
無精子症(たねなし)と、勃起不全(インポ)。
どっちのほうが、イヤですか。
どちらのほうが、抵抗感が強いでしょうか。
どちらをより隠したいと思いますか。 >男さんたち
『不妊と男性』 村岡潔 ほか 著
青弓社ライブラリー 青弓社 2004/11
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不妊のカップルにおける男性の立場について、繁殖能力に障害がある男性について、いろいろな考察が収録されている貴重なご本。

【不妊治療は難しい】
●第1章 不妊と男性をめぐる問題系
村岡潔
男性不妊症は結婚前の発見が大変困難で、結婚してはじめて気づくことが多く、その予防は難しい。p.34
・・・男は、結婚前にいくらでも不妊になりそうな身体に悪いことを、いろいろやっちゃいますからねぇ。
不妊症例の3分の1は、男のほうの不具合が原因なのだそうです。
男性の不妊症は、何科のお医者さんが見てくれますか?
答え:泌尿器科。

第1章 村岡潔 p.33
不妊治療に専念する時間のために長期に休むことになっても職場では不妊治療を受けていることは言いにくく、結局は定職を失うことにもなりかねない。門野理栄子は、社会学的な見地から、不妊カップルが不妊治療から降りられなくなるのは、不妊治療というものが治療のたびに、彼らを「産めない身体」の持ち主として繰り返し意味づけるためだと指摘している。
ん? 不妊治療は、そんなに繰り返す人ばかりだっけ?
大半の不妊治療チャレンジャーは、一回チャレンジしただけで懲りて、あと断念してしまう例のほうが多かったんじゃなかったろうか。
単に「繰り返し不妊治療を受けているカップル」を調べたらそう見えたのかな。
しかし、「繰り返し意味づける」って、まるで呪いですね。
あんたは不妊症、あんたは病気、あんたは故障中…。
一回こっきりで不妊治療を断念した人々は、あっさりその「異常性」の意味づけを跳ね返して(呪い返し?)踵(きびす)をかえしたのか、それとも、単に医療側についていけなかったのか、金銭面でのハードルが高すぎただけなのか。
男は打たれ弱い:関連記事
2007/11 ロイター 男性の性機能障害、治療開始後すぐに断念する人が多い=調査
┗ 最初に試した治療薬の効果が感じられないと、よけいに自信を喪失し、性生活を完全にあきらめる。
... 以下つづき...

【男性雑誌に現れる男の自己中心性】
●第5章 「男性問題」としての不妊 −− 〈男らしさ〉と生殖能力の関係をめぐって
田中俊之
この章は面白いです。
男向けの雑誌と、女向けの雑誌でと、不妊の記事はどう内容が異なるかを比較考察してあるんですね。
男性誌:語り手は医者、医者のご託宣ばかり
症状の情報が中心
当事者の思いは見えない
女性誌:夫婦の体験談紹介が多い
不妊をめぐる夫婦関係の諸問題が学べる
このような点を気にしながら雑誌を読んだことはありますか?
第5章 田中俊之 p.200-201
男性誌では男性不妊の解決は薬物治療にせよ手術による治療にせよ、男性の精子を受精可能な状態にまで引き上げること、つまり生殖能力の回復に重点がおかれているということである。そのため、人工授精や体外受精について言及がある場合でも、「男性不妊症を根本的に治療するわけではありませんが」(同誌)とのことわりが付け加えられる。男性誌では、不妊の根本的な治療とは、男性が性交によって女性を妊娠させる力を手に入れることなのである。現在の医療技術では、男性が生殖能力を回復させなくても子どもをもつことはできる。もし、子どもをもつことだけを目的としているのであれば、AIH(配偶者間人工授精)などの治療法について検討してみる余地があるはずだろう。しかし、男性誌では、男性が生殖能力を回復するための方法の紹介に誌面の大部分が割かれていて、夫婦関係についてはほとんどふれられず、生まれてくる子どもに対する言及はまったくない。
これは愕然(がくぜん)としますね。
まじアレですか。
男ばかりが、自分がヤれるかヤれないかがすべてであって、人間関係も、肝心の夫婦関係さえも、二の次三の次にしておりましたか。
ちょっと調べただけで、こんなにもあからさまなギャップがボンと。

