[ EP: 科学に佇む心と身体 ]

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これは怖いぞ「犬と鬼」知られざる日本の肖像

カテゴリ[科学に佇む2008年] 2008/10/23
 「犬と鬼」という書名は中身がわかりづらくて損じゃないかな。
 いっそのこと『ここがヘンだよ、ダメダメ日本100連発!』とまでぶっ飛ばしたタイトルにしても良かったんじゃないだろうか。

◆犬と鬼 知られざる日本の肖像cover
 『犬と鬼 知られざる日本の肖像』 アレックス・カー (著) 講談社 (2002/04)  [ Amazon ] [bk1]
 原書=「イヌと悪魔:日本という国の暗黒面を見よ Dogs and Demons: Tales from the Dark Side of Japan」 Alex Kerr著 Hill and Wang Pub (2001/03) 原書の情報と書評:アマゾン    

 7年前の著作ですが、先月拝読したので。
 本稿は、別稿→ 『 社会心理学の信頼は裁判員制度を救えるか 』 のためのお勉強メモです。

EP 〓〓〓

●欧米は日本に対して妙な幻想をいだいている。
 石庭の京都、芸者、富士山、生け花的なジャパーンにあこがれを持つ異国人には、自然破壊しまくり、センス劣悪建設、日本映画の凋落ぶりなど、信じられないほどダメダメな実態がショッキングすぎてとうてい受け入れがたいものであるらしい。p.11

●日本は「文化危機」に陥りまくっている。
 『日本が抱える問題は真の近代化を学ばないまま発展したことにある。』p193
 時代遅れの「近代化」イメージ(ピカピカ輝くハイテクのレトロSF世界)のまま、国を破産させるほどの勢いで「鬼のような」モニュメントを造りまくる官僚たち。 p.12

●右画
●犬より鬼のほうが簡単だ。
 『犬と鬼』 (Dogs and Demons:犬と悪魔) という書名は直感的にわかりづらいが、要するに「日頃よく親しんだもの(犬)は描くのが難しいが、誰も見たこともないようなハデなもの(鬼)は安直に描けてしかも見栄を張るのに便利なんですよ」という対比を表す比喩。皇帝の問いに宮廷画家が「犬は描きにくく、鬼は描きやすい」と答えた中国の故事にちなむんだそうな。p.12
 日本の官僚は、「日常に本当にふさわしく必要なもの」はめんどくさいのでほったらかし、なにかっつーとすぐに「見たこともないような奇抜な巨大建造物」をぼこぼこ作って満足したがる。
 細部に神が宿り賜うてな感覚はないらしい。ハリボテ、威嚇、わかりやすいこけおどしが大好きで。

 先日取り壊された 『夕張ロボット館』 なんかモロそれだよね。全然長期的視野じゃない、科学をハリボテにした、非科学的なコケオドシ。
  札幌市下水道科学館 もかなり近いものがあったりしたな〜。

『「土建国家」の官僚にできること、それは建設だ。大きいほどいい、金がかかるほどいい、派手なほどいい。これが「鬼」の爆発的な増大につながった。』 「犬と鬼」p.227

... 以下つづき...

〓〓〓 EP 〓〓〓

●右画
●日本の自然はもうだめぽ。
 日本の海岸は、半分以上がコンクリート固め、そこらじゅう数百億円かけてテトラポッドだらけ。p.25
 土建業肥大しまくり。『日本が土木建築に費やす金額は、アメリカが軍事につぎ込む金額よりはるかに大きい。』p.26
 なにかっつーと、必要以上に大規模な金と対策をかけたがる。p.43
 日本が思い描くユートピアは、コンクリとアスファルトの世界なのだ。 「犬と鬼」 p.52

はいはい、仰せの通りでごぜえますだ。
でっかいどう北海道も、平気でおおらかに自然や伝統をぐちゃぐちゃにしておりますだ。
→ 2007/05 『鬼鹿ツィンビーチ/厚田人工なぎさの謎』 想像を絶するすてきなお金の使い方
→ 2008/02 『自然界にフツーに外来種を植えまくる工事』 国立公園に公費で外来種をばらまきます
→ 2007/05 『タイムトラベル雄冬』 墓場を壊して地元を疲弊させる巨大展望台
→ 2007/09 『奥尻島の今と、安心ゆえの危険』 土建屋を儲けさせただけの巨大な防潮壁

