びっくりしちゃいますよ。いいんでしょうか。法律を「進化と適応度」で検証してますよ。
そこの家政婦さんもぜひこれ覗いてみてって下さいな。
うむ。
こんな書き出しで、このマジメな本の紹介を始めようとする私は、ろくたらなもんじゃございませんね。


『法と遺伝学』
和田幹彦編著
法政大学現代法研究所叢書
法政大学現代法研究所 / 法政大学出版局 2005/04
[bk1]
良く言えば、意欲作。
悪く言えば、消化以前。 か。
序論(和田幹彦:法と遺伝学)
第1章(成澤光:生命政治論) 日本における遺伝看護とELSI
第2章 遺伝学・遺伝性疾患・遺伝カウンセリング
第1節(和田) 判決をめぐる法的・医学的・心理的諸問題
第2節(武藤香織:社会学) 「確率」を引き受けるための支援−「生活上の知」から
第3節(高井泰:産婦人科学) 医師に何ができたか
第4節(田村智栄子:遺伝カウンセラー) 遺伝カウンセリングとは
第5節(和田) 地裁・高裁両判決の位置づけ・評価と遺伝カウンセリングへの提言
第3章(岩橋健定:環境法・行政法) 個人の遺伝子情報の保護
第4章(玉井克哉:知的財産権法) 科学研究と特許
第5章(和田) クローンベビーとデザイナーチャイルド
第6章(青野由利・毎日新聞) メディアから見た「法と倫理と遺伝学」
第7章(和田) 法とは何か
第8章(太田勝造:法社会学、法と経済学) 倫理についての進化論的覚書
内容は、統一とれていない。
それぞれの分野から、生命倫理や法的観点、バイオテクノロジーや遺伝と社会制度、囚人のジレンマや血縁度、そして進化心理学を、思い思いに考察を述べたものが、並列陳列されている、みたいな。
音頭をとったのは、和田幹彦氏。
かねてより、進化心理学と法、「法律はどこまで生物学で説明できるか?」を掲げて試行錯誤なさっている。
「説明できる?」
タブーや自然淘汰を、「法」の説明に、しうるのか。
筆者は生物学者ではない。しかし、「法とは何か」という法学者にとっての永遠のテーマに、生物学から新たな光をあてられないだろうか? [〜中略〜] 法・法律のどの部分がこうした根源的基盤から派生したと考えうるのだろうか? [〜中略〜] 「法」の根源的基盤を、進化、そして進化生物学の分析ツールである「適応度」を手がかりに説明できるのだろうか? [〜中略〜]
本章のテーマ自体が、人間の生物学的(側面に焦点をあてた)理解(のみ)を試みる「人間生物学」の轍を踏むと批判されうるであろう。 [〜中略〜] しかし、法現象の生物学による説明可能性の検証をその目的の一つとする「法と生物学(law and biology)」という分野は、学界でも局地的にせよ成立しつつある。
p.187-189 和田幹彦「第7章 法とは何か:法はどこまで進化生物学・進化心理学で説明できるか? 日本民法特に家族法を素材とした試論」
本人たちは、わかって書いている。のだと思う:限界も危険も予想される非難のパターンも。
もちろん、すべてをそれで説明し尽くそうとしているわけではなかろうし、今まで考慮できていなかった面に関して新しい知見が登場してきたのでそれも考慮に入れてみよう(例えば、心理の研究に脳科学の新しい知見を入れて見直してみよう、考古学の研究に放射性同位元素の測定を入れて見直してみよう…)程度のことではあろうけど。
必要なのか。
どこでどう必要なのか。
それが何の助けになるのか。
まずはそもそも「そこも含めて」考察してみようか、という、いかにもおぼつかない段階であるのはわかるけれども。
蛮勇(p.189)。 冒険だね。
「事実」に「価値観」がへばりついた時点で、コトは変質する。
どこらへんが「へぇ〜」とみなしていただけたのでしょうかと…。生物学的適応度が立法においてどう斟酌されるのかは、あまりにコトが微妙すぎて軽々に論じるのは非常におっかなく。
とはいえ What can be done will be done.
いつかは誰かが着手してその結果、いつかは直面せねばならない避けたかろうが避けては通れぬ「あなたはどうする」この踏み絵。
それぞれの立場によって視点が違いすぎて話が通じず、途方に暮れた末に多くの論者が踵を返してエンガチョしてしまう分水嶺。
巷の読書感想文では、冒険的な7〜8章より、遺伝病カウンセリングがらみでひとしきり報道もされた遺伝病裁判をめぐって考察が並ぶ第2章や、報道と生命倫理を述べた第6章あたりが「興味深い」と好評だった気配。
慥かに、遺伝病訴訟のような市井と切り結ぶ実例は、わかりやすい部分なんだろうな。
「法と遺伝学」という題名で中身を覗いた人間に、いきなり「囚人のジレンマ」や「包括適応度」がどうのと講釈してみても、目が点になるだろうし。
そして、和田幹彦氏の第7章。
[〜「法と生物学」なる分野は海外で沙汰されている〜] これに対し、日本の法・法律の具体的内容の生物学的分析を試みた論考には管見の限りでは出会わない。そこまで立ち入って初めて、「法と生物学」の有効性は検証しうるのではないか?蛮勇をあえて冒したい。同時に、生物学の法学への応用に際しては、Jonesの提言にもみられる慎重さと、適切な議論・政策の探求が、本拙稿も含め、今後の「法と生物学」の指針として強く求められよう。 [〜中略〜]
本章は [〜中略〜] ヒトとそれ以外の動物の間の類似行動・現象を発見するために、日本の民法を素材とする。
p.189 和田幹彦「第7章 法とは何か:法はどこまで進化生物学・進化心理学で説明できるか? 日本民法特に家族法を素材とした試論」
つまり、日本の法は、生物学的適応度と照らし合わせてどうなのかと。
照らし合わせる部分はいきなり「法」でいいのか、文化的価値観の差の生物学的適応性とかほかのレベルとの照会もしたほうがいいんじゃないの、まだまだ人脈が薄すぎる?みたいなかなりおぼつかない印象を受けて。なんか長谷川ご夫妻におんぶにだっこみたいな部分もあるし。法と進化心理学、短絡すぎるような。
...以下つづき...

