そんな印象を振りまく仕上がりになってしまった残念な一冊。


『アスペルガー症候群の天才たち 自閉症と創造性』 マイケル・フィッツジェラルド 星和書店 (2008/11)
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原書2004年 Autism and Creativity: Is There a Link Between Autism in Men and Exceptional Ability Michael Fitzgerald (著)
この残念的違和感の原因は、著者自身が記した原文なのか、それとも日本側の訳者がまずいのか。とにかく読んでいて鼻につく不自然な用語、表現・・・少々とまどいが大きい。
言い回しがオカシイのは・・・訳者のせいか。
奇態な用語を頻用するのは・・・訳者のせいだな。 訳者か!
「缺く」「缺陥」こんな語を普通使うか?(ふつうなら「欠く」「欠陥」だろ) どっか特定の分野ではあたりまえな表現なのか?
「HFA/ASPと奇矯の間に密接な関連のある」 そちらの専門分野では普通に「奇矯」を名詞として用いていらっしゃるんですか?
「自閉症の天才に典型的に見られる特徴は不滅に対する欲求である」 この「不滅」という語の選択感覚も、なんかオカシイと思うぞ。こう、重要なキーワードでおかしな表現に固執するこの傾向こそ、なんかほかならぬアスペっぽくて痛い。
で、この本を訳したのは、素人です。
職業はプロの研究者かもしれんが、いかんせん素人レベルの翻訳だ。
志はわかるが、翻訳業の奥深さをなめてないか、みたいな残念感が強く残る。訳して出版したご本人達は満足なのかもしれんが。

基本的に、どっちかというと「科学書/研究書」というよりは、「敢えてこうみなすべきだ」とする政治性の強い著作です。
邦訳のタイトルは「アスペルガー症候群の天才たち」。
原書は、「自閉症と創造力:男と例外的な能力に、自閉症とのリンクはあるか」。
原書のタイトルにはなかった「天才たち」をタイトルに持って来たがった、日本側の政治性というか、意図的な誘導が、さらに著者側がすでに持つ誘導意図に直截的に輪をかけてしまっているのであり、微妙な陳腐さを醸してしまっているのでございますが。(原題は、原著者が天才という表現を出すことをためらった上で成り立ったものではなかったか)
本書のベースは、今後来たりくる診断基準の改定(DSM-5)に向けて、自閉症(特にアスペルガー症候群)の診断基準はこのように修正すべきではないのか、と主張する持論開陳。その持論の支持資料として、これまでの自閉症診断基準変遷の歴史だの、アスペっぽい有名人はどんな言動をしていたのかだの、進化心理学・進化医学的に見たアスペの意義だの、たくさん分厚く述べ立てまくる。
p5
天才は、自閉症であってもなくても、高い能力を持つ人であり、ある主題についてのわれわれの考えを変える仕事をする人である。本書はHFA/ASP(高機能自閉症やアスペルガー症候群)であり、天才である人々を扱う。
●低機能自閉症の人々は本書に書かれたような創造的活動をおこないえない
●しかし、アスペルガータイプの高機能自閉症の人々は、偉大な創造をなしとげうるかもしれないのだ
はいはい。
では、著者は、アスペルガー症候群の診断基準をどう変更したがっているのか。
... 以下つづき...