 レアな災害に対して、喜び勇んで怒涛のような工事を投入する。
 おもきし「手を加えてスゴくしました!」感を表に出さないと気が済まない。

 でもって、『日本人は、自然を愛していない。「自然は汚い」「自然は危険」、自然を過剰に恐怖さえする日本人』なのだとさえ言われてしまうわけで。

●自然を過剰に恐怖する日本人。
 明治以降、日本人にとって自然は「生活に害をおよぼす恐ろしい存在に変貌した」。p.33
 彼らは「自然をそのままにしておくことは危険だ」とみなすのだ。p.46 森や街路樹を嫌い、河川をコンクリで固め、自然素材よりはプラスチックをありがたがる。 自然は「汚い」「迷惑」「危険」なものなのだ。p.39
『西洋ではあらゆるメディアで「自然を保護せよ!」という声があふれている。それと対照的に日本のメディアは「自然と闘え!」が主流だ。これは世界常識から大きく逸脱している。』 「犬と鬼」 p.47

 昔、ニューヨーク近郊のバスに乗ったとき、路肩の法面処理が美しくてあれは忘れがたかった。道路脇の斜面が、自然の露頭そのままになっている。道路の脇も、コンクリの側溝など無く自然なまま(に見える仕様)で仕上げられ。ああ、地震が少ないエリアだからな、岩盤がタフな土地だからか、と当時は納得したのだけれど、
『日本で年間に敷設されるコンクリートの量は、アメリカ全土に敷設される量より多い。』p.52
とまで指摘されてしまうと、さぁすがにやっぱ、日本オカシイよなー土建ヤリスギ。

 地山ファン露頭ファンとしては、なんでもかでも「安全」にかこつけりゃいいってもんでもないだろと、ほんとに情けなくてしょうがないんですが。
 → 2006/09 『地山の美しさが消えていく』 法面工事はそれしかやりようがないんですか?

 自然をコントロールしきる(ほどの大工事をする)ことはデフォルトで良いことだとみなしていいのだろうか。それは安直で簡単な「鬼」なのであって、コントロールできない部分に対応できる暮らし方は、配慮がめんどくさい「犬」にあたるだろうか。

●画

●日本の風景は醜悪。
『田んぼの真ん中にばかでかい看板が立っていたり、最高におしゃれなレストラン、ホテルのロビー、一流劇場にけばけばしいプラスチックの標識看板がぶら下がっていたりする。』 「犬と鬼」 p.198
 視覚公害の蔓延。
 日本は美的に鈍感になりすぎている。
 日本ではデザイナー自身がこの手の軽薄ピカピカな醜悪感覚に染まっており、伝統的な日本美としての「素材を大事にする心」なんざありはしない。
 心ある施主は、日本の建築家やインテリアデザイナーには手を出させず、海外の業者に発注しているぞと指摘する。

●京都市だめぽ。
 莫大な金かけて京都文化否定しまくりの「モダンな」新駅舎を造っておいて、駅舎の中にちょこんと「カルチャー・ゾーン」なるものを設けるという超絶神経ぶり。
 京都を席巻する「街並みの歴史感」喪失、もはやパリやヴェネツィアと比べるべくもない。

 おもきし「あるある」ですね。京都に限ることでもない。(著者の拠点が京都にある関係で特に煮えているらしい)
 昔々、昭和の**年代、見知らぬ土地の風土を楽しもう!と大阪泉南地方にふらっと出かけてみたことがあったのだけれど、見渡す限り風情もへったくれもない建て売り住宅が延々整列していて、死ぬほど落胆したことがある。
 札幌も、北海道も、視覚的にはマジきついし。
 → 2006/09 『日帰り北海道強行軍』 北海道の街なみはどこ行っても軽薄に同じでつまらない!
 緑が少なく、無機的に直線だらけ電線だらけの広い市街道路、そしてナニコレサイコロじゃん!と思うほどに悲しく真四角な、人工感アリアリの耐雪住宅たち。

