コンパクトな体裁に、エピソードも豊富に気軽に読める構成で。
買いやすい、読みやすい、すごいオモシロイし勉強にも考える種にもなる。
いい招待状。

「環境考古学への招待 発掘からわかる食・トイレ・戦争」
松井章著
岩波書店 740円 2005/01
この先生、楽しそうだ。
お付き合いが広くフットワーク軽く、いろいろな場所に顔を出す上、いきなしなんだかんだと水族館や博物館と立ち寄り先各所で興味あるもの、魚介や骨など、ばしばしもらってかえって標本コレクションにしてる。

●従来の考古学は、土器や石器、建物跡ばっかりにかまけてて、
土器の中の土、溝跡の泥に何が含まれているか、なんてことは捨て置いてきていた。
●遺跡にある土の成分、花粉、草の痕跡、ヒトのうんち、こまか〜い魚の骨なんかも、
無視せずにじっくり調べればすごいヒントをもたらしてくれるんだよと。
●奈良時代に飼われていた犬、「イヌ肉を食べるためだった説」もあったけれど、
当時の長屋王の邸宅跡から察するに、イヌは「鷹狩り用」に飼っていた。
しかも肉の味を覚えないように、贅沢にもコメ中心の”ネコまんま”を猟犬に与えていたらしい。
へぇ〜!

※
●馬や牛の、家畜の頭蓋骨、割られて脳みそを抜かれたっぽいことが多いのはなぜなのか。
昔の人は脳みそを食べていたのか?
調べてみると、脳は昔の「皮なめし」になくてはならない大事な材料だったらしい!
この推理過程も読めば読むほど面白く。
●日本の遺跡では、炭化物以外の動植物質は分解されて消えてしまいめったに残らない。●人間の死体なんかも、きれいさっぱり骨まで分解されてみつからない遺跡もある。
でも、あらためて土の成分を調べると、リンやカルシウムの量で
「大昔、ここには死体があったんだ」と判別することもできるらしい。

●欧米では近代史についても考古学の手法はさかんに援用されている。
戦争の跡を調べて「実際には何が起きたのか」を科学的調査で明らかにしていく。
(現場からの弾や薬莢の蒐集&調査、武器の調査、死体の状況…)
カスター将軍の最期の真相や、 ドナー隊の悲劇 、
クロアチアやルワンダの虐殺事件跡も、考古学チームの調査対象として取り上げられている。
ひるがえっては、日本軍のかつての行状を明らかにする調査はどうなのか。
●日本の考古学は明治以降の遺物遺跡を調査範囲からすっぽり抜かしがちなのはなぜなのか。
日本考古学の近代史嫌いと健忘症はそろそろ返上すべきではないのか。
政治的妄想を払底するためにも、科学として、もういいかげんなにかなすべきではないか。みたいな。
...以下つづき...

例外は弱アルカリ土壌の貝塚と石灰岩の洞穴と、木や骨が地下水で守られた低湿地遺跡。
●土地開発で地下水位が変わると貴重な埋蔵木簡や遺跡が失われてしまう。

●それ以上に日本の遺跡ではほとんどトイレが見つからないという大きな謎。
庭園みたいに瀟洒な水遺構、その中には観賞用や祭祀用ばかりでなく、
実際はトイレだったものもあるのではないか、とか。
これ聞いて思い出すのが「くそまり」の話なんだけど。
古代世界では糞は特別な力を持つイコンだった。
うんち=汚い穢れ、だとは限らなかった可能性。
便所で婚姻した話、うんちが土地の支配を象徴する話…
そこから考えると「祭祀を行う場所で糞尿をひりだす」のも意外とありだったりするのかもと。
●トイレ跡に含まれる寄生虫卵の種類からも、いろいろな推理ができる。
当時の人は**をナマで食べていたんだな、とか、
回虫は稲作とともに日本にやってきたらしいぞ、みたいな。
●トイレにやたら花粉が多いことから「もしかしたら当時は花も食べていた?」という
アイデアというか、ひらめきも生まれる。
●ヒトのうんちとイヌのウンチを見分けるのに便利な化学薬品がある。
骨の中の放射性同位元素の種類、は食べ物によって異なってくる。
おりおり紹介されるいろんな調査手法、いろんなハイテク技法に興味しんしん。
●イノシシ(ブタ)はいつから日本で飼われていたのか、というのも解くべき謎。出土した骨をDNA解析してどの系統のイノシシかを調べると、
弥生時代は飼いブタはいなかったという結論に。
ところがよく考えると、これ調べたミトコンドリアDNAは「メスからだけ遺伝する」しろもの。
家畜の種付けは、ふつうは少数のオスと多数のメスで行われる… オス?!
改めてミトコンドリア以外のDNAも含めて調べ直すと
「オスの遺伝要素からしてどうも飼われていたっぽい」という話になった。
こういう、現場とデータの整合性を求めて試行錯誤いろいろ試しては仮説がくつがえり、
でもって積み重ねてもさらに調べてくつがえり、というのが面白くて面白くて。
これぞ醍醐味?
●今の考古学は何を調べきっていないのか、どんな説が併存したまま決着が付いてないのか、
諸説あるナマさがよくわかるのも、かなりな収穫。
そうそう、諸説あるナマさ、このくだりも気になった。
「環境考古学への招待」 p.88こないだ読んだ本と読み合わせると…、
関西に生まれ育った私が、東北大学で考古学を学ぶようになって最初に受けた印象は、縄文文化がなぜ東北でこんなに栄えたのかということだった。けれども学界の多数派に付くことを良しとしない一部の考古学者は、東北で縄文文化が栄えたという説をさかんに批判していた。その根拠については、東日本の縄文遺跡は丘陵上に立地するのに対して、西日本の縄文遺跡は沖積平野に立地するため見つかっていないだけだと強弁していた点に尽きるだろう。
しかし、その後、山陽新幹線と東北新幹線、北海道や東北、山陽道、中国山地を縦貫する高速道路網によって、全国津々浦々に丘陵上にも沖積平野にも発掘のトレンチが入れられて、沖積平野の地中深くから次々と縄文遺跡が発掘されてきたが、その質も規模も、やはり東高西低であることを誰も否定できなくなった。そしてそうした人びとの声は徐々に小さくなり、現在ではすっかり鳴りを潜めてしまっている。
(2001年〜2003年の新聞連載が元原稿)
松井章:奈良文化財研究所 この人の 自己紹介 オモロイ
「縄文人の世界 日本人の原像を求めて」 角川書店 2004/03
「縄文の自然環境 自然環境と文化のかかわり 縄文から現代へ」p.368-369
中島経夫:滋賀県立琵琶湖博物館総括学芸員
西の縄文文化圏は、さきほど述べた糸魚川・静岡構造線のあたりまでです。つまり、照葉樹の分布パターンよりは、コイ科魚類の分布パターンとよく一致しているのです。
これらのことから、西日本の縄文文化がコイ科魚類を対象とする淡水漁撈を大切な生業としていて、それをあてにした定住生活が営まれていたのではないでしょうか。 {中略} このような定住生活は、フナを対象とした淡水漁撈が支えていたのです。そのために、内水面近くの低湿な場所で集落が営まれました。西日本の縄文文化は低湿地文化であったと考えられます。西日本の遺跡は、東日本の縄文遺跡が立地するような場所とは異なっていたのです。ですから、遺跡は地中深く埋まっていて、発見例が少なくなるわけです。発見される遺跡数から人口密度を推定すれば、西日本の人口は少なくなってしまうわけです。
(2002年ごろの講演内容が元原稿らしい)
これもまた「調べがさらに進むとくつがえる」可能性があるのかな、ないのかな、と…
どうなんでしょね。