【しゃべりが達者でもアスペルガー】
今の診断基準では、自閉症と診断を下すには「言語能力にさしつかえがあること」が大きな比重を占めている。しかし、それはいかんだろーと、おっしゃるのが著者。
p54
本書の著者は、アスペルガー障碍に関連するDSM-Wの今後の改訂を次のように提案する。すなわち以下の削除、
コミュニケーション;以下のうち一つ
(一)臨床的に著しい全般的な言語の遅れがない
(二)話しことばの発達の遅れ
(三)他人との会話を開始しあるいは継続する能力の障碍
(四)常同的で反復的な言語の使用、または独特な言語
(DSM4)
そしてそれを以下のように置き換える:
(a)臨床的に著しい全般的な言語発達の遅れがないか、あるいは
(b)話しことばおよび言語の障碍
これによって少なくとも、臨床的に著しい全般的な言語の遅れを伴うアスペルガー障碍あるいは伴わないアスペルガー障碍に関心を持つ研究者が、これらの集団を別々に研究することが可能になるであろう。
「臨床的に著しい全般的な言語発達の遅れがない」ぺらぺらと能弁なケースと、言葉能力がいまいちなケースを、しっかり分けて扱うべきだと。
この診断基準からいくと、オタク集積場所や特定の研究分野あたり、そうとう高い率で能弁アスペが集合なさっていることになるだろうな。
多くの研究者が次々と診断基準を提案してきたが、ジルバーグによって提出された六点が、アスペルガー症候群の最も有用な記述の一つであると私は思う。それは次のようなものである。
一、対人的な障碍
二、偏狭な興味
三、反復的な日常生活の手順
四、話しことばや言語の奇妙さ
五、非言語的コミュニケーションの問題
六、運動の不器用さ
本書はジルバーグの基準をかなり重視している。
対人障害っぽければのきなみ「診断」で障害名を付与するようにしたいわけか。

さて、「アスペルガー症候群の天才」として本書で挙げられる有名人たちは以下。
ヒトラー
ウィトゲンシュタイン
キース・ジョーゼフ卿 20世紀後半イギリスの政治家
イーモン・デヴァレラ アイルランド建国大統領
イェイツ 作家
ルイス・キャロル 作家
インドの数学者 ラマヌジャン
しょっぱなヒトラーです。おひ。
p299
政治領域ではアスペルガー症候群の奇異は人々の投票を得るのに不利ではないと、私は信じている。概して、大衆は明瞭で狭いが境界のはっきりとした見解を好む。これこそまさにHFA/ASPの人々が提供できるものである。そして、彼らが選挙で成功するのも当然であろう。
もうほんと、一般人向けを想定していないというか、「二、偏狭な興味」というか、・・・ねぇ。

ヒトラーが生涯振りまいていた「偏狭な興味」「勝手に一方的にぶちまくる論説」などなど、アスペであっても「人を煽動する才能を発揮できる」好例として紹介。
ウィトゲンシュタインは、姉もアスペだったんじゃないかといわれてますね。
著者はアイルランドのおひとなので、著者的にローカルな有名人もラインアップ。
こういう、直接診断もせずに過去の人の言動について風評や資料を元に「病気だろ」などと解釈を開陳する分野は「病跡学/心理病歴学」と呼ばれているらしい。
アスペルガー症候群の天才に典型的に見られる特徴として、著者は「不滅に対する欲求」を挙げています。
そういえばよくありますね、すっきりくっきり「厳に変わらぬ何か」を求めたがるアスペのオタや研究者。もとより自閉症傾向の人々は状況の変化に弱く、不安定な関係性に混乱しやすい。不変な何かに安心感を感じるあまり、「不滅に対する欲求」に突き動かされて科学原理主義や宗教原理主義に走ったりなさる。(逆に言えば、複雑な機微に喜びを感じない心性)

ほか、いろいろ「これがアスペだ」と著者がみなす特徴としては
p79
HFA/ASPの人々は、自閉症的文化すなわち神経学的典型例(ニューロティピカルズ)(「正常な」人々)とは相入れず、彼ら自身で構築した文化に住んでいる。他方、神経学的典型例は、同じ地理的領域にいる他の人々と相互交流的に、かつ他の人々と一致して文化を構築する。それゆえHFA/ASPの人々は、自分自身の国への帰属感や、国籍が意味するもの全てについての感覚を缺く。彼らは「無国籍の市民」あるいは「自閉症国の市民」なのである。
えーと、要するに共感能力にハンデがあるために、参加感や共同体感が軽々には醸されず、孤立感の中で独特の俺ルールの巣を作る。かな。
例えば、「なぜ単に同じクラスに割り振られただけで、同窓会などと延々団結意識を持たねばならないのかわからない」「日本に生まれただけで、なぜ日本を愛さねばならないのか説明してくれ」そういう、アタリマエといえばあたりまえな違和感が、ふつうに常識に対して沸いてくる。
p80
HFA/ASPの人々は、他者をまるで考える機械、ほとんどコンピュータロボットであるかのように扱う。
p81
HFA/ASPの人々は虚構作品を理解することが非常に難しい。

