人類史上、きわめて最近現れて、ヒト社会とコミュニケーションを大きく変貌させた概念「確率」。

『法と遺伝学』
和田幹彦編著
法政大学現代法研究所叢書
法政大学現代法研究所 / 法政大学出版局 2005/04
[bk1]
●第2章「遺伝学・遺伝性疾患・遺伝カウンセリング」のうちわけは以下のとおり。
第1節(和田幹彦:法と遺伝学) 判決をめぐる法的・医学的・心理的諸問題
第2節(武藤香織:社会学) 「確率」を引き受けるための支援−「生活上の知」から
第3節(高井泰:産婦人科学) 医師に何ができたか
第4節(田村智栄子:遺伝カウンセラー) 遺伝カウンセリングとは
第5節(和田) 地裁・高裁両判決の位置づけ・評価と遺伝カウンセリングへの提言
●確率と個人
第2節は、武藤香織『「確率」を引き受けるための支援 「生活上の知」から』。
冒頭に イアン・ハッキングを引いて始める、「個人」と「確率」の確執考察。
「確率」ってなんでしょうね。
確率というものは、そりゃもう「個人」にとっては実に空虚なしろもので。
「死亡率は10000分の1だ」と言われても、10000分の1に当たればその本人にとっては低確率どころかもう100%。
10000分の1の確率だから「大丈夫だ」と言われても、当たってしまえばいったい何が「大丈夫」だったのやらと。
「確率」は十把一絡げにものごとを見たときの話。
「個々」の話じゃない。
個とはかけ離れた「全体」から見たときに、政治や行政、集団や大量を扱う分野から見たときに、確率は有効だけれども、個から見た場合は空しさばかりがつのる数字。
なかなか宝くじは当たらないですしねぇ。
医療における確率。
癌になる確率。 卒中を起こす確率。 *年以内に死ぬ確率。
「考えることの科学:推論の認知心理学への招待」
市川伸一 中央公論社 中公新書 1997
「確率で言えば:日常に隠された数字」
ジョン・A・パウロス著 松浦俊輔訳 青土社 2001/03(1998/Once Upon A Number)
イアン・ハッキング (著) 木鐸社 (1999/06)
遺伝病の子供が生まれる「確率」を、個人はどうみなすのか。
「遺伝カウンセラー」さんがたは、判明している範囲の「確率」を伝えてくれる。
でも、そこで伝えられる「確率」の数字は、人間に「こうしなさい」と道を示してくれるようなものじゃない。
ただそれはあくまで「確率」という「数字」なだけであって、「運命」でもないし「必然」でもない、「決定」でもなければ「予知」でさえもない。
でも、その「確率」を元にして、個人はいやがおうでも大事な決断を下さなきゃならないことがある。
「確率」という数値。庶民のあずかり知らない高みから、唐突にもたらされる断固冷然とした遺伝科学のご託宣。
たとえばこれ。
ヒト遺伝子の地図作りを目指す最新、最大の科学プロジェクトヘの熱烈な賛辞がいまも続いている。地球は地図が作られて征服され、宇宙は次第に解明されつつあるいま、科学者は内なる未開拓分野に関心を向けている。主な染色体異常や少数の重篤な疾患に的を絞るのでなく、科学者は根こそぎ知りつくそうとしている。
そこで得られた情報のほんの少しだけが臨床医、遺伝カウンセラー、遺伝学者、産科医から妊婦にもたらされる。遺伝情報は占いのように確率と可能性という言葉で伝えられる。「あなたには将来、背が高くて陰気な子どもが生まれるでしょう。でもあなた次第ですよ」と言われたら、あなたはどう考えるだろうか。「その子が中年になると、心疾患になる確率はおよそ12%。でもあなた次第ですよ」と言われたら、あなたはどう考えるだろうか。女性は胎児がダウン症と診断された後で中絶するかしないか苦悩する。しかしその子の知的障害の程度は、どうやって予言できるだろうか。身体的にはどんなハンデをもつことになるのか。女性はこれらの問題を大いに悩み、結局は知ってしまった以上は放っておけないと判断する--これからその子がどんな目に会うか、どんなにわずかな情報であっても、それを承知しながらわざわざ子どもを産むことはできない。この可能性、あのリスク、確率の増加等々、遺伝の暗号を解く情報が断片的に与えられ、それを元に妊婦は決定を迫られる。
p.308-309
カレン・ローゼンバーグ/エリザベス・トムソン編「女性と出生前検査:安心という名の幻想」 日本アクセル・シュプリンガー出版 1996
(原書1994/Women & Prenatal Technology)
たとえばこれ。
[ダウン症児が生まれた場合] 次子にダウン症児が生まれる確率は一般集団の10倍、また、親が転座型保因者である場合は、突然変異によるものより高くなる。しかし、すべての出生において、二-三%に何らかの発達障害、五%に先天奇形などがあり、この確率をどうとらえるかは人によって異なる。いずれにしても、次子などの相談を受けたいと思う場合は、相談者の意思を尊重した遺伝カウンセリングなどの支援体制とその利用の選択が重要となる。
p.52
細川徹編 「発達障害の子どもたち いきいきとしたその世界」 中央法規出版 2003/05
そしてこれ。
しかし,妊娠初期の自然流産率は10-15%(その多くは児の染色体異常による)であり,すべての妊娠が満期まで継続して出産を迎えるわけでもない。さらに,無事出産しても,出生した児に先天異常が認められることもある。全国206施設において行われた平成14年度外表奇形等統計調査によれば,調査した分娩総数86,757のうち奇形児総数は1,577であり,奇形児出産頻度は約2%であった。奇形の種類は,心室中隔欠損が最も多く,以下,口唇口蓋裂,耳介低位,ダウン症候群と続く(先天異常モニタリングセンター,2005)。
p.147
伊藤良子監修・玉井真理子編集 『遺伝相談と心理臨床』金剛出版 (2005/09/26)
第11章 出生前診断という医療 宗田聡
当事者さんたちは、遺伝病や遺伝子病の「確率」という 科学的な不確実性 に見舞われる。
...以下つづき...

