[ EP: 科学に佇む心と身体 ]

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有珠山:火の山とともにある岡田弘まるごと一冊

カテゴリ[科学に佇む2009年] 2009/02/12
●1977年、有珠山噴火の際、朝日新聞の取材班はいち早く避難した。その後、延々彼らは「敵前逃亡」呼ばわりされてきたのだが、雲仙普賢岳の悲劇が起きたのちは「手のひらを返したように」朝日新聞の判断は英断だったとほめそやされるようになった。(p.41)

●突然の噴火に間近で遭遇してしまった新聞社2社の取材班。一社が逃げ、もう一社が踏ん張って撮る、という展開が見られたことから『研究者仲間の間では、この二社の社名を入れ、「逃げる○○、撮る△△」と、語呂合わせのようにしてよく話題にしていた』(p.72)

 こんな、去年の講演会では語られなかった新聞記者に関する2つのエピソードも、興味深くてたいへん乙。

著者は、岡田 弘 先生(おかだ ひろむ 北大名誉教授)。

◆有珠山  火の山とともに

 『有珠山 火の山とともに』 岡田 弘著 北海道新聞社 (2008/10)

> 1977年有珠、1988年十勝岳、2000年有珠…。
> 自然のメカニズムと予知・防災の攻防を綴ったドキュメント。
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 すごい本が出ました。渾身の一冊です。
 科学者は、彼の語りの力量に学んで下さい。はんぱないです。彼はドラマの中を走っています。

これまでの、岡田氏に関するエントリ:
2007/10 『 岡田弘:現場と人命を左右する言葉、防災の決断 』
 ┗語りのセンス、語りのバリエーションがすごい!
2007/10 岡ちゃん火山先生の講演会と北海道ジオパーク
 ↑↓ 本には入りきらなかったお話がたくさん
2007/10 日本自然災害学会:有珠山噴火と防災教育
2007/10 世界地質遺産:ジオパーク構想と北海道
 ┗日本初の「世界地質遺産」を目指す有珠山
2007/10 有珠山2000年 西山火山の噴火
 ┗噴火現場の写真を撮ってきたよ!


 火山の危険性をどう伝えるか。噴火の判断を研究者はどう決断するべきか。

「いざ最悪のことが起こったときに直撃を逃れることができるかどうか、その仕組みを考えてくれ」p.156

 一言選び間違えれば、顔見知りのじいさんが、地元のあの子が、手厚くもてなしてくれたあの一家が、自分のせいで死んでしまうかもしれない。巨大な十字架を背負って、現場の体当たりを重ねて語りの技術を磨いてきた、その集大成がこの一冊です。

岡ちゃん火山先生の語りのすごさを見よ
 → 2007/10 『 岡田弘:現場と人命を左右する言葉、防災の決断 』

「相手が何を聞きたいかによって、答え方も変わる」p.313

 なんかね、これだけの文章力・伝達力・表現力を使い分けられる先生が、今まで単著はなかったことが驚きなんですよ。共著はいくつかあるけれど、検索した限りでは、この本が初めてじゃないか。北大を定年退職して、それでも各方面から引っ張りだこの忙しい中、なんとか一冊初めてご自分の著書としてまとめ上げなさった。大学を退き、それを機に、走り続けてきた人生を振り返る。
 「火山の研究データがびっしりの本なのか」なんて勘違いしたらあかん。そんな無粋なお勉強本ではございません。火山の現場で遭遇したスペクタクルと、人々を救うためのあらん限りの努力の道程が記されている。

p.42 1977年有珠山噴火
軽石が大量に降ってきました。一番大きなもので直径約二十センチくらいのものです。降石のなか、公用車の窓ガラスが割れぬよう手当てを試みましたが、徒労でした。観測陣は玄関ポーチの下に集まりました。勝井教授もいました。
 雨のなか、次々に石が降ってきます。火山雷が激しく鳴っていました。大きめの軽石が手の届く近さにボンと落ちると、パカッと割れます。割れた軽石の断面がボーッと赤く光りました。雨が当たり、ジューッと音を立てています。
 「あ、今落ちてきたの、私の権利」
と手を出した研究者たちも、あまりの熱さに、「あっちっち!」と声を上げます。そんなやりとりがポーチの下で繰り広げられていました。