人心の機微配慮をすっぽかして言動してしまうわけで、おおせのような「他者をロボットのように扱う」はめになってしまう。
普通の人なら意識しなくてもスッと自動処理で行われる「共感/感情発現/自我欲へのブレーキ」が、アスペではいちいち意識的に学習してあれやこれやとわざわざ計算しなければならない。その計算訓練が十分うまくいってないほど、オカシイ子呼ばわりされやすいし、人心の機微に配慮しながら追わなければならない映画や小説は、頭がしんどくてついていけない、てなことになる。
おまえはどうして人の気持ちがわからないんだ? 情操教育だ、心理描写に卓抜した作品を読め!と名作文芸を押し付けられても、これまた脳にしんどいだけで、さっぱり理解できやしなかったり。(「罪と罰」とか最悪ですね)
p85
HFA/ASPの人々はまた、これらの統合缺陥のためもあって、首尾一貫した自分像を形成することができない。
アスペの人たちは、人心の機微をどう汲み取るかを、脳内で手動でやんなきゃなんない。自動装置がエンストしてる。でもって「他人様に自分がどう見られているのか、どう見られるようふるまったらいいか」というところまで、脳内手動計算で出すのはものすごく高度に難しい作業だったりする。
だもんで、「どう見られようが気にしない/そのへんは自分はブレない」と、マイウェイに避難してやりすごしていたりするケースもけっこう多かったりしている。
p112
自殺念慮はHFA/ASPでは珍しくない。

これがね。ヒトには
・声や顔から感情を検出する装置
・検出した感情を整理する装置
・整理した感情情報を加減する装置
・加減された情報を適切な回路に割り振る装置
・割り振られた感情情報に反応する装置
・感情への反応を制御する装置
・感知した感情に快感を感じる装置
・感情による快感を欲しがる装置
などなど、複雑な段階がいっせいにうまく作動して、初めて「ちゃんと周囲の人々の気持ちが汲める」能力が発揮できることになる。
この中のどれかの段階で故障があって、なおかつラストの「感情による快感を欲しがる装置」が元気な状態だと、「共感による幸福感が欲しいのに全然得られない!」という感情飢餓状態になるわけで、これはたいへん幸福度が低くつらい人生になりかねない。
幸福感ゲット欲はあるのに、幸福感ゲットの方法がわからないがあまりに、脅迫や拉致に走ったりというケースもたまにあるわけで、まー悲しいし。
アスペ系の天才は、「他の人間との正常な関係を楽しむ能力の缺如」から来る「不釣り合いで執拗な情熱」によって才能を発揮する。とみなすくだりも記されています。
感情情報によって、自分の欲求にブレーキをかけてくれる回路が弱いぶん、空気を感じずに「自分の欲に突っ走る」的な。これはこれで幸せなのかもしれないが、でもそれは「周囲からの幸福感」が得られないからこそ発生している孤独な幸福状態。
p248
HFA/ASPの人にとっての大仕事は、自閉症でない人々のさまざまな「生活形態」あるいは言語ゲームを発見することである。
言語ゲーム、つまり日常生活上でフツーの人々が、「敢えて言わずとも」暗黙のうちに共有理解しているお約束ごとたちですね。その暗黙のお約束ってのはほんと「ヨソモノ」にはわかりづらい秘技みたいなもんでして、結果「そこでそんなこと言ったらあかんやろ」とか「なんでそのくらいのことがわからんのや」とか「この子は頭が良いのにどうして・・・!」みたいなお小言や愚痴にしょっちゅうつきまとわれることになる。あかんです。
p304
デヴァレラはアスペルガー症候群の人々によく見られる独得の声の特徴を持っていた。公式記録によると、彼の声は甲高かった。著作家ショーン・オフェイランはその声を「ひび割れたあるいは布でくるんだ鐘の音」と記述した。そして著名なアイルランドの文官T・K・ホイッタカーは彼の声を「古式の荘厳な声」と言った。
声。
実は、健常者にとっては、声はたいへん大きな割合を占める「感情メーター/感情発信器」なのです。
参照
が、アスペさんは肝心の感情検出装置がポンコツなので、「自分の声に込めるべき機微や感情」がわからない。
おまけに「他者の感情に配慮して自分の欲求にブレーキをかける」回路にも故障があったりするので、自分のしゃべりたい欲にまかせて一気呵成に「変な声で」とうとうとまくしたてたりする。はいはい、コミケやアキバでよくある光景ですね。
このへんの脳内機序について、図解をこしらえて別項(隣のエントリ)に並べてみましたので、お急ぎでなければご参照下さいませ。