【男は自分だけでいっぱいいっぱい】
●第3章 不妊女性を支える男性たち
西村理恵
ここでも不妊に対する男と女の態度の違いが考察される。
p.112
不妊の診断を受けたときの反応として、女性のほうが男性に比べて情報収集やケア提供者を積極的に求める傾向があるのに対し、男性自身が不妊の診断を受けた場合は、不妊という事実から距離をおく、引きこもるなどの反応を示し、社会的なサポートやケア提供者との接触を避ける傾向がある。
う”わー。男は、自分の繁殖能力に障害があった場合、それを独りで秘めたがるわけですね。
女をはらませる能力の有無が、人間としての存在価値に直結しがちなわけだ。
えーい、アイデンティティが、股間に固まって・・・いるのはなぜだ。

高次脳機能障害をこうむった男性患者を見舞うとき、男は、まず「ヤれるのか?」と尋ねるという、この事例モナー。
ヤれるかヤれないか。
秘め事、夜の営み、わたくしごと。それが直結している男の自尊心。
【男性不妊治療の最前線】
●第2章 男性不妊治療の最前線
岩崎皓
この章では、具体的な症例や医療情報が列挙されます。
まさに当事者必見でしょうか。
【今の時代に無理がある?】
●第4章 男性不妊の歴史と文化
白井千晶
この章では、「昔はそうではなかったよ」と別の時代の別の規範を持ち出すことによって、現代の結婚観や実子執着を逆照射し、相対化しようとする。
第4章 白井千晶 p.160
夫婦それぞれが「血のつながりがある」子どもをもたなければならないという社会的要請や規範は、近代社会の特徴である。近世までは、もらい子、養子、里子によって子どものやりとりが制度として存在していた。
p.161
[昔は] 現代のような「皆婚社会」ではない。( [〜中略〜] 長期的な時間軸でみれば、現代社会ほど婚姻率が高い時代はないといわれている)
したがって出生順位や経済的状況、資産状況、社会的地位や階層などによって、結婚せず、子どもをもたない者も少なくなかった。
さらに、避妊に関する知識(妊娠しにくい時期など)や避妊技術が乏しかった時代には、妊娠しないこと、堕胎すること、出生直後に子どもを殺すことなど、子どもをもたないことに対する関心のほうが高かったともいえる。現に、近年まで「不妊」や「不妊治療」といえば、一義的には産めなくする技術や治療をさしてきたし、非先進国では現代でもそうである。

自分の能力は恥か。
養子は救いではないのか。
アイデンティティを性に置きすぎていないか。
自分自身の価値を遺伝子にのみ偏重しすぎてはいないか。
第1章 村岡潔 p.45
世間では、自然観ひとつとってもさまざまであり、あることの選択・選好には好きから嫌いまでさまざまな人の反応がある。こうした多様な反応や意見が混在ないしは遍在している複雑な社会状況(現実)を、ここでは「文化的生態系」と呼ぶことにする。
不妊治療に関しても、当事者は、こうした賛否両論の飛び交う相対主義的な文化的生態系に生きている。

「おのれの子」に執着する心性をもたらしたモノは、何か。
「おのれの生殖能力」に執着する心性をもたらしたモノは何か。
社会的しがらみなのか、自分の心の病なのか、それとも生物学的な反応の発露なのか。
望む者は「おのれの子」を、そも、どうみなしているのか。
望む者は「おのれの生殖能力」を、どうみなしているのか。
それはどの 文化的生態系 からあがった声なのか。
先の第1章の筆者は下の言葉でしめくくっている。
第1章 村岡潔 p.55
わが子に血筋を求める親はまだくちばしの黄色いひよこである。
貰い子も連れ子も知人の子も皆わが子と実感できるものは、すでに相当な力をもった親である。
全世界の子どもをわが子と思うものこそ完壁な親である。
価値観をどこに置くか。
おのれの執着をどこにおさめるか。
●情報庫: 人工生殖 心の男女差 ジェンダー
※ このお話は、旧ブログにあった
2005/02 『不妊と男とその呪い』
というお話をアップデートして転記したものです。

![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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