 そんな潤いに欠ける街の光景に不安になるたびに、このだだっ広くぺったんこな石狩平野は、ちょい前は茅が生い茂る広大な草原であり、潅木や喬木が鬱蒼とする奥深い森であり、野鳥が群がる湿原であり、。。。だったんだろうなと、アスファルトがなかった頃の豊かな自然の幻影を、視界に重ねて想像してみたりする。

『電話線や電線を地下に埋めていない先進国は、世界で日本ただ一国である。』p.201



 北海道の空は、ほんときれいなんだ。
 だのに、むちゃむちゃ電線が多いんだ。

 電線が邪魔で空の写真をキレイに撮れる場所が少ないじゃないか、とぼやいたら、Photoshopしろよと言われたことがある。
 こちとらPhotoshopで食ってるんで画像から電線を消すくらいは簡単なことだが、違うだろ、画像加工すりゃいいってもんじゃないだろ!
 「犬と鬼」の著者は、日本人が自分の視界からうまいこと電線や鉄塔を消して暮らしているらしいぞと報告している。地元の人に親しまれているお山に、鉄塔が6本も立っているんだねと見えるままを指摘すると、肝心の地元の人が「気がつかなかった!」と驚いてくれるという。
 ・・・まいったね。確かにそういう例はよくありそうだし。

EP 〓〓〓

●良識の頭がないまま、目先だけ見て突っ走るヤリスギ日本式。
『日本が「和」をこれほど尊ぶのは、バランスを失って極端に突っ走る傾向が強いという、まさにそこに理由があるのかもしれない。』p.238
『精神的な目的もなく、自然が本来持つ力に通ずるものも何もない。
 体系全体に「実」がないのだ。日本のものごとのやり方と、現代生活との間には、内外を問わず予想をはるかに超えたギャップがあるとしか言いようがない。だから、私は日本を近代化に失敗した例であると申し上げている。』
「犬と鬼」

 では西欧はどうなのか。
 いや、ヨソはどうあれ、実際日本でちょっと土木ヲチしただけでも、超絶にあきれる実態のオンパレードであったことは事実。
 彼の苦言申し立ては、ストレートに心しておくにこしたことはない。

 はい、この項は、別稿→ 『 社会心理学の信頼は裁判員制度を救えるか 』 のための参照用お勉強メモであって、深い検証はまたこんど。

EP 〓〓〓

この箇所へのリンク【白川郷の困惑】


●右画
 ひとつ付け加えておきたい。
 当該書は
 ●● 『ふるさと資源という国策は罠か』
のときに、 興味深く紹介されていたので拝読することにした。
 「ふるさと資源」各書の中、 才津祐美子『世界遺産という「冠」の代価と住民の葛藤 「白川郷」の事例から』 という論考が、『犬と鬼』を考える上でひっかかっている。
 岐阜県の「合掌造りといで湯のさと」 世界遺産・飛騨白川郷のお話。
 そこは世界遺産の住宅に、フツーに人々が暮らしている地域なのだけれども、なにやら地元が考える文化保護と、世界遺産としての文化保護のありようが、少なからず食い違っていて困惑が観察されるのだそうだ。
 地元の善意が、世界遺産保護を「指導」する側からすれば、文化を破壊する悪行になる。そんな事実に多々とまどう地元の人々。ごくローカルな自分たちの暮らしの場が、グローバルレベルの倫理で規制される。

 この状況を、どう、どこまで「犬と鬼」が指摘する”軽薄突っ走り日本”と重ねて考えていいのか落としどころが自分の中では、まだうまく掴めないのだけれど、何か両者はリンクさせて考えるべきだとは思える。

 何を、どの方向に、どのような手段で是正するべきなのか。
 イゾラドの影(グローバル化の拒絶という手段)も含めて。





メタル


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筆者:雨崎良未
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