奈良と琵琶湖は近所だし、そんなへだたったようなことはやってないと思うけど。
●ほか、7400年前の「脳みそが残っていた」死体群の話@アメリカ、
(日本でも2001年に 弥生人の脳 が見つかったことがあるね)
古代のイケニエの話、大名生活の裏表、街ぐるみで街の歴史を保持広報する手法、
瀬戸内海にもアシカがいたよとか、
ヒョウタンはおっそろしく遠くからも流れ着いて生えることができるとか、
話の種、考古学トリビアがもうてんこもり。
これだけ楽しめてしかも手軽な新書。 コストパフォーマンス優良です。

難をいえば、一部エピソードの年代が、いつのことなのか不明確なのが…。
野望がない、つつましい、交流豊かな楽しい考古学。
考古学が、多くの人の知恵と経験の集積で成り立っていることがよくわかります。
考古学に野望は危険です。
同じ環境考古学でも、


(2005/11/21追記)
●冒頭に記した「長屋王は何のために犬を飼っていた?」の話、既読の本の中に異論があった。
山内昶著『ヒトはなぜペットを食べないか』文春新書 2005/04
p.17
長屋王の邸跡からでた木簡にはイヌの餌に米を支給した記録がいくつかあった。 {中略} 贅沢な米飯を豪勢にもイヌに与えたのは、長屋王や王妃吉備皇女に太らせた清浄な犬肉を供御するためだったらしい。もっともこれには異説があって、鷹狩り用の勢子犬に肉の味を覚えさせないためだ、と主張する学者もいる。猟犬に肉の味を占めさせると、タカの獲物を横どりする恐れがあったからである。しかし廣野卓の『食の万葉集』によると、イヌの餌用に支出した米と、買いいれたイヌの代金として支出した米との木簡での書き方がちがうので、後者のばあい、「これらの犬は食用として購入されたものだろう」と推定していた。筆者もこの説に賛成である。
「環境考古学への招待」 p.117-118
出土した木簡の中に子供を産んだ母犬の餌に米を支給すると記されたものが含まれていたことから、長屋王邸では、貴重な米をイヌの餌にしていたと話題になった。まず奈良文化財研究所の金子裕之氏は、この米はイヌを太らせて食べるためのもので、客をもてなすための食用犬だったという説を発表した。この説はたちまち、韓国・朝鮮の歴史、考古学者の目に留まり、このイヌは渤海の使節をもてなすための犬醤/ケジャン/料理用に飼育されたものだという説まで発表されるに至った。
{中略} 奈良大学の東野治之氏は、弘仁九(818)年に嵯峨天皇の勅命で編纂された『新修鷹経』という鷹狩りに用いるタカの調教書に、タカの餌として馬、豕/いのこ/(猪または豚のこと)、兎、鼠、鶏、雑を挙げていることから、これらの木簡はタカの餌として進上されたときのものだと解釈した。
私はその論文を読んで目からうろこが落ちる思いがした。日本の鷹狩りにはイヌが不可欠なので、長屋王のイヌも鷹狩り用だったに違いない。 {中略} 筑後国正税帳/しょうぜいちょう/や周防国正税帳に {中略} タカを養う人一人とイヌ一頭、一日あたりそれぞれ稲二把を支給したと記録されていたのだ。
{中略} 鷹犬が肉の味を覚えると、獲物を食い荒らすそうだ。また、最近、越後国でも藩内の百姓への課税の一つに、鷹犬の餌として米を徴収していたということを知り、鷹犬と米の餌は切っても切れない関係にあるとますます意を強くした。
これについても諸説併存中ということで。
(当時の人から見れば「なにをいいかげんな」みたいなとんでもない解釈を子孫がいろいろやっちゃってたりするんだろうなぁ)


![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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