




社会心理学から見た現代日本の問題点』
山岸 俊男 (著)
集英社インターナショナル (2008/02)
社会心理学・山岸俊男氏は、進化心理学方面の見解を援用して、日本の問題点をご指摘なさる。
ヒトが社会的な行動をする際に用いる判断ツールには、大きく分けて2つのタイプがあるとする。
●「信頼性検知ツール」
他者の信用度を判断するときに活躍する。
相手がどのくらいの確実度で期待に添う行動をしてくれるかを、割り出す。
論理的、倫理的なツール。
このツールに頼りすぎると、狭い集団の中では「空気読めよ!」と仲間の機嫌を損ねてエンガチョされかねない。
さまざまな立場の人間が集うグローバルな状況では、相手の機嫌を損ねても、それが信頼できない相手なら損をすることはないので、このツールが力を発揮する。
脳科学的に言えば、論理脳。
●「人間関係検知用ツール」
他者のご機嫌を判断するときに活躍する。
相手に嫌われないことを第一に、道理や理屈よりは仲良しこよしが何より大事。
上司や同僚の「顔色」をうかがうのに便利。
このツールに頼りすぎると、仲間の機嫌を損ねるよりは社会的犯罪を行うことを選んでしまったりする。
なじみの狭い集団の中でうまくやるには欠かせないツールだが、所属の違う者たちが集うグローバルな状況ではトンチンカンな判断を出しかねない。
脳科学的に言えば、感情脳。
社会心理学・山岸俊男氏曰く、空気読み至上主義者は
他人を信用しない「社会的びくびく人間」タイプ
なのだそうだ。
きょうび日本の「KY」蔓延は、「仲の良さ検知ツール」だけで世の中を渡ろうとしてしまっているせいなのだそうだ。仲間のご機嫌を優先するために無理を通して社会的な道理を曲げる。で、社会システムがおかしくなる。
社会をうまく回すための「信頼性検知ツール」を活用してない日本人が多いぞと。
... 以下つづき...

【ブレーキが貧弱な日本社会】

アレックス・カー (著), Alex Kerr (原著)
講談社 (2002/04)
(原書●「イヌと悪魔:日本という国の暗黒面を見よ」 Dogs and Demons: Tales from the Dark Side of Japan 2001年)
この異国出身者さんが指摘するのは、道理も糞もない「空気読み」の果てに日本という国が繰り広げる暴走ぶり。
「犬と鬼」という書名は直感的にわかりづらいが、要するに「日頃よく親しんだもの(犬)は描くのが難しいが、誰も見たこともないようなハデなもの(鬼)は安直に描けてしかも見栄を張るのに便利なんですよ」という対比を表す比喩。
『「土建国家」の官僚にできること、それは建設だ。大きいほどいい、金がかかるほどいい、派手なほどいい。これが「鬼」の爆発的な増大につながった。』p227
街並みは安直ハコモノ風情ゼロ。空は電線でズタズタ。山河はコンクリでガッチガチ。海岸ではテトラポットが大繁殖。

これらは、道理を重んじず、目先の空気読みだけで突っ走る日本人の所業の結果なのだと。
旧来の日本の美風をどっぷり愛してやまない著者は、近年の日本の醜悪化を嘆き、『日本の役人は、波風を避けて効率よく仕事はするのだが、「何を」効率よくやっているかについては無頓着きわまりない。「自分の身にとって」効率がよい仕事だけをしたがる。』との旨、断罪する。
上下限らず日本人は、良識や展望を持つリーダーを欠き、当座の視野だけであくせく動く。広い視野での自己調整が働かない。そのおかげで不正や行きすぎ行為が、最終的に破滅を招くほどにエスカレートしてしまいやすい。
『日本の器用に組み立てられた「行政」という名の機械は、致命的に重要な部品が一つ欠けている。それはブレーキだ。いったん進路を取り始めると、他の国々では考えられないほどの過剰次元に行きつくまで、継続する傾向にある。』 犬と鬼p13
これはまさに「空気読み」だけで、つまり道理や社会のことを考えずに、狭い仲間内の同僚や上司の顔色だけで物事を判断する、社会心理学・山岸俊男氏言うところの「人間関係検知用ツールに依存しすぎ」の結果ではないか。
『不利な事実を隠すのは日本の伝統と言ってよい。』 犬と鬼 p.63
大きな枠の道理で考えれば、包み隠さず公正に対処するのがベストであるとわかるだろうのに、なぜついつい隠しがちに行動してしまうのか。
社会心理学・山岸俊男氏的に解釈すれば、これこそ、仲間ではない者との交渉をうまく成立させる「信頼性検知ツール」ではなく、狭い仲間内の同僚や上司の顔色だけで物事を判断する「人間関係検知用ツール」で難局を乗りきろうとしてしまうからにほかならない、ということになるだろう。
論理的に思考せず、空気読みで判断するから、ヨソサマとの信頼構築より仲間内での自分の保身を優先してしまうんだ。

