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科学に佇む2009年]
2009/02/19
日本の細胞バンクの中の人から、近況報告入りました。
「細胞バンク」というのは、さまざまな種類の貴重な細胞を保存&培養して、バイオ研究の現場に研究材料としてお届けをする「縁の下の力持ち」サービスをなさっている機関です。
これまでの経緯:

2008/03
『バイオ研究の舞台裏:細胞バンクは縁の下の執事さん』 ┗ ご著書について雨崎が感想を書きました。
配布していた細胞が、「間違った細胞」だったかもしれない! 従前の技術では、細胞の間違いが判別できなかったんだ。
2008/08
公開書簡:細胞バンクの中の人 ┗ 著者であり細胞バンクの中の人である水澤さんからメッセージいただきました。
「細胞には間違いが多いし混じり物も多いという実態を市民の方々にも良く知っておいて欲しいという意図で本書を書いた」そしてさらに半年後の昨日、以下、水澤さんのメッセージを転記いたします。
2009/02/18【水澤 博:医薬基盤研究所・生物資源研究部・部長・細胞資源研究リーダー】

管理者様
ご批評いただきました『しおしおの水澤』です。この件について新しい情報が少し入ってきましたので、ご報告いたします。今になって『実は細胞が間違ってたんだよな、でもアノ頃はそれを調べる方法が無かったんだよな・・・』とは、一般の方からご覧になれば確かにみっともない話しではありますので、取り合えずお詫びということにはなるのですが・・・・。
実は、この話は私達の至らなさというだけでは終わらず、国際的に大きな問題でして、世界中の細胞培養研究者達が苦慮しております。もう一昨年になりますが、イギリスのBBCというラジオ放送で『がん研究はミリオンダラーズをドブに捨てている』という30分番組が作られて流されたりしたのですから・・・。かの有名な"Science"誌にも大きく取上げられたりしました。
で、その後始末がいよいよ始まり始めておりますので報告します。1つは、学術誌の動きですが論文を投稿する際には細胞が間違っていないことを証明するデータを付けろという動きが出始めています。しおしおの本に書いたSTR分析法で細胞がユニークだというデータを添付しなさいということですね。JCRB細胞バンクでは対応可能かという問合せが癌関係の学術雑誌1誌からありました。
それに呼応するように、世界中の間違った細胞のリストを作成して公開するので、記述を確認して欲しいという連絡がフレッシュニーという研究者から入りました。そのメールで、知ったのですが、実は有名なWikiPediaには既に細胞誤謬の一覧表が掲載されているとの情報もありましたので、上のリンクのところに入れておきました。Wikiのリストには私達のデータは入っていないようです。
以上、この問題は単に『しおしお』にとどまらず、世界中の培養学研究者が正常化に取り組み始めました。おわかりのように、培養している細胞が正しいかどうかはなかなかわかりにくい問題なのですが、これから『細胞治療』などという医療が実用化されてくると、必ずこれが大きな問題となるはずです。是非是非ウオッチしていてください。
おお。どこでウオッチできるのかな。 アンテナ張っておかなければ。
...
以下つづき...

※(『しおしおの水澤』という呼称は、ご本人さんが面白がって自称していらっしゃるようです。元はと言えば、雨崎のせいなのですけれど orz)
「論文を投稿する際には細胞が間違っていないことを証明するデータを付けろ」 ・・・今まで出されていた論文の中には、細胞の出自があやふやなので参考にならず無駄になったものがたくさんありうるわけですね。
「世界中の間違った細胞のリストを作成して公開」 すごいなー。世界規模の間違い探し。

このあたりは、幹細胞療法などに夢を託しまくっている衆生にはかなり真剣な問題かもしれませんね。たまに、うち宛に、現時点の幹細胞研究の詳細について理解不能に専門的な論点を問い合わせてくる「一般の患者さん」がいらっしゃったりするし。些細な報告にも一喜一憂している人々が、世間には確実にいる。
ウィキの「細胞株」についてのページはこちら:
Cell culture ウィキの「汚染されているかもしれない細胞株」についてのページはこちら:
List of contaminated cell lines だと思います。
「表示はこうなっているけど、実際はこんな細胞だよ!」というデータが一覧表であがっています。
・・・すんごい数だね。

コンタミリストの中、よく見たら、
「そのヒトがん細胞は、実はハムスターの細胞です!」 「ホジキン病のヒト脾臓細胞のはずが、実際はサルの腎臓細胞でした!」って、ドエライ事例が。