そう言われた場合、明日ふつうに仕事に出かけるか。
0.1%では。
10%では。 分岐点はどこ。
そして、どんな確率であっても、どんな低い確率でも、それが「ありえる」限りは、起きうるのだし、明日心臓発作を起こせば、個人にとってはそれはもう0.0001%もくそもなく、ただただ100%なのであって。
「あなたがみごもったお子さんが、遺伝病を発症する率は0.0001%です」
そう言われた場合、あなたは何をどう判断するのか。
0.1%では。
10%では。
そして、どんな確率であっても、遺伝病を発症する率は完全ゼロではない限り、遺伝病を発症する子が生まれることはありえる。
そして、生まれた場合、個人にとってはそれは0.0001%もくそもなく、ただただ100%。
告知された「確率」の数字を…
・めったにない、と見るのか
・それでもありうる、としりぞけるのか
・社会にとって無駄だからいらない とするのか
・個人にとって必要だから進める のか
・命は大事、神の意志、というところから始めるのか
・現実的な経済状態のと兼ね合い、で命は決まるのか
どんな判断をしたら「ひどい」と言われてしまうんだろうか。
どんな判断であれば、幸せになれるんだろうか。
その判断の手助けをする、
たとえ専門的な遺伝カウンセラーであっても、「その事象が発生する頻度は多い」のか、それとも「頻度は少ない」と受け止めるかをクライアントに代わって決めるわけではない。決めるのは、あくまでも当事者自身であり、その結果として何らかの選択をするという作業を引き受けるのも、当事者自身である。遺伝カウンセラーは時間をかけて、「科学的な知」の不確実性を背負わせる当事者に寄り添うという作業をつづけるだけ、である。「遺伝カウンセリング体制」を切望する臨床医のなかに、告知そのものを委託したいとする希望もあるようだが、それは遺伝カウンセリングに対する誇大妄想である。
p.60 第2章第2節 武藤香織『「確率」を引き受けるための支援 「生活上の知」から』
カウンセラーさんは、「告知を受けた人のサポートをする」。
告知役が、カウンセラーさんだってわけじゃないんですよと。
わかるものなら、確率は知りたい。
(そう思う人もいれば逆の人もいるけど)
わかっているなら、伝えて欲しい。
(そう思う人もいれば逆の人もいるけど)
(余談ですが
伝えられる「確率」の数字は、人間に「こうしなさい」と道を示してくれるもんじゃない。
ただそれはあくまで「確率」なだけであって、それにもとづいてどの道を選ぶべきなのかは…。
個人の利益は、集団の利益とイコールではないし。
確率は集団として十把一絡げにしたときに出てくる数字。
「法」は、集団と個が対立したときの、妥協の手がかりでしかなかったりするし。
誰にとって。
どの視点から。
子供を作れという圧力があり、その子供が「どの程度の確率で」「どんな状態になる」と、子作りを回避すべき事態だと判断すべきなんだろう。
どんな判断をしたら「ひどい」と言われてしまうんだろうか。
「90%」「無精子症になる」
「50%」「視覚障害になる」
「0.1%」「5才までに死ぬ病気を持って生まれる」
という確率が言い渡された場合。
それぞれは、逆に見れば「10%」「50%」「99.9%」正常な子が生まれるとして。
生むのか。 おろすのか。
どうするのか。