【信頼社会はどう立法すれば作れるというのか】

仲間のご機嫌を優先していては、対外的な信用度が二の次になる。こんなでは状況が打開できるはずもない。ずるずる現状維持が続いてしまう。(「日本の「安心」はなぜ、消えたのか」p.170)
限られた土地・資源・人材の中で、長く現状維持をはからなければ成り立たない文化環境では、「ずるずる現状維持が続いてしまう」ような行動規範のほうが適している。
グローバル化や社会状況の変化が激しいボーダレス社会では、狭い視野で現状維持を優先していたらマジ破滅しかねない。
社会心理学・山岸俊男氏は、(ずいぶん昔から延々同じことを説いていなさるが)日本の「安心社会」は崩壊しているのだから、「信頼社会」用に規範を入れ替えるべきだと主張する。仲間の顔色を見るのではなく、社会的にどう行動すれば最も「社会的な信頼度」をうまく回していけるかという計算ができる人間を、教育を、制度を、育てて行くべきだと。
社会心理学・山岸俊男氏は、信頼社会の構築方法として、解決策を「法」に求めていなさる。
p.223
信頼社会において人間が他人を信頼し、手を組もうと考えるのも、相手を信じても馬鹿を見ることがない、損をすることがないという前提がなくては始まりません。そしてその前提を維持する最大の力となるのは、やはり法制度なのではないかと筆者は考えます。
法制度がちゃんと機能していることで、他人とビジネスをしても裏切られることがない。また、万が一、裏切られたとしても、法が正直者を守ってくれる −− 言うなれば法が社会に代わって「安心」を提供してくれることで、人々は他人と一緒に仕事ができるようになるというわけなのです。
このような社会で生きて行くには、他人から裏切られたり騙されたりするリスクはつきものなのですが、そのリスクを計算に入れても、他者と協力関係を結ぶことによって得られるメリットのほうが大きいと考えるのが信頼社会の人々の発想です。
彼は制度や手法ではなく、解決策を「法」に求める。

そして、先日下ごしらえをしておいた、裁判員制度に話を進めます。
【裁判員裁判での判断は、信頼か、顔色か】

特集:裁判員制度 死刑を下すのは誰か』
青土社 (2008/9/27)
この本の内容については
にかいつまんで紹介しておきました。
裁判員制度で扱う事件は、死刑相当の判定が必要な重大事件に限られます。
裁判員制度では、多数決で死刑が決まります。
裁判員の判断には、裁判官が加わります。
米国の陪審制度における事例検証では、強い意見や強い立場の陪審員に、他の陪審員の意見が引きずられることが観察されています。
犯罪の証拠でおぞましいものを見せられた陪審員は、有罪を宣告しがち
2007/11 EurekAlert Grisly court evidence makes juries more likely to convict
先入観で証拠を曲解していく陪審たち
2001/06 Psychological Association American JURORS DISTORT EVIDENCE TO FAVOR THEIR TENTATIVE VERDICT AS THEY MOVE THROUGH THE COURSE OF A TRIAL
「この証言は忘れて下さい」
うまく陪審員が情報を忘れることができたとしても、判断には無意識に影響が出てしまう
2003/09 American Psychological Association Study finds a dark side to forgetting false information
陪審員に罪はないのか? 8件に1件は、間違った判断を下しているぞ
2007/06 ScienceDaily New Study Shows How Often Juries Get It Wrong
そして。
日本の人々は、米国の人々よりはるかに、「顔色読み」を優先させがち。道理を曲げて、顔色をうかがう。論理や倫理より、感情を正当化してしまう。
そんな日本の人々に、米国よりゆるい基準(多数決!)で死刑を決めさせる。
これはどうなんだ。
社会心理学・山岸俊男氏、これはどうなんだ。
人々が、法によって信頼度判断力を訓練されるべきその前に、卓越した信頼度判断力が不可欠な制度が見切り発車されたんじゃないか? 感情的な顔色判断で、ばしばしひとさまの命が裁判されることになるんじゃないか?