 突然の噴火に、命からがら逃げ出すリアルも描かれ「ダンテズピーク」の恐怖もごったり。 エンタテイメントといったら不謹慎かもしれないが、現場の胆力のダイナミックさが、科学的冒険としても一級の醍醐味を生み出している。
 中身はたいへん濃い「岡田弘この一冊!!」。ファン必携。

「次の日の朝までともかく直撃を逃れて生きてさえいてくれれば、今の日本ならば何だってやれるはずだ」p.156

 世界初の火山現象との遭遇。 世界初の噴火計測の工夫。

「火山がここまで見えるということは、世界中探しても、このときの有珠山が初めてでした」p.57
「火山活動の終わりを観測で明確に特定できたのも、有珠山が世界で最初でした。」p.58
「新しい時代の幕開けが、一九七七年の有珠山の活動でした。」p.61

 駆け出しの大学時代、有珠山での九死に一生の噴火遭遇体験。p.71
 十勝岳の噴火の際、前代未聞の「火砕流」という表現を使うか否かの大論争。p149
 重篤な火山熱に取り憑かれ、火山研究に追いつ追われつ、がむしゃらに走ってきた中、ふと振り返ればそこには太く大きな歴史の道ができている。
 彼が、歴史を走ってきた。彼が、これほどの歴史を語る力を、元気玉よろしく、周りの人々と、地球そのものからもらっている。

「住民のために火山防災をやるのではない、住民と一緒にやるのだ」p.317
「研究者には、知っている側の責任がある」p.116

... 以下つづき...

〓〓〓 EP 〓〓〓

 彼が抱えている分厚い物語は、こんな本一冊には納まりきりはしない。いくら語っても語りきれないぶあつく豊富な物語を彼は溜め込んでいる。
 岡ちゃん火山先生の元気玉は、めちゃめちゃ大きい。
p.325
 この書籍をまとめることになった直接のきっかけは、2005年に内臓疾患で65日間の入院加療を余儀なくされたことでした。もし生き残れたら、私がたどってきた現場の香りを何らかの形で残したいと思いました。十数時間分のテープ記録とその書き起こしで始めたものの、まとめの作業は遅々として進まず、二年あまりの年月を要しました。

 十数時間の語り。
 実際、彼が愛用している→ 講義・講演用のパワーポイントのデータ量 はもっともっとすごいことになっているはずなんだよね。

〓〓〓 EP 〓〓〓

この箇所へのリンク【気象庁との確執】


 岡田氏が目下、最も懸念している問題は、気象庁の暴走だ。
p.159
「気象庁は火山災害対策をやらない」というのが、この当時の気象庁の公式見解でした。防災対策に乗り出すのは2000年有珠山噴火のとき、当時の山本孝二新長官が現地に乗り込んできて、「これから気象庁は火山防災をやります」と宣言してからです。「突然言ったところで、組織も人もいないじゃないか」と議論になりましたが、それ以降、火山防災は一応気象庁の管轄になっているようです。


「また、何も分からない気象庁本庁の悪しき官僚主義が始まった」p.245
「気象庁と科学者とのズレは、火砕流の問題だけに留まりませんでした。噴火予知についても軋轢を抱えていました。」p.151
「(気象庁は)気象台職員が出向いて降灰を確認するまでは”噴火”と言わないと事前に決めてしまっていた」p.151
「リスクの高い意見はなるべく使いたくないという気象庁の姿勢」p.153
「ハイリスク用語を避ける気象庁の姿勢は、2000年有珠山噴火でも再び繰り返される」p.151
「2000年噴火では、気象庁本庁の強引な妨害にすっかり悩まされました。そしてそれは、この後に続く気象庁本庁の一部による悪しき官僚主義とのギクシャクとしたやりとりの始まりでもありました。」p.247
「気象庁の舌足らずな火山情報に端を発した混乱」p.264
「いったい、現地対策本部で膨大な情報やリアルタイム映像を見る立場にいた本庁派遣のメンバーたちは何をやっていたのでしょうか。」p.266

