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科学・技術の合わない国には野良犬がいる

カテゴリ[科学に佇む2009年] 2009/09/08
◆「科学・技術の合う国」と「合わない国」タイ、日本、西欧の比較

 『「科学・技術の合う国」と「合わない国」 タイ、日本、西欧の比較』
 新居 和嘉著
 東洋出版 (2009/04)

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 タイで3年間勤めを果たした研究者(工学)が、文化研究の専門家ではないにも関わらず、自分野の同僚たちに向けて比較文化論を語ってみた一冊。
 「タイは科学・技術の合わない国である」
 この点をめぐってあれやこれやと考察をめぐらした末に「日本はどうなのか」と。

 なぜ、タイには「科学・技術は合わない」と感じたのか。

 タイは「ゆるく」「気まま」で「いい加減」な国民性の国であり、厳密さを欠く気風(エートス)は、厳密さを旨として成り立つところの「サイエンス」を発達させにくいのではないか。
 まずそう述べながら、著者は、サイエンス的な厳密な検証ではなく、ゆるくおおまかな経験と見聞から、仮説を紡ぎだしていく。unun

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この箇所へのリンク【タイと日本の異なる道】


●右画
 昔々、西欧の科学・技術と本格的に向きあうことになった時期は、タイも日本も同じ頃であったそうだ。
  ・ほぼ同じ頃に欧米に対して全面開国し、文明開化の波にもまれ始めた
 そのほかタイと日本は、
  ・科学・技術の創造・創始はしなかった
  ・西欧に征服されなかった/植民地化を経験していない
という諸処の点で共通項を持つ。
 そこを確認した上で、日本とタイが、現在なぜこんなに科学技術面で発展の度合いに差が生じたのか、著者は「鉄道技術の導入史」を手がかりに探ってみている。

●周辺諸国が次々と植民地化される中で、特定の異国に支配力が集中しタイまで植民地化される事態を回避するために、タイ政府は「技術を指導する異国人たち」が_国際チーム_になるよう画策した
  鉄道局長にはドイツ人、
  最初の鉄道建設はイギリスの業者、
  建設現場にはドイツ人、イギリス人、アメリカ人、デンマーク人、フランス人などの土木技師を投入・・・
 こんな事をすれば、タイに鉄道建設の技術が定着し、技術者が育つはずがない。p39abon
 その結果、どの異国さんも支配的な地位を確立できず、タイでの独占的な立場を作ることができなかった。同時に、タイへの統一的な技術導入の方策もかなわないという結果に。

 日本は、その後、着々と自国の技術者を育成し鉄道網もバリバリに伸ばしていったのに比べ、タイでは技術の習得が頓挫し「今日に至るまで、機関車の製造はもちろんのこと、修理もままならない p39」というありさまに。
 文化的な差異以上に、歴史的・国際的な力関係上、いかんともし難いしがらみのハンデがあったのだなあと学ばされる。


... 以下、「野良犬は科学の大敵」?...

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 ただ、基本的に、本書は「一科学者が見聞した範囲と直感でエッセイを書いてみました」という風情の著作であるので、じゃあ、日本はどのくらい戦略的に特定の国の方策を選択して体系的に導入したのか、それで支配下におかれるような顛末には陥らずに済んだのはなぜ、などの比較検討がさらに深くなされているわけではない。
 とりあえず、鉄道史を見ると、タイではこういう経緯があったらしいので、ほかいろいろな分野でも、これと同じようなしがらみのハンデが、発展の妨げになってきたんじゃないかー、と推察を広げて、そこでゆるく落ちついてしまう。

 ほか、「なぜ日本とタイは違ったのか」について、

●開国当時、「日本国」意識が出来上がっていた日本に比べ、タイは諸部族のゆるいつながりであって『「タイ国」という概念は薄かっただろうし、「タイ国民」という意識はほとんど無かったのだと思われる』p41
●当時のタイは人口が少なく、文明の発達に必要な稠密さが不足していた

など、考えられそうな要因を挙げてみている。

◆人は意外に合理的
 いまどきであれば、これら考察に加えて「人件費やエネルギーなど、開発のコストや需要がどうであったか」という点も強く考慮に含んでいくべきだろう。

