物語には「始まり」と「終わり」がある。
昔から、この「終わり」とはいったい何なのか、不思議に思ってきた。
音楽にしろ語りにしろ、心理的に「おわり、完結」と感じさせるソレは何なのか。
どういう反応なのか。
なぜこの反応が生じるのか。
何がこの反応を生じせしめるのか。
エピソード記憶がチャンクでエンコードが云々 ...みたいな?
物語と構造 。
現実世界は、人間の限りあるとぼしい頭(おつむ)で把握しきれるものではない。
現実世界から、テキトーに信号を抽出して、人間の頭で処理できるように区切って加工して味付けして組み直して、意味や物語という _ 現実の代替物 _ を作り出して、なんとかやっている。
脳内情報は、あくまで代替物であって、現実そのものではない。
現実そのものとは相容れない部分、矛盾する部分が、少なからずわだかまる。
その矛盾の解消のために、さらなる意味づけ、マナなり、ケガレなり、呪いなり、儀式や制度やしきたりや、さまざまな”人間的”行動が生み出されてくる。
脳内情報と現実のはざまの、クッションとしての物語、意味。
「プラシーボの治癒力」
p.132-133
高名な心理学者ジェローム・ブルーナーは、私たちが人生に意味を見出すいちばんの方法は物語をつくることだと言いきっている。物語には始まりと終わりがある。構造がある。そこではものごとが起こり、それが原因となってまた他のことが起こるが、私たちはある種の出来事を予測しコントロールできるのだと教えてくれる。
私たちは物語の中で考えることに慣れすぎているため、現実の世界が私たちに差しだす生の情報にははっきりした始まりも終わりも、原因も結果もないことが多いという事実をつい忘れがちだ。そうしたものは私たちが自分の頭と物語とで作りだすもので、世界が、はいどうぞ、と差しだしてくれるわけではない。人生の出来事に意味づけをできるように、私たちが自分の世界観を構築するのだ。
それぞれに構築した物語は、みな独特であり違っている。
人間はそれぞれに違う人生の物語を持っている。
その異なる物語の間の 橋渡し をする能力、共感や思いやりの能力は、共同体を維持するためにはとても重要なものだったろう。
他者の物語とうまくつきあっていく能力、それが高いか否かで幸福度は左右される。
他者と物語を共有できないと、幸福度は下がっていく。
幸福を求めて、人は物語の共有を求める。
物語の共有。
共有されていない場合どうなるか。
自分の物語とはなじんでくれない、不協和な他者の物語にさらされ続けると、人間の心に良くない影響があるのではないか、とする観点がある。
心を病ませる都会暮らし@オランダ
都市部はパラノイアや妄想持ちが田舎に比べて多め
特に人口密集地区で生まれ育った層で顕著
2001/07 City Living Linked to Risk of Psychotic Symptoms
人格障害は都市部の一人暮らしに多めです〜ノルウェー
2001/06 Personality Disorders More Common in City Dwellers
2001/06 ロイター/★阿修羅♪ Ψ空耳の丘Ψ13 オスロ住民の7人に1人は人格障害=研究
... 以下つづき...

そこに住む人間の心と、密接な関係を持って、編まれてきている。
そのバランスが、ヨソの文化と混じったりヨソの文化(言語)に取って代わられたりすると、人間の心とのバランスが乱れて不調をきたす。
都会は、さまざまな地方出身者の集合体であり、多様な価値観と、変遷の激しい流行が渦巻いている場所。
「日本人の死のかたち」
p.32
急速に変化する産業構造は、同じ土地に家族・親族が長年にわたり何世代も住み続けることを、どの職種どの階層においても困難にするからである。また、価値観の多様化や家族内の成員がそれぞれの人生において体験する内容の多様化は、自分の死後その霊魂が何世代かのち同じ集団の誰かとなって生まれ変わるといったことを想定したり信じたりすることを不可能にするからである。家族でさえ不安定な集団となり、離婚・再婚によって夫婦や親子の関係も決して持続が確実なものではない。ましてやかつての「家」は、制度的・現実的にはもちろん観念上でさえ成立が不可能である。しかし、それだからといって万能の神の存在を信じ、「永遠の神の国へ神の祝福の下に赴く自分」を想定することもできない。こうして現代社会は、ごく近い将来自分が確実に死んでいくことを悟った人が抱く疎外感を解消するような、文化的な装置を失ったままでいる。
現代社会、違う立場や違う世代や違う考え方の人たちと晒されること多々。
異文化対処、ヨソの物語の尊重、異なる物語との切り結びスキル…
人間の「終わり」、死が、死の意味が、変質し続けている現在。
うつろい続ける「共有すべき価値体系」。
うつろいの程度と速度が度を超すと、他者との意味共有がいやましに難しくなる。
今は、生きても死んでも、人心が安寧を得にくい世界になっているのかもしれない。

●「物語」や「意味の共有」に関してはこちらもご参照を:

【追記】以下、「都会と心の健康」の問題に関連する記事を随時追記していきます。
All in the Mind 「統合失調症 その1」
患者の語り、原因、大麻と統合失調症
都会暮らし、見知らぬ土地での暮らし、という要因
関係性に過敏であるがゆえの病?
精神病率は、都市生活やマイノリティ地位を反映する
2006/04 Psychiatr News Volume 41, Number 7, page 36 Psychosis Rates Reflect Urban Life, Minority Status
仲間が少ないと心にしんどいし
2008/02 EurekAlert Neighborhood ethnic density associated with risk of psychosis among immigrants in the Netherlands
オランダ移民の間において、居住区の民族密度が少ないと、特定のタイプの精神病リスクが上昇する
2008/04 【日本語記事】Record China 都市住民の心理問題、一人親家庭の子供と高齢者に問題目立つ 中国
『アメリカ化』とうつ病
2008/08 EurekAlert Public health clinic study links 'Americanization' and depression
アメリカンな生活をすると、うつ病が忍び寄ってくる
メキシコ生まれのヒスパニックは、アメリカナイズされた生活の傾向が強いほどメンタルヘルスでトラブル
民族混血を持つアジア系アメリカ人の精神的健康
2008/08 Dienekes' Anthropology Blog Mental health of biracial Asian Americans
中国-白人、日本-白人、ベトナム-白人、フィリピン-白人においては、単一民族のアジア系に比べてメンタルヘルスを病む場合が2倍
↑
アメリカに限った話ではなく、生育時の文化環境とかけ離れた価値規範(暮らし)になるほど、心にしんどいわけだよね。
2009/01 【日本語記事】スラッシュドット ジャパン 都市生活は脳を疲労させる?
都市の混雑した道路で数分過ごしただけで脳の記憶能力や自己制御能力に大きな負荷がかかる
そこまで言われるか。
自分にしても、札幌の無機的な街並みは嫌いだし、まして東京中心部の殺人的な「神経逆撫でぶり」には耐えられない。(東京郊外育ちです)
某半島の山間部とか、北海道オロロンラインの海岸線の荒涼さとか、岡山の山奥とかならずっとなごむんだが。
追って「都会と心の健康」の問題に関連する記事を見かけたら、随時追記していきます。

※ このエントリは、3版目です。
最初は、旧エントリ 「物語というプラシーボと人生」(2005/01) の後半部分だったものを、
として独立させて再録。
その後、旧ブログは使いにくくて我慢できないので、加筆更改して、この新ブログに2009/01づけで移転させました。
![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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