例えば、ここに「不二家の3000円のクリスマスケーキ」があるとして、これが「前世紀初頭のサンタクロース伝承」とどう”比例”しているのかをいきなり検証する、みたいな違和感があるのですが。
| 今 | 不二家の3000円のクリスマスケーキ | 日本の民法 |
| 元 | 前世紀初頭のサンタクロース伝承 | ヒトとそれ以外の動物の間の類似行動・現象 |
この「今」と「元」の間には、それこそいろ〜んな要素や現象・条件が介在して変形して夾雑物混じりまくってその末のひとつの妥協点の現れとして、「今」が現れているんだよね。
それをいきなり短絡して「今」と「元」を比較しても、その中途過程をいろいろ研究なさっている人がたの知恵協力もなしにただ重ね合わせてみても、なんか、単に「パズルとして面白げ」なことはわかるけれども実際には何かそれ意味あるんだろうかと。
| 今 | 不二家の3000円のクリスマスケーキ | 日本の民法 | 個人 |
| 中途 | 3000円という価格の枷/不二家のケーキデコレーションの仕様/日本で好まれるケーキの素材/食品小売業という形態/日本におけるクリスマスの受容/キリスト教の影響/古代の祭祀 | 現代の日本社会の変容/立法に関与した人員/立法当時の社会状況/現行の裁判制度の枷/西洋の司法体系の導入/古来の民間慣習 | 年齢/傷病/人間関係/地域慣習/教育環境/栄養状態/胎内条件/発生 |
| 元 | 前世紀初頭のサンタクロース伝承 | ヒトとそれ以外の動物の間の類似行動・現象 | 遺伝子 |
中途の条件次第で、「今」はいろいろなバリエーションを見せうるし、現行の慣習・価値観、過去の慣習・価値観、意味体系との兼ね合いで、「法」は「生物学的効率」とはずれていてあたりまえの姿を見せるのであって。
ならば、ここはぜひ「進化心理学」(だけ)ではなく、文化人類学や民俗学をはじめとする文化間比較の先達のご教示も、たくさん受けていただいて欲しいなと。