 経済学の見知(ティム・ハーフォード著『人は意外に合理的』)から言わせれば、イギリスでの蒸気機関の開発は「天才の功績でも、起業家精神あふれる文化でもなく、労働コストが高く、燃料が信じられないほど安かったから」であり、産業革命も、人件費がバカ高く、石炭が安かったからこそ効率化の必要に迫られた、その結果であったのだと読み解かれる。
 その伝で行けば、タイは
  人件費が安い:雇用者を減らすよう効率化せねばならない動機がない
  産業開発を鼓舞するほどの安いエネルギーがみつくろえない
という資源環境にあった/あるのではないか。

 日本との比較を含め、異分野の知見を動員してさらに考察してみると、興深い絵がさらに大きく描いていけそうだ。


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この箇所へのリンク【マイペンライ マイペンライ】


 著者は、タイの国民性について、「ゆるく」「気まま」で「いい加減」な国であり、サイエンスには合わないのではないかと、強く直感している。
     ※ リンク マイペンライ
 タイはどれくらい「ゆるく」「気まま」で「いい加減」なのか。

 参考資料として「タイ人が記したタイ人の特徴」36項目が挙げてある。
 それを脈絡ごとにさらに分け書きしてみた。
●右画
「タイ人の気質と価値判断」(岩城雄治郎著「日タイ比較文化考」勁草書房1985年 に引用されているスパットラー・スパープ「タイ人の気質と価値判断」より)

●伝統尊重・正統崇拝系
国王を尊敬すること/仏教の信奉/権力崇拝/支配者や位階への憧憬/年長者への尊敬/有識者への尊敬/迷信にとらわれ、縁起をかつぐこと/礼儀を守ること

●実際主義・即楽主義系
金銭への信仰/ぜいたく品を好むこと/射幸心が強いこと/愉快に働き、日常生活を楽しむこと/安楽を好むこと/儀式や催しを好むこと/好奇心が強いこと/自分勝手/忘れっぽいこと/時間とは無関係に食べること/
自由を好むこと/時間を厳守しないこと/明日でもいいことは今日行わないこと/熱意に欠けること/規律を厳格に守らないこと/
効果がすぐ表れないようなもの(未知数のもの)には敢えて危険を冒さないこと/宣伝を好むこと/無償配布物やおまけを好むこと/自分より優れた人物の存在を認めたがらないこと/駆け引きを好むこと

●縁故規範・感情結束系
一族郎党の結束/恩を知り、恩に報いること/寛大で気前がよいこと/人の機嫌を損じるようなことをしないこと/簡単に人を許すこと/常に微笑すること/親しい人を自分の親戚のように見なしたがること/抽象的な理想よりも尊敬すべき人物に動かされる

 このへんは、タイは仏教国だから、というよりは
   ・地域の境界がゆるく
   ・資源量が厳しくはなく
   ・歴史が古い
「悠久大陸系の規範」が大きく出ているような気がする。 → 『 文化心理学からベーリンジアを望む 』

 そして「コネ、根回し、縦社会」などの強力な< 縁故規範>。
 日本が「コネ、根回し、縦社会」の< 縁故規範>を捨てて、アメリカのような効率的かつ非情な<システム>国家を目指そうとしているのとは、対照的な位置にあるのか。

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この箇所へのリンク【野良犬がいる国は科学が伸びない】


 サイエンスの受容問題に関しては、それらの特徴の検証も大事ではあるけれど、著者が指摘するもうひとつのタイの特徴、「科学・技術の合わない国には野良犬がいる」という点は、鋭意クローズアップするに値すると感じる。
●右画
p61
「野良犬のいる国には科学技術の新しい発展はありえない」
 西欧人は人間と犬の間にはっきりした線を引くことができるので、犬を人間の必要に応じて訓練し、飼うことができる。だから野良犬はいないし、犬は人間の命令をよく聞くようにしつけられる。ところがタイ人や日本人はその線が曖昧であるから何となく犬も人間も一緒に住んでいるという形になり、野良犬はいるは、道路にはのうのうと犬が寝そべっているはということになる。

