

【死期 特定の日まで生き延びる現象】
特定の時期にヒトの死亡が集中することがある。
21世紀に入った第一週に、病院での死亡者数が5割増になったケース。
ユダヤ教では、過越の祭りの前には死亡者数が減る
「人々は大事なことがすむまでは、死のタイミングを少しなら遅らせることができる」
逆に言えば、「もういい」と思ったときに、人は生き延びる苦難から 離脱する。


【寝たきりは文化依存】
・「寝たきり老人」が多数見られるのは、先進諸国の中では日本だけ
・欧州には、高齢者に対して積極的な医療・治療を行なわない、文化的な文脈がある/高齢者に延命のための医療行為はほとんどなされない/西洋的には、食べられなくなったら死ぬのが当たり前
・日本では、寝たきりを解消しても、高齢者には生きるよすががない
所収:月刊『現代思想 2008年2月号 特集「医療崩壊 生命をめぐるエコノミー」』 青土社
西欧では、神にさばかれるために一時的にこの世にいる、という感覚があるらしく、切りのいいところで「死なせてもらう」のもありだったりするらしい。という話は前に書いた。


【バッチフラワー療法の怪】
長年さまざまな投薬でもなかなか快癒しなかったうつ病患者(女)が、とある経験豊富な精神科医の見立てで「バッチフラワー」を試してみたところ、めざましい改善を見せたという実例。
┗日付に留意。後日また違う展開になったのかもしれないが、雨崎は確認できてません
「38種類の花の花びらの上の朝露から作られるホメオパシー・チンクチャー(原チンキ材)から作られる、液体療財(レメディー)を用いる」
・・・マジですか。朝露から。でも、これは特定のチャンネルに依存しやすい心性の人間にはマジに効きそうに思える。(占いとかオトメチックとか暗示に耽溺するような)
意図的に、感情のチャンネルをインストールしてしまうわけだ。そして、そのチャンネルで、感情の不具合を任意に調節して行くわけだ。さまざまなレメディーに付与された意味レッテル(恐怖に効くレメディー、憎しみに効くレメディー・・・)は、ストーンパワーのアレに酷似しているように見える。
患者の心性によって向き不向きに大差がある療法だと思う。でも、効く人にはマジに下手な投薬より効きそうだ。背景を抜きにして感情というチャンネルに直接働きかけるわけだから。

以下続き:
・アフリカの幽霊、ハムレットの呪術
・ヒトにインストールされた物語
・おのれの死生観は客観視できるか
・適応的な死後観、適応度の劣る死後観
・インスタント死後観:お浄土というチカラワザ
・おてんとうさん効果を失ったネットイナゴ
... 以下つづき...



【アフリカの幽霊】
シェークスピアの『ハムレット』の文脈が、異文化に於いてはいっさい通用せず、彼らの解釈でみごとに「正されて」しまう事例。もしくは、自分たちの世界観ですべてを解釈する以外の視点を、双方とも持たなかったという食い違いの妙。
欧米人は「幽霊」という設定をアタリマエだと思い込んでいた。ところが、現地の長老は、「幽霊」が登場するくだりを「ありえない。それは呪術師が送った兆しのたぐいなのだ」と断定するしまつ。
所収『外から見た〈日本文化〉』 星野 勉編 法政大学出版局 (2008/03)
所収『アフリカの文化と言語 (月刊言語 別冊)』 西江雅之,千野栄一編 大修館書店 1974年
ものごとを何に依拠して解釈していくか。
それが文化的にどのように規定されてしまっているのか。
自分は何が見えないように、育ってきたのか。

【インストールされた物語り】
いかにおのれの世界観が限定されているか。何に縛られているか。
自覚できているか。
何をインストールされて、それが何と不具合を起こしているのか。
それを見切れる者はいるか。
ヒトは成長過程でなんらかのベースラインをインストールされてしまう。
こうすればこうなるはず。自分に見える解決のビジョンはこれ。
特権と統一理論をありがたがる者が、進化理論と親和的になるとき、それは宗教蔑視や格差肯定として顕現したりする。
暗示や共感に依拠した者が、複数の価値観に翻弄されてバランスを崩し、受診して投薬を受けては見たものの、結局は暗示&共感のホメオパシーで救われるという図。
その者がどんなチャンネルを抱えているのか、見抜くには高度なToMと場数を踏んだ経験値が必要だ。