 uhee現場のものとして、人々を守る立場のものとして、気象庁のご乱行はどうにも開いた口がふさがらないトンデモの連発なんだぞと。
『有珠山 火の山とともに』 p.266-288
 実は2000年有珠山噴火まで、気象庁は火山防災に積極的にかかわりを持とうとはしていませんでした。この状況が急変したのは、噴火直後に現地対策本部に乗り込んできた山本孝二気象庁長官(当時)による「これからは気象庁が火山防災をやります」という、陰の鶴の一声でした。その場に居合わせた宇井先生と私は、
「そんなこと言っても、経験も実績もないし、気象庁には人材もいないではないか」
と即座にやり合いました。これは、現地対策本部のある一部屋での立ち話でしたので、文書や記録としては残念ながら何も残っていません。
 山本孝二長官との二度目の衝突は、火山噴火予知研究グループのメンバーによる観測や調査での規制域への立ち入りについてのこんな一言でした。
 「今度からは、研究者の立ち入りについては気象庁が決めます」
 開いた口が塞がりませんでした。
 これも、宇井先生と私がいた対策本部の一室での立ち話で起こった出来事でした。
 宇井先生と私は猛烈に怒り、その場では「そんなことは認めません」で押し通しました。しかしながら、山本長官は、言い渡すことだけが目的だったようで、粘る私たちに何の説明もなく、黙って引き揚げていきました。こんな大事なことは、火山噴火予知連絡会の最重要の協議事項として、幹事会で議論すべきです。対策本部には、予知連の幹事や委員が多く滞在していましたし、明らかに重大な意見の相違があるのですから、気象庁長官による立ち話ですむ問題ではありません。
 火山研究者が、研究目的で火山に立ち入れない国が、世界中一体どこにあるでしょうか。「危険だから」という曖昧模糊としたお題目一つで、官僚が火山研究の妨害を図り独占する仕組みが、どうして必要なのでしょうか。まさに、その危険性を科学的に評価するためにこそ、研究者の先進的な研究が必要なのです。
 規制域だからといって立ち入っていけないことにはなりません。日常生活でもそのことは明瞭です。きちんとした目的と必要があれば、規制域でのリスクオペレーションは実施されます。当然ながら、リスクの科学的な評価とリスクを軽減するあらゆる手立てが前提条件になります。その道の専門家こそが、その困難な判断とリスクオペレーションの間で活躍しなければならないのです。こんな当たり前のことが、なぜ山本長官には理解できないのでしょうか。
 果たして気象庁は火山防災の専門家を抱えているのでしょうか。だれが雲仙岳の火山危機のなかで住民の信頼を勝ちえて活躍したのでしょうか。九州大学の島原地震火山観測所長の太田一也教授とそのグループです。気象庁は、犠牲者が出るまではしどろもどろで、犠牲者が出てからは「厳重な警戒が必要です」という火山情報を何百回となく出しつづけただけだったことはよく知られています。気象庁に火山防災の研究者がいなかったことの当然の帰結でしょう。


 気象庁のご乱行に関しては、ほかの火山学者・地学者さんたちも、口々に懸念を表明している。
 → 2008/01 『 2007年に気象庁が行った火山警報の改悪 』
  ちょっと↑の内容と、その末尾に置いてある毎日新聞記者のご意見を読んでおいて欲しい。
  この火山列島日本が、危機的状況にあるんだ。マジ。
 「日本列島には108もの活火山があるが、噴火予知に携わる大学の研究者は全国に計40人ほどしかいない」まして、気象庁にいったい何人いるというのか。

『有珠山 火の山とともに』 p.270
 当時、国家公務員削減の大鉈が振るわれていました。研究的色彩のある国立機関は軒並み法人化が強要されていました。ひょっとすると、気象庁は現業の作業を民営化されないために、存在感を社会にアピールせよという指示の下で必死の行動をしたのかもしれません。「気象庁が火山防災をやります」「危機管理のための監視は国の責任です」というわかりやすい建前を前面に押し立てたのでしょう。
 [〜中略〜] 
 気象庁本庁の一部官僚による暴走は、八年後の今もずっと尾を引いています。2007年12月1日から、「避難や規制まで踏み込んだ新しい噴火警報」を気象庁が行うという最悪の減災体制へとさらなる混迷を深める結果にいたっています。