 この「線を引ける/引けない」の差が存在する機序については、著者は深くは考察していない。ただそう見えるしそう考えると得心がいく、的な記述で流している。でもここ重要だと思うぞ。

 一神教圏的には「この世は神がお作り下さったモノで満ちており、ヒトはそれらのもろもろを、神の意に添うよう管理する役をおおせつかっている(→ 『 スチュワードシップ 』 )という発想になる。放置するのは管理不行き届きであり、神の被造物を放置していては、だらしないヒトとしてお叱りを受けることになってしまう。
 非・一神教のアジア圏では、犬もヒトも同じ「この世の住人」であり、それぞれにお互いの人生があり、イヌネコといえどもヒトと同じようにおかげさまで生きている。まして「輪廻観」を基盤に利他行動を説いている文化社会においては、イヌネコとヒトとの間に一線を画すなど、それは非道なエゴ以外の何ものでもなかったりする。

●一神教圏の人が、犬を「繁殖するからくりであって魂はない」と見做しているエピソードはこちら。
   → 『 ダーウィン前夜のビジュアル科学史と日本 』
●非・一神教のアジア圏では、魂はヒトだけが持つものだとは見做されない。
 それがゆえに、イヌの自由も保証される。

 逆に言えば、「プライドを持って不遜になりたがる」テストステロン過多な性向を自然世界に対して暴走させがちにさせるような、一種そうしたベクトルをはらむ文化圏こそが、科学技術で「世界を統べられるほど自分を強化しよう」という夢に走れるのかもしれない。

 万博世代が夢見た「世界征服を企む悪の組織」的な存在は、「科学技術=世界制御欲の顕現」という表裏一体感のきれいな現れだったとも見えるし。

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 現在の日本とタイの関係について、タイに科学技術を伝えに行った実体験を元に、著者は
p52大意
 タイのような「ゆるい」国に「ゆるい」援助をしても何も変わらない。形式ではなく内容だけを厳しく評価する「きつい」援助をせねばどうにもならないだろうが、「ゆるい」タイ側は「きつい」援助は嫌うだろう。

p60 (タイの言語が科学的な厳密な思考に向いていないと嘆息した上で)
 タイ人またはタイ語が「抽象的思考」、「解析的思考」を学び、身につけ、タイ語で科学・技術の教育者や研究者を育てることができるようになり、そこからさらにタイ語で新しい科学・技術の概念を発信するということは、日本人がしたと同じように可能であろうが、実際には、当面、まず不可能であろう。

p4
 [タイが科学技術に邁進するようなエートスに] 変わるとしてもそのためには数十世代、300〜500年を必要とするだろう

 そして、「無理なら無理に科学技術を押し付けなくてもいいんじゃないか」的なまったりした実感を吐露なさる。

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 その、タイがサイエンスに適しているかいないかの当否は、さらに広範な分野からの知見を収束して検討しなければならないものではあるし、とりあえずひとまず置くとして。

この箇所へのリンク【タイはマイペンライでいんでない?】


 はい、ちょっとこの段は、本書とは離れて、個人的な愚痴ね。ase

 世間には、
科学・技術で幸福と明るい未来がもたらされる
という「夢」が多く流布している。
 これは、日本において
勤勉であれば幸福と明るい未来がもたらされる
という「幻想」がもてはやされていたりした、それに近いもんがあると思う。

●右画
 「勤勉=幸福への道」という思い込みは、わりと日本ローカルなものであって、西欧でも亜細亜でも、あまりこのような強迫的な幸福感に憑かれている国は多くない。(最近は、日本も勤勉信仰する人は減ってきているらしいけど)
 この「**=幸福への道」は、社会的状況が変化すれば、それこそ泡沫の流行のように変化したりする。

 で、何を言いたいかというと、別に「科学・技術は幸福や明るい未来はもたらさない」なんてなことを言いたいわけじゃなくて、「幸福と明るい未来をもたらすものには、色々なものがあるんだよ」ということを確認しておきたいだけだ。