【幸福にまつわるよくある誤謬】で、本文(第6章)には「生物学的適応度」「血縁度」から考察した「民法の債権法」「近親婚禁止の規定」「家族法と適応的相続度」などなどが、適応度の計算式まで列挙しながらいろいろ開陳されているんだけれども、それはまあ思考ゲームとして楽しかろうけれど、それでとどのつまり「法」が「生物学的効率」とどうだったら、どうだというのか。ずれがあってあたりまえだとは思うのだが。
読み手がただ「ふう〜ん」ですむならいいのだけれども。
「これを元に現状の更改を」とやる人がいなければいいのだけれども。
「法」は、衆生の「幸福度」を最大にするべく定められるものではない、のだったらごめんね。そこから私が間違っているのなら、このエントリは全然マトハズレで平身低頭ごめんなさいだ。よくある誤謬。
「繁殖成功度」が高ければ「幸福」だという間違い。
問題は、「繁殖成功度」と「幸福度」は、比例しないということなのであって。
もとより、「繁殖成功度」と「幸福度」は、異なる関数の上に成り立っている。
繁殖成功度に基づいた幸福を、なんてぇのは、そーとー物事を踏まえていない限り、たいがい悪しきトンデモに終始するわけで。
前世紀末あたりのひところ(進化心理学が目新しくもてはやされていた頃)、テレビやなんやで「免疫の型」と「幸せな恋愛・結婚」を短絡させた浅慮な誤謬を取り上げるのがエライ流行ってて、ちょっとかなわんで腹立って
最近は、ひところほどのひどい短絡にはそんなに出会わなくなったので(というか単に出会わないだけでまだよそでは脈々としている?)、気分的に助かってはいるのだけれど。
で、「法」が「繁殖成功度」に準じた仕様になっていないのはオカシイとやる誤謬、これは実に目にしたくない絵のひとつであって。
もとより、進化心理学は軽々に市井と切り結んではいけないしろもの。
そして、昔から進化心理学にまつわっている「より良い未来」幻想のひとつの現れとして、この「法と遺伝学」が_読まれることがある_のだとしたら、 この本嫌い。
いや、書き手はわかってやっているんだと思うけどね、「蛮勇をあえて冒し」て慎重に歩を進めていらっしゃるのだと。
第1に、本章の分析の中心的課題となった法現象(例:配偶者の相続分拡大)を、適応度順接的・逆行的との理由で賞賛・批判する意図は皆無であることはいうまでもない。
p.191 和田幹彦「第7章 法とは何か:法はどこまで進化生物学・進化心理学で説明できるか? 日本民法特に家族法を素材とした試論」
敢えて冒険をおかしたぶん、より確実な成果をあげていこうとするのであれば、中途の夾雑物である民俗研究の参照も、たまにはどうぞお願い。

第7章に続く、第8章・太田勝造「倫理についての進化論的覚書」も、かなり浮きが目立つ章。
ゲーム理論や囚人のジレンマ や、モララーの繁殖適応度、 ハンディキャップ理論だの チスイコウモリの互酬性だのを並べていて、 …もしかしたら、法曹方面的にはこれ斬新な知見だということなのかな。
ともあれ、倫理を進化論の文脈で語ることは非常に気の重いことである。もちろん、それは、ポリティカル・コレクトネス・キャンペーンヘの気兼ねのゆえではない。進化論の文脈で倫理を語ることと、進化論の文脈でポリティカル・コレクトネスを語ることは相同であり、進化論の文脈で神を語ることと表裏一体である。むしろ、「「「「「倫理を進化論の文脈で語ること」の倫理性」を進化論の文脈で語ること」の倫理性を進化論の文脈で語ること」・」というメタ進行の泥沼に足をすくわれそうだからである。これは進化プロセスのアウトプットがその刻印の下に自己の創発を導いたプロセスを語るようなものだからかもしれない。
p.228-229 第8章・太田勝造「倫理についての進化論的覚書」
そう。
この言葉を聞けて、嬉しい。
進化心理学ってのは、畢竟そういう場所なのだから。

紙数を割り当てられて、筆を尽くせるスペースでもないところ、しぶしぶ、だったのかもしれない。ご苦労様です。


『法と遺伝学』
この本の内容についてはほかにもエントリこしらえています
日本における遺伝カウンセラーとは?
遺伝カウンセラーが助けてくれること:
遺伝カウンセリングの欠落からこんな訴訟が:
![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







次の記事 