関連記事追記:

2009/02 【日本語ブログ】NHK解説委員室ブログ おはようコラム「噴火予知はできるのか?」
いま、日本には108の活火山がありますが、気象庁などが監視体制をとっているのは41の火山にとどまっています。そのほかの火山で詳細な観測は行われていません。


〓〓〓 EP 〓〓〓

本書についての残りの感想メモ:

■「何があって、こうなった。」伝達が、組み立てがみごと。
 彼は最初からこうであったわけではなく、現場との切り結びの研鑽で、大きく成長したらしいことが見て取れる。
 この巨大なミメーシスは、訓練で獲得できるのか。それとも天性か。

■自分が歴史を作る 自分の道が歴史になる 自分の語りが歴史生成の視点として認められる
 語りがそのまま歴史として受容される

■歴史と生の声。語り慣れたドラマチックな現場と判断の自伝。

■時代を描き伝えられる、現場を変えようと、時代にがっぷり取り組んで初めて描きうる、世の中の変革に取り組んだ生き証人

■たいへん良い造本と編集
 各章に年表や各火山噴火のタイムテーブルが掲載されている
「写真キャプション: 1989年1月20日に発生した十勝岳の赤熱爆発。激しい低周波の火山性微動が前兆となり、半固結状態の巨大火山弾(直径約20m)が噴出した」p.155
 貴重な写真コレクションもたっぷり! 保存版!!

■凝縮されている。
 そのうち「地質遺産」で、ドラマ化されるんじゃないか。
 地質学者版の『旭山動物園物語』だ!!

挿画
右端が、岡ちゃん火山先生だよ 2007年


 有珠山は、日本初の『世界地質遺産』登録を目指す候補地3箇所のうちの一箇所に選ばれている。
 リンク 世界地質遺産の候補地はここだ!
 有珠山には、世界にもまれにみる「地殻変動のリアル」「火山災害の生傷」がビビッドに残っているんだ。遠からず『世界地質遺産』登録は成ると思う。
 → 2007/10 『世界地質遺産:ジオパーク構想と北海道」

 気になるのは、本書『有珠山 火の山とともに』を出した北海道新聞社は、わりと早めに出版物が絶版になりやすい。そう感じているので、今まだ在庫があるうちに、火山ファン、北海道の自然ファン、そして『世界地質遺産』登録を見越した愛蔵用コレクションとして、郷土愛のあるドサンコは、この本買っておいたほうがいいかもしれない。
 子どもの教育にもイケると思うぞ。

EP 〓〓〓

これまでの、岡田氏に関するエントリ:
2007/10 岡ちゃん火山先生の講演会と北海道ジオパーク
 ↑↓ 本には入りきらなかったお話がたくさん
2007/10 日本自然災害学会:有珠山噴火と防災教育
2007/10 『 岡田弘:現場と人命を左右する言葉、防災の決断 』
 ┗語りのセンス、語りのバリエーション
2007/10 世界地質遺産:ジオパーク構想と北海道
 ┗日本初の「世界地質遺産」を目指す有珠山
2007/10 有珠山2000年 西山火山の噴火
 ┗噴火現場の写真を撮ってきたよ!

EP 〓〓〓

 さいごに、本書第2章の扉絵と、そのキャプションを紹介しておきます。
2000年噴火の翌年に父が亡くなり「火の山は、ただ共生のほかなしと、説きて過ぎ来し、我が子の本番」という父の短歌が見つかった

 載っている画像は、泥流からすくっと立ち上がった女性の塑像。
女性立像「ネバド・デル・ルイス山の悲劇 泥流に立つ」 岡田益雄 1986年作
 岡ちゃん火山先生(信州の出身)の父上は、信州の彫塑家だったんですね。
 リンク 真田氏記念公園 岡田益雄氏製作、真田三代のレリーフ像
 リンク 岡田益雄作「少年の首」
  ┗ この少年は、若かりし頃の火山先生だろうか。

 いい本です。岡田氏の心意気に惚れて下さい。
 岡田弘氏が、この一冊にぎっしり詰まっています。





メタル


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筆者:雨崎良未
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