 トップダウンな社会管理側にアイデンティファイしている人間が想定する「幸福と明るい未来」と、世間に生きる衆生が実感するボトムアップな「幸福と明るい未来」は、かけ離れていることが多い。実際、同じである必要はない。
 そのへんを理解せずに、
    科学技術=幸福の実現
に凝り固まった者が、科学的に正しくない相/アスペクトを重箱隅ツツキしてモグラ叩きに興じる、トレス叩き厨みたいなことをしている輩がいるんでね。狭視野なあまりに「科学技術=幸福の実現」とする自分側の幻想(原理主義的信仰)を揺るがす者を許せないらしい。

 そりゃ、科学的な管理側から見れば、死亡率の低下や、正しい共通前提の共有や、経済的効率のアップが、最優先事項であり「幸福の実現」だとは見做される。
 ところが、〈生活世界〉で実感される幸福は、科学的な管理側から見る幸福とはかなり違っているものだ。〈生活世界〉では、集団やマスではなく、個人の物語が基盤となるのであり、身近な者との関係、自分個人の将来の経済的見通し、そして自分の人生物語の編みようしだいで大きく異なってくる。それらは実世界ではまさに『羅生門的現実』をあやなすのであり、「一元化と統一」を旨とする科学・技術の規範で御す発想で突き進むと、「画一化されやすい人間」以外の心性を蹂躙することになる。

 そういえば、トップダウンから見た幸福の想定を疑わずして始めて成り立つ、いびつな「科学研究書」とかさ。あったりしたけどさ。
 → 『 これがリスク学と科学者のエートス 』
 リスク管理から見れば、ヒトの感情反応を抜きにしてリスク論は語れない。リスクは効率だけでは語れない。リスクが低くても、心理的に受け入れ態勢ができあがっていない事象は強い不安を引き起こす。不安が強い事象は強く対処されねばならないが、その対処は「リスクが低い」と説明するだけではダメ。当事者が適切なリスク受容の物語/ナラティブを形成する作業を援助できていなければならない。
 リスクが高くても、生活者側が「慣れていて心の落としどころが出来上がっている」事象は、ことさらリスク対処の優先度を上げる必要はない。
 畢竟、生活者側の優先度と、管理側から見る効率の優先度の兼ね合いが、現実の施策となって現れる。

 科学にまつわる幻想的理想に目がくらむあまりに(理想を語る啓蒙書は多いね)、実際の個々人の物語をどうするかという配慮をぶん投げてはばからないトップダウンなふんぞりかえりさんには、たまには冷や水をおかけして差し上げたい。リスク管理にはパターナリズムの問題も含まれるし、啓蒙技術や啓蒙上の礼儀の問題にもなるだろう。また、科学原理主義で悦に入る人は、別の角度から見れば、トップダウンの「施策側によく管理されている人間」のカリカチュアを体現していることにもなるだろう。

EP 〓〓〓

 「野良犬が跋扈する」タイのお話に戻るけれども、タイの衆生は「科学・技術 _だけ_ が正しい幸福の道である」という価値観にはいない。それは、彼らにとって正しい見解であり、<システム>に席巻され酷薄化した日本の現状とは異なる世界の物語/ナラティブだ。
 勤勉に尽くしさえすれば報われる、という幻想に犯されてもいないし、大事な< 縁故規範>も失ってはいない。タイはタイなりの社会の回し方で「納得」が形成されているのだ。

 『科学・技術の合わない国』には野良犬がいると看破なさった著者先生は、「無理なら無理に科学技術を押し付けなくてもいいんじゃないか」というタイ的なマイペンライ感を体得なさった。

 この楽観性は、人生が円熟すると悲観的な見解をする頻度が減っていく、その円熟味の現れもあるのかもしれないけれど、あらためて拝聴するに値すると思うし、この見解を補佐・補強する情報や分析は、鋭意、異分野の若い者たちがお届けしてあげるべきではないかと思う。

 野良犬がいる社会を捨てた/捨てることを良しとする日本は、今、幸福度低下まっしぐらの道にいる。さあ、これは何が原因?

 サバイ・サバイ・タイランド。



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