【 お名前 】:foxさん
『上記記事ですが、「くみかえ」の表記が混乱してますね。広大の芦田教授によると、「くみかえ」をどう書くかでその人の立場がわかるそうで、
組換え:科学者、役所、法律用語
組み換え:マスコミ、市民運動家
組み替え:素人
だそうです。「組換え」と「組み換え」は誤差の範囲ですが、「換える(既存のものと交換する)」と「替える(新しい人と交替する)」ではニュアンスも違ってくるので。
詳しくは芦田教授の著書、『やさしいバイオテクノロジー(サイエンス・アイ新書)』のp.180をご覧ください。また、芦田教授のブログでは「くみかえの法則」について、各種文献を調査した実証的な解説もされています。
http://yoshibero.at.webry.info/200808/article_6.html
で、雨崎は
そんな話を聞いたことはあるのですが、IMの変換の際にアラートも出ないし、書くときも検索するときも「えーどれだっけ」と毎度混乱しながらも放置しております。
「脳神経」と書いていたら「脳神経と脳・神経は違うのだ!」と突っ込んできた脳科学者とか、「子どもを子供と表記するとはけしからん!」と文句を言ってきた高校教師とか、「女子割礼とFGMでは政治的立場が違います!」と不快感をぶつけてきなさった女性とか、「レズビアンは失礼です! ビアンなら許せます」とおっしゃるクィアとか、思い出します。
この場で云々するぶんにはあまり実害はないエラーだと認識しているんですが。
気になりますか? 気になるならひととおり浚って修正しておきますが。
とリプライしたのですが、それはそれとして。
「遺伝子組み替え」
「遺伝子組み換え」
「遺伝子組換え」
誰がどの表記を用いているか、調べてみるとちょっと面白いかな? と、手元の読書記録のアーカイブを検索してみたら、こんなん出ましたけど。

まずは「素人が使う語だ」とご指摘を受けたこれ。
●遺伝子組み替え●
ダニエル・C.デネット著『自由は進化する』の訳者、山形浩生氏が訳者あとがきで「遺伝子組み替え」表記。
『岩波講座科学/技術と人間-1 問われる科学/技術』の「科学の変貌と再定義」で野家啓一氏が「遺伝子組み替え」表記。
2件だけ出ました。 けっこうレアものですね。
山形浩生氏は、その前に出したビョルン・ロンボルグの「環境危機をあおってはいけない」の翻訳では「遺伝子組み替え」ではなく「遺伝子組み換え」表記を使っています。
コメントをくれたfoxさん的には、「遺伝子組み替え」という表記は不適切なので使わないことをオススメする、ということなのかな。
で、次は「遺伝子組み換え」と「遺伝子組換え」のほうを調べてみた。多いぞ。
... 以下つづき...

(人名で各50音順にしてみた)

●「遺伝子組み換え」●
2003年池田清彦 (E.O.ウィルソン「生命の未来」のあとがき)
2000 市野川容孝「病と健康のテクノロジー」(青土社 現代思想 2000/09 特集「健康とは何か」)
2005 内田康夫 『悪魔の種子』(小説)
2003 響堂 新 「クローン人間」
2003 島薗 進 「先端医療技術の倫理と宗教」(湯浅泰雄監修「スピリチュアリティの現在」)
1998 新村 拓 「医療化社会の文化誌」
2005 野村 仁 『ゲノム創薬』
2002 平川秀幸 「リスクの政治学」(小林傳司編「公共のための科学技術」)
2004 保坂直紀 「科学は市民にうまく伝えられているか」(日本科学技術ジャーナリスト会議編「科学ジャーナリズムの世界」)
2008 松原洋子 「ニューロエシックスの創生」(青土社 現代思想 2008/06 特集「万能細胞」)
2006 村上陽一郎「災害・安全・安心」(青土社 現代思想 2006/01 特集「災害」)
2007 吉川肇子 「リスク・コミュニケーション」(今田高俊編『リスク学入門 4 社会生活からみたリスク』)
●「遺伝子組換え」●
2001 青木 宙 「魚介類のDNA組換え実験の現状と職業倫理」(渡邊悦生・中村和夫共編「科学を学ぶ者の倫理」)
2005 市野川容孝「病と健康のテクノロジー」(松原洋子編「生命の臨界 争点としての生命」)
2001 大塚善樹 「遺伝子組換え作物 大論争・何が問題なのか」/『緑の遺伝子機械 物と人の政治学』(青土社 現代思想 2001/08 特集「サイエンススタディーズ」)
2006 小田切宏之『バイオテクノロジーの経済学』
2007 春日 匠 「日本におけるサイエンスショップの可能性」(科学技術コミュニケーション第1号2007)
2001 川口啓明・菊地昌子「遺伝子組換え食品」
2002 小林傳司 「社会的意思決定への市民参加」(小林傳司編「公共のための科学技術」)
2001 河野和男 「自殺する種子 遺伝資源は誰のもの?」
2001 平川秀幸 『科学・技術と公共空間』(青土社 現代思想 2001/08 特集「サイエンススタディーズ」)
2003 松原洋子 「生命にとって技術とは何か」(青土社 現代思想 2003/11 特集「争点としての生命」)
2000 松原洋子 「病と健康のテクノロジー」(青土社 現代思想 2000/09 特集「健康とは何か」)
2000 松原洋子 『遺伝病スクリーニングのパラドクス』解題(青土社 現代思想 2000/09 特集「健康とは何か」)
2001 宮田 満 「組換え食品の安全性」(渡邊悦生・中村和夫共編「科学を学ぶ者の倫理」)
・・・「遺伝子組み換え」と「遺伝子組換え」は使用頻度はだいたい似たようなものに見える。
でもって、foxさんの記述によれば、
組換え:科学者、役所、法律用語
組み換え:マスコミ、市民運動家
なのだそうですが、上掲使用例を見る限りでは、ぱっと見はかなりばらばらなのかな。
松原洋子さんや市野川容孝さんのように、登場箇所によってそれぞれを用いている例があるし、編著の同じ本の中で両方混在しているケースもある。
・・・区別することに意味(実効性)はあるだろうか? というぬったり感が残る。
どっちでもいいっぽいけれど、うちのIMは変換で「遺伝子組み換え/遺伝子組み替え」は出ても、「遺伝子組換え」はデフォルトでは出てこないし。
めんどいので、「遺伝子組換え」は使わなくてもいいかい?

あと、


【見出しに遺伝子組み換えを使わない日本の新聞社】なお、前世紀末から国内外オンラインの科学報道をずっと眺めていますが、遺伝子組み換えがからむ報道についての国内新聞社の見出しは、のきなみ「遺伝子組み換え」であることを明記しないものばかりで、「遺伝子組み換え」であることがわかる見出しはたいへんレアでした。本文をよく読まないとわからないんだ。
これは単に、日本語では見出しに「遺伝子組み換え」と7文字も食うからかもしれない。英語圏なら「GM」という2文字だけで、遺伝子組み換えの話だよと伝えることができるわけで。(GMは遺伝子組み換えの英語の頭文字です)
そういう「文字数が多くて使いづらい」以上に、見出しで遺伝子組み換えであることを伏せねばならない事情が日本国内のメディアにあったのだとしたら、かなりキモいんですが。どうなんでしょうね。
「リスク学入門 4 社会生活からみたリスク」
![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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