ひごろ細胞株を扱っている研究者さんの側からも、何か公開コメントが来るといいね。
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科学に佇む2009年] :
2009年02月19日
上掲のお話についてのコメント
0924
#BNMgbqGc
水澤博 さんのコメント
【2009/02/20】
おっと『どこでウオッチできるのかな』とはするどいつっこみ。はっきり言って『もごもご』・・・・。無いだろうな。だって、間違ってたなんていうのを公表するのはみっとも無いじゃないですか。
こんなことを大げさ?(けして大げさじゃないんですが)に言うのは細胞バンクのようなところぐらいなんですよ。
というわけで、そういう情報がちょっと見えるのは細胞バンクです。JCRB細胞バンクは、そこを目玉に活動してますので、ふと頭の隅をよぎったら『JCRB』をキーワードでググッテみてください。
新聞などがもっと取上げて下さっても良い話題なのですが・・・。
0945
#03erohO2
水澤博 さんのコメント
【2009/02/24】
管理者様
色々ご指導ありがとうございます。RSSフィードですか、是非対応させたいと思います。・・・が、実は私事で恐縮なのですが、私は、60歳を迎え今年の3月で現在の職を定年退職することになっています。厚生労働省は60歳定年で、延長も可能ではありますが、丁度良い区切りなので別の仕事を考えているところです。というわけで、RSSについては、仕事を引き継いでくださる方に連絡して対応してもらえるよう伝えることにします。
ともあれ、色々お世話になりました。このサイトに取上げて頂いて大いに感動したのは、こういう仕事は『しおしお』しているように外から見えてる!という点でした。本人けしてそういうつもりではないのですが、確かに研究者仲間でも、細胞バンクなんかお世話係だから研究者がやる仕事ではないと考える方も多いことは確かです。確かに新聞報道で目にする生命科学は、景気のいい話しばっかりで、何か間違っているかもよ・・などというのはちょっと憚られますから・・。でも、現在社会問題になっている研究と社会のもめごとって、実はこんなことが問題なんじゃありません?
新技術は正しいの一点張りで進んでいるところに問題が集中しているように思っているんですよ。ですから、科学研究の自浄作用として、研究社会が自らを正すというシステムを作りたいというのが細胞バンクを運営する仕事を任された私の狙いでもあったんです。
というようなことを考えていたら、体外受精でヒトを取り違えて卵移殖してしまったという事故がおこってしまいましたね。
お気づきと思いますが、この本に書いた細胞の取り違えを確認する技術は、ヒトの卵の取り違えの確認にも使える方法なのです。だからといって私達がその仕事を引受けることはありえませんが・・。医療と研究は厳密に区別しなければなりません。
この方法が登場したのが1999年頃ですから、私達はこれに飛びついて懸案だった細胞の取り違えの調査に入り、国際的にも情報が確定してきているところです(なので、これも一種の最先端ではあります)。
前にも書いたかもしれませんが、韓国であったクローンES細胞の捏造事件についても、この方法で確認してさえおけば、間違った論文を書かずにすんだことでしょうと悔やまれたのです。
でもマスコミ的には、やっぱりこんな内容については、あまり興味を持ってくれないのでしょうね。というより、細胞バンクでやってる『細胞の間違え探し』『卵の取り違え事件』『黄先生のクローンESの間違え事件』は共通する技術基盤があるということには気がつかれていないのでしょう。ただ、その技術を使う気になるには、自分自身が持っている別の先端技術への過信を捨てて、自らの仕事を疑う姿勢が必要だということなのですが・・・。これは難しい点です。
0301
#MJWiGxv6
雨崎 さんのコメント
【2009/02/26】
水澤さま
>RSSについては、仕事を引き継いでくださる方に連絡して
>対応してもらえるよう伝えることにします。
設定自体は簡単なはずです。期待しております。
>新聞報道で目にする生命科学は、景気のいい話しばっかりで、
>何か間違っているかもよ・・などというのはちょっと憚られますから・・。
>でも、現在社会問題になっている研究と社会のもめごとって、
>実はこんなことが問題なんじゃありません?
まさにそのとおりで、論文の発表の仕方が、世間との乖離(報道の偏向含め)を招いているぞという点も、かねてより指摘されています。
>この方法で確認してさえおけば、間違った論文を書かずに
>すんだことでしょうと悔やまれたのです。
>共通する技術基盤があるということには気がつかれていないのでしょう。
そのような話をぽろっとRSSで流しておけば、世間が見つけて飛びついてくれるかもしれないんですよね。話が流れていないから、作業をしている人も、報道する人も、気がつかない。
適宜、指摘や教示をしてくれる人材が、世間には払底しているのです。
指摘が再々流れれば、「過信を捨てて、自らの仕事を疑う」風も醸成されるのですが。