【おのれの死生観を客観視せよ】

日本の死刑騒ぎは、死後観の貧弱さに起因している部分が大きいのではないかと思える。
大岡氏は北欧の死後観を調べた上で以下のような分け方を提示している。
■「死者の冥福が生者の幸福に関係する」と考えるか否か
冥福独立型:死者の冥福は生者の幸福とまったく関係がない。
死者の冥福を生者が祈ることは可能だが、冥福は死者だけのために祈られる。
生者は自らの幸福をまったく祈ることなしに、純粋に死者の冥福だけを祈る。
冥福影響型の冥福追従型:生者が幸福にならねば、死者の冥福はありえないという観念。
冥福影響型の冥福先行型:死者の冥福をつくりあげてはじめて、生者が幸福をえられるという観念
所収『死生学 3 ライフサイクルと死』 武川 正吾、西平 直編 東京大学出版会 (2008/7/10)
この伝からすれば、今どきの日本は、死者にかこつけて自分を慰撫しようとするパターンが、痛いほど多い。
キリスト教圏は、死後は神の管轄なので、日本ほど生者が死者をあげつらって血道をあげることはない。
仏教圏は、死後はすみやかに転生させてやるのがスジであり、いつまでも死者云々とかかずらうことは、すなわち「幸福な転生をはばむ行為」であり、「まだ転生できていないとは、生前にどんな悪いことをしたんですか!」とリアクションされることになる。

【デリート感はヒト感覚を殺す】
ゲームが与える死生観は、リセットであり、デリートであり、ループであり。
IT系の世界が与える死生観は、拡散であり、デリートであり、フラット化であり・・・。
死後観が貧弱になってきている。死後観がデリートされていっている。
死後観がないからこそ、殺された者はいつまでも「殺された」という物語のループの中から開放されない。「殺された」以外の物語にシフトするすべを失っている。だからこそ、死者に依拠する生者は、救われずに「殺された」物語の煉獄を生き続けることになる。
そんな経緯で「死刑」が炎上してないか? >日本
キリスト教では、死後は神の物語に変換され、現世の物語からは開放される。
仏教では、死後はすみやかに転生するわけで、新たな物語に解放される。しかも、仏教の転生観の場合は、転生先の対象がヒトに限られておらず、動物や草本にまで、「自分の愛した人だったかもしれない」という極端な「共感の解放系」が醸成される。慈悲の世界だ。死は、世界とつながるための旅立ち。死者はすみやかに新たにこの世に下ってくるのだから、死者に執着するのは失礼だし、墓も遺灰も不要になる。死んだ者は、この世のどこかでまた生きているのだ。

死後観を解放することは大事だと思う。
いつまでも死者を一点にフリーズさせておくことは、生者にとって負担が大きすぎる。千の風でも生ぬるい。故人を個人から解放すべきだ。
もとより、個人の尊重だの、唯一無二の自意識だのという妄想は一神教系の西欧由来ではなかったか。
科学的な物言いがお好きな人にも通じるように記すならば、
死ねば身体の構成要素は世界に還元されていく。
愛した故人を形成していた分子は、となりのおばちゃんの一部になっているかもしれないし、学校の木に宿って見守ってくれているかもしれない。
死後に魂は存在しないが、縁は残る。縁は世界中の生きとし生ける者とつながる。死者だったもろもろは、新たな生に解放されて別の生を生きており、かつ、生者と確実になんらかの因果関係でつながっている。
もとより、魂や転生を想定しなくても、故人はもう故人のままではない、新たな物語を始めているのだ、という見解は形成することが可能なはずだ。「縁」や「業」、さらには「苦」の概念も、保持できるはずだ。
死後は、新たな物語にまかせることだ。いつまでも生前の個人のままで物語をフリーズさせておくと、ほかならぬこの世が煉獄になる。世界が回らなくなる。どんな解決を目指しても、死者が同じ物語の中で「リセット・ループ」を繰り返している限り、死者は生者によって殺され続けるだけだ。死者は(そして生者も)解放されない。