【彼以外が、信頼社会を語ってくれ】
幼い頃、夜な夜なこんな悪夢に悩まされたことがある。
母親が、全然話を聞いてくれない。
周りが、灼熱の溶岩が地からにじりだしてえらいことになっているのに、ジワジワものすごい怖いことになっているのに、全然よくわかんない大人の話にかまけていて、こっちの恐怖の事態を一顧だにしてくれない。
逃げなきゃ! 早く逃げなきゃ!
聞いてくれない。
社会心理学・山岸俊男氏は、研究プロデュースや学術的な成果の持って行き方は、たいへんうまいと思う。
でも、彼は社会とはコミットしない。社会心理学の象牙の塔の中からしか、語りはしない。
地を這う社会と実効性のある切り結びをする気はない。 と見える。
つまり、昔さいなまれた、あの悪夢のイメージと、どこか重なるんだ。

巷とは関係のない方向(おそらく研究費の出所や自分の業績的な計算)に向けて、すごい知見をお語りにはなるが、「これで世の中がよくなるはずだ!」とお示しにはなるが、具体策にまでは降りてこない。
恐怖を聞いてくれない。全然関係ないことにかまけていて、こっちの恐怖の事態を一顧だにしてくれない。
逃げなきゃ! 早く逃げなきゃ!
聞いてくれない・・・
まあ、こんな苦情を巷のしろうとどもから申し立てられても、ただの見当違いなぼやきでしかないのであって、あちらさんには迷惑なだけかもしれない。

尋ねたいことと、お願いしたいことが一つずつある。
●尋ねたい。
裁判員制度は、2004年紫綬褒章受賞の日本の社会心理学会重鎮であらせられる山岸俊男氏の知見を踏まえた上でセッティングされたのだろうか。(つまり悪い効果までをも踏まえた上で、それが行政になんらかのプラスになる:施策にとって都合がよい:と計算されて生まれた制度がアレだったりするのか?)
それとも、2004年紫綬褒章受賞の日本の社会心理学会重鎮であらせられる山岸俊男氏の知見は、社会を改善しようとあがくの衆生の心には届かない高みの絵空事のままに、有効性もなくシカトされたまま、裁判員制度が打ち立てられてしまったのだろうか。
どちらなのだろう。
山岸氏は、 セッティング的にきれいな社会心理学の話以外はしたがらない 。
山岸氏には、もう巷に向けて降りることは期待しない。
●そのかわり、山岸氏に一つお願いしたい。
研究で成功するノウハウを研ぎ澄ませた人物だけを育てるのではなく、巷に向けて有効な語りができる人材を、社会心理学の知見を生活の現場で有効に応用させる、言説の駆使に粘り腰が強い猛者(もしくは曲者)を、育てることを考えてはくれないか。
山岸氏が見るところの、信頼社会を構築する「法」。それを具体的に説く実践者を、世に供給してはくれまいか。
地を這う巷の者の声を聞き取りに来てくれる、立ちっぱなしではなくしゃがんでくれる者を遣わしてはくれまいか。
それも無理なのであれば、言説の駆使に粘り腰が強い猛者(もしくは今どきの社会学の曲者たち)との_公開対話_を何度かしてくれるだけでもいい。
市民が死刑を宣告する、市民が死を宣告される、その世俗世界の恐怖に目を遣り、公費の成果である社会心理学の応用を、遣わしめてはくれないか。



・・・役に立たないきれいごとはたくさんだ。みたいな。

![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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