判断の現場は、確率とはかけ離れているし。
それぞれの家庭の事情の中、ケースバイケースの斟酌と、関係者みなの「心のおさめどころ」を模索して、百態百様にふくれあがった悩みと不安の解消を助ける、その専門家さんが、遺伝カウンセラー。
たしかに、当事者を助けてくれる「遺伝看護職」「遺伝カウンセラー」がいてくれると大変助かるし、いや、いてくれるべきだと思う。
世にこれまでなかった新しい知見(遺伝情報)の扱いを、どうすべきなのか、判断をサポートしてくれる専門家とその窓口。
しかして、その実態は…

日本における遺伝カウンセラーとは?
当該書、第2章の主題である「告知ミス」事件は、これはそもそも「間違った確率の伝達」という「正しくないコミュニケーション」がなされてしまったことが問題なのであって、「確率」の意味以前の問題であったのだけれど。
遺伝カウンセリングの欠落からこんな訴訟が:

下記は、内容の良し悪しはさておきウェブで拾ったリンクたち。
長崎大 遺伝カウンセリング室
信州大学医学部付属病院遺伝子診療部 遺伝カウンセリング
東大医科学研究所付属病院 遺伝カウンセリング外来
神奈川県立こども医療センター 遺伝カウンセリング・妊娠前外来
千葉大学医学部付属病院検査部遺伝カウンセリング室
東北大学医学部附属病院 医療相談室/遺伝カウンセリング室
愛知県 心身障害者 コロニー中央病院 遺伝カウンセリング
鹿児島大学医学部附属病院 遺伝カウンセリング室
埼玉県立がんセンター がん遺伝カウンセリング外来
山形大学医学部附属病院 遺伝カウンセリング室 「遺伝病」(出生前など)を診るところと、「遺伝子病」(癌など)を診るところで、それぞれ分かれている気配も。
「両方診ることができます」とわざわざうたっているところもあるし。
追記2006/05 新刊情報より
『遺伝カウンセラー その役割と資格取得に向けて』 千代豪昭, 滝澤公子 真興交易医書出版部 (2006/04)
『きこえと遺伝子 難聴の遺伝子診断と遺伝カウンセリング』 宇佐美真一 金原出版 (2006/5/10)
ああ、世の中には「怪しい診断商売」もありますのでご注意を
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心の問題&倫理といえば、こちらもぜひオススメな好著。
「よくわかるカウンセリング倫理」
水野修次郎著
河出書房新社 2005/10 ※
![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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