死後を解きほぐして、新たな世界に慈悲を見いだせ。
すみやかな転生をうながし、おのれを救え。


【理屈スープレックス】
とかなんとか持っていけば、こぎれいに一本書けるかなと弄んでいたのだけれど、折悪しく、こっちの本を読んで腰抜かしてしまって。
「転生観」はかなり幸福度ゲットのすべとして有望だぞ、日本の仏教は転生観という重要な世界観を忘れているっぽいなぁ、と持っていくつもりだったのに、この本ではあっさり
「大丈夫、お浄土があるじゃありませんか」
「本当ですか!救われました!ナンマンダブナンマンダブ・・・」全員号泣
死を前にした患者さんの、顔が輝く。
もう、むちゃくちゃなんですよ。 仏法らしいのに、転生関係なし。 理屈スープレックスというか、たしかに救われているんだけど、いやーこれが大乗の力かー???みたいな、たしかに効きそうだし、これもありなのかと、かなり困った。
とっちらかった女脳(共感脳)の世界の迫力というか。( ※ 共感脳 )
理屈抜きに、死んだら天国。(死後の物語を「救い」に変換する)インスタント死後観?
仏法的にはこれあかんやん、転生観はどないなってんねん、と認めたくないけれど、・・・でも、かなり広い範囲の心のチャンネルに有効性・実効性を発揮しそうだ。
もう、理屈じゃないですね。チカラワザに負ける。


内なる物語/ナラティブ、感情のチャンネル、死生観、死後観、幸福度。
はい、まとまらない、いろいろの、思考の便秘解消書きでした。
どれか、おもしろかった?
この3冊は今回特にオススメ。

【追記】●無縁感が、慈悲心を失わせる。
どんな悪人、異人種、敵国の人間であっても、かつては「縁者だったかもしれない」という死生観がネポティズム(脳内感情システムに備わるニンピニンに対する冷たい仕打ち発動モジュール)の発生を抑えてくれる効果が、転生観にはある。
●死後観が脆弱だと、復讐が止められない。
すでにどこかに転生して新たな物語を始めている、という転換の様式は、復讐心(脳内感情システムに備わる仕返しで快感を得ようとさせるモジュール)の軽減に効果的だ。現日本にはびこる死生観(いつまでもどこかにあのころのままにいる云々)では、ヒトの瞋恚(しんに)が野放しになってしまう。「殺せば解決する」というスキーマが、今般どこから強化されて来たのかはよくわからないけれど、死刑観は暴走しているような気がする。
資源が限られた狭い環境における暮らしでは、瞋恚心は放置すると共同体の存続を危うくさせる。
適切な、「瞋恚心解消チャンネル」がインストールされていないと、共同体がうまく立ち回れなくなる。
●ポストヒューマンの世界に感情解消チャンネルはあるのか
一神教の世界観では、感情制御チャンネルはどうインストールされているのかよくわからんが、大規模な復讐(大規模なネポティズム発動)に対するブレーキは甘いような気がする。その影響を受け問題を抱えたまんま、彼の地ではポストヒューマンの世界を夢描いている。
いや、異国を見ずとも、ネットで感情制御を失っている暴走衆生は日本にぎょうさんおるし。
●こんな死後観で、この先うまく世の中は回っていくのか。
ヒト共同体を成り立たせる効果があるからこそ、発達してきた種々の死後観。その多様性を繙き、効果を検証・・・しさえもしていないよな、某連中は。
●「物語」ではなく表題を「物語り」にしたのは、
にある宮本久雄氏の「物語を語る/物語り行為」の視野を含めたかったゆえ。すまん中途半端。
●ものごとのありようも、「結末」も「因果」も物語である。
●物語とは、意味づけであり、道筋のインプリントである。
●物語は生死に作用する。
●物語は心に作用する。
●宗教は、物語の一分野である。
●科学は、心の安寧に適応的な物語に乏しい領野であり、かつその点を省みない傾向が強い性向の人間が集まりがちな分野となっている。
-=-=-=-=-=-=-=-= 以上追記。

![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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