
先だってより、歴史的な事象について述べていても、ローカルな規範について述べていても、おばあさんの知恵について述べていても、なにやらあっさり
「それはライフハックですね!」
と、したり顔で(?) レスポンスしてくるおじさんやお兄さんに複数遭遇しております。
これには、コギャルがなんでもかでも「カワイー!」で済ます的な安直さに近い、そんな違和感を感じてひっかかって、えー、でもまさか、社会人しているおじさん的人々がそんな安直な思考を・・・?
「ライフハック」は「カワイー!」的に便利なのだとしたら、それはなぜ。
異なるレベルにあるいろいろな情報を、「ライフハック」だけで一括でくくれる便利さ、だろうか。
ネット上の有象無象交信は、相手の状況、時代の差、立場の差、どんな条件に縛られてそのような解に至ったのか、などの要素が見えづらいことが多い。そのバックグラウンドの見えなさは、特にTwitterあたりではハンパない顕著さになる。その中で、何か気が効いた風にリアクションする選択肢として、この「ライフハック」という物言いは、そうか、便利なのかもしれない。
時代や状況などの周辺の関係性(意味合い)を見る必要はない、ただそこに見えたそのパーツだけを「自分の基準で解釈してかまわない」という宣言・・・思考停止を見た目よく言い表す、それが「ライフハック」呼ばわりなのかもしれない。
「背景までは理解はしない」路線は、先だって感じた「見えたモノはすべて”今”扱い」路線の延長に見える。
┗3年前の記述や、1年前のコメントに対して、平気で通りすがりに「今の会話」であるかのようにコメントしてくる人々
見えたモノに対して、背景に無頓着に自分のしたい話をしはじめる人々。

で、一応、コギャルの「カワイー!」と、おじさんクラスタの「ライフハック」解釈には、それなりに微妙な差はあるように見受ける。
... 以下ライフハックとTwitter的なモノ:つづき...

おじさんにウケている「ライフハック」は、「背景はどうあれ、自分の理屈で解釈して、自分のプライドを補填しますよ(詳しく背景まで理解するのは面倒なので、便利なとこだけにして、あとははしょりますよ)」という宣言。
かな。

【人間情報のザッピング】
こんな記事が流れていたことを思い出したので、付記しておく。
矢継ぎ早のデジタルメディアは、あなたの倫理基準を混乱させる可能性がある
2009/04 EurekAlert Tweet this: Rapid-fire media may confuse your moral compass
人間関係の痛みに適切に反応するには、6〜8秒の時間の余裕が必要であり、一度引き起こされた心の痛みは、デジタルメディアの切り替わりの早さにも関わらず長く引きずられる
特に発達途上の若いアタマが「感情情報のザッピング」をし続けて育った場合、 縁故規範/生活世界のような感情的おつながりの形成が、阻害されるのではないか
〜 アントニオ・ダマジオほか
これはたまたま脳科学からの物言いになっているが、粗悪な「ゲーム脳」などのレベルの話と同列には扱えない。 脳がどうこうと言わずとも、社会学的に見てもヒトに刷り込まれる行動規範が変わってきているよという指摘はなされているのだから。
もとより社会変化(人間関係の規範の変化)の話としてみるべきだと思う。
宮台真司風に言うならば<システム>に席巻される<生活世界>の話、私流に言うならば<市場規範>に蹂躙される< 縁故規範>の話となる。
手がかりの少ないネット上では、市場規範(ゲームプレイで培われる規範はその傾向が強い)に慣れた感覚には、大事な人との熱く厚いお付き合いをするよりは、「入れ替え可能な人間情報のザッピング」のようなTwitterノリのほうがラクなのかもしれない。
実際、今回Twitter上で、大量フォローで「ザッピングがアタリマエ」的クラスタと、「一人一人との確認連絡を重んじる」クラスタの、Twit内2世界のはざまで、そんなギャップ感を体感して疲れてみたりした。
たまに沙汰される「Twitterが持つ敷居の高さ」も、「ザッピングがアタリマエ」とまでには人間関係を割り切れない、縁故規範系の人々が抱く抵抗感が、かもしているものなのかもしれない。

![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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