過日、見知らぬ人がいきなり長文の身の上相談とともに、「自分はアスペとは診断されなかったが何かオカシイ、どう思いますか」と訴えてきたことがあった。いや、そのいきなりさと長文さからしても、どう見てもアスペ系っぽかったのでその旨指摘はしたんだけども、それでも現行の診断基準「DSM-4」で杓子定規に解釈する限りにおいては、あの状態でも「言語能力が健全であるから」アスペではない、という診断になるわけかな。
当該書の著者が提案する基準に従えば、くだんの事例は「言語能力には障害のないアスペ」として確実に成り立つのではないかと思われ。
p436
本書で記載された人々の多くは、自閉症の軽症例であるとされるだろう。筆者は「軽症」ということばに異議を唱えたい。これらの人々は彼らの生活上で、大きな対人的情緒的問題を抱えており、またうつ病や自殺念慮や、時には精神病を発症しているからである。にもかかわらず、本書は彼らの創造性に対する賛辞なのである。
確かに苦しい人生であり、その苦しさはわかってもらいづらいし、実際わかってもらうすべがなかったりする。(「先天的に精神が壊れた障害者」というステータスに自分を置かねばならないのか!?という多大な抵抗感とかもあるわけでして)
とりあえず、自殺念慮がきつく出る点だけは、なんか鋭意対処してもらえたら嬉しいんですけどね。ていうか、やっぱ死んだ方がまし?と思わせたい?

本書の終盤、第10章で進化心理学の講釈に入ります。基本的に、冒頭から進化心理学をよりどころにアスペの存在意義を正当化しようとする、どちらかというと粗忽な政治的操作が入ってます。
適応性の過大評価というか、あらかじめアスペの定義を拡大した上で、それらの変人たちは人類発展に貢献したぞとぶっているような。
アスペがいなかったら産業革命は無理だったろう、的な。
p432
HFA/ASP発症に対する環境の影響が10%程度であるのに対して、遺伝的要因の影響はほぼ90%である。
機械的な心をもった人類が道具を発明するのに特に適していた。そのため、この人類は生存競争において他の人類よりも有利となった。
と断言するのもなぁ。
とりあえず、全体として、「個人の主張」であり、議論は「このような視点も」参考にしながら、別途進んでいくと思われる。
※ 本書では訳者が障害を[ 障碍 ]と表現することに固執なさっている
※ 一般にはスティーヴン・ローズで通っている人物名をステファン・ローズと訳している。ということは、進化心理学に詳しくない状態で翻訳した?

ま、このあとは隣のエントリ
をまとめに入りますので、本稿はこのあたりでどっとはらい。

![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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