わせて350万件前後が登録されている。
「逮捕者のサンプル」をベースに構築されたものの場合は特に、貧困層や有色人種の含まれる割合が、人口に対して不釣り合いに高い

●当該書には日本のDNA鑑定小史も記載されてます。
まずは親子鑑定。
現在のグローバルスタンダードは10〜15ローカスのSTRのマルチプレックスキットである。このキットを用いれば,個人識別ならば通常は1兆人に1人以上の識別力があり,親子鑑定ならば通常は10,000以上の尤度比(0.9999以上の父権肯定確率に相当)が得られる。
p.239 『DNA鑑定 その能力と限界』
うむを言わさぬ鑑定レベル。
その一方で、「郵送」(信頼性に不明点多々)でDNA親子鑑定をする民間商売がまかりとおっているなど、日本での親子鑑定のありようについて問題点も述べられており。
民間商売といえば。
インターネット上にさりげなく「とても安いお値段であなたの遺伝子診断をいたします」とうたっている商売サイトがいくつもあったりする。
遺伝病を持っているか、将来どんな病気になりやすいか、肉体の一部を送ってくれればお調べいたしますよと。
安いんだよね、それがまた。
安いだけに、いぶかってしまう。
「こちらは自分の遺伝情報のすべてを渡すのですが、その情報は守秘されるのですか?」
遺伝子診断サイトには、「遺伝情報は秘密にします」とは、かかれていない。
そのほかのことは、懇切丁寧フレンドリーにいろいろと書かれているのに。
診断料が安いのは、「どこかヨソに客の遺伝情報を売ってモトを取っているからではないか」という疑念がむくむくと…診断してもらえるなら、少々「自分を売り飛ばす」ことくらい、いたしかたない?
監視で侵害されるプライバシー、高齢者は自宅で無事に過ごせるなら少々のプライバシー侵害は仕方ないと考える
2004/05 Georgia Institute of Technology Aging in Place with Technology: Study Reveals Older Adults will
ホントはイヤだけど、しかたない…。
【抜いた歯の行方は】
え〜と、いやな話なんですが、
歯科も、患者から出た不要な歯や肉片を、DNA情報集積屋に売り払って小遣いを稼いでいるというウワサがあったりする。
こないだ歯医者で抜歯したんですが。
「抜いた歯は持って帰りますか?」と聞かれて、さすがにいらないので「処分して下さい、これ廃棄されるんですよね?」とたずねたのだが、笑って明答してくれなかった。
ちょっとー。 そういうときはちゃんと答えておくれよー。

こっちは「これ以上ツッコムと、ややこしい患者だと思われて半端な治療をされるかもしんない」と内心ビクビクなんですよ。かといって、この歯医者さんが「患者の身体情報を売り払っている」みたいな疑念は解消しておきたくて敢えて訊ねたんだけどー。

【返事がなければそれは同意です】ついでに、こんな妖しい話もそえておきましょう。
優生思想を問うネットワーク ・病院や研究所が、癌治療のために訪れた患者に、
「あなたの身体の情報を遺伝子情報も含めて医療研究に用いることに同意してくれますか」と
具体的な研究内容も示さないまま
同意か拒否かの書面提出を要求するケースがあるという。
患者にとっては「命を救って下さる病院側からの頼み」なんだよね。
もしかしたら、医者に「こいつアレ拒否したぞ」と「最善を尽くしてもらえないかもしれない」そういう懸念をかかえながら治療を受けるのって気持ちいいわけないし、そう考えたらかなり拒否しづらい「病院側からの頼み」なわけで。
パワーハラスメント に近い。のみならず、くだんの病院は、患者さんの書面提出率がかんばしくなかったために、方針を変更なさって
2ヶ月以内に意思表示をしなければ同意とみなす
とお定めになったとのこと。
何も言わなければ、あなたの身体情報を勝手に使わせてもらいますよと。
ちょっとした現代的な怪談です。
しかも実話というか、今現在もしごく合法的にそれでまかりとおっているのだそうで。
お使いになる側としては、「これで研究が進めばみなさんにとってプラスなのです」という高いところに立った思考をなさっているのだろうけれど、
協力率が低かった=プラスになるとは思われていない
なのであって、
病院側は患者さんに対してプラスになると思ってもらえるほど
「説明努力」をする価値をここに見出していないんじゃん!
というひるがえりにもなりますね。


ああ、最初の話に戻ります。

『DNA鑑定 その能力と限界』 勝又 義直 (著) 名古屋大学出版会 ; (2005/10)
[bk1]
硬派。すごいかっちりとわかりやすい。整っている。しかも異分野に親切。
倫理・生命科学・遺伝子操作などについて興味をお持ちの方は、機会があればこの本覗いてみてくださいな。
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と押してみるもよし●情報庫: 遺伝子治療、遺伝病、DNA鑑定 生命倫理、人類の未来 医療
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