[ EP: 科学に佇む心と身体 ]

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みんなの楽しい裁判員制度 死刑を下すのは誰か

カテゴリ[科学に佇む2008年] 2008/10/11
◆左表紙

月刊 『現代思想 2008年10月号
 特集:裁判員制度 死刑を下すのは誰か』

 青土社 (2008/9/27)  [ Amazon ] [bk1]


 あとで社会心理学がらみの話を書くための、お勉強ノートです。
 収録されている論考のいくつかについて、自分的メモを並べてみました。自分が解釈した範囲でしか記述していませんので、実際の各論については本書をあたって確認して下さい。

 ●報道や裁判所は90年代からおかしくなった。
 ●メディアの偏向報道に、不安のポピュリズム
 ●福祉が貧弱になると、被害者感情が強くなる。
 ●複雑な問題を単純化することに抵抗がない感性。
 ●魔女狩りをするおのれの姿を疑わない市民の怖さ。

〓ジェム〓

この箇所へのリンク 石塚伸一『刑事裁判における被害者の役割 裁判員、被害者参加そして死刑』

・  90年代以降、安全安心が商品化され、保険でリスクを補填(ほてん)するような社会に変化した。福祉が後退し、弱者・貧者は「自己責任」呼ばわりで放置される。救われる者が小なくなった社会で最も効き目のある救済要求は、犯罪の被害者になること。

・  問題を単純化し、すばやく解決することが、被害者救済への近道。単純な「善」対「悪」二項対立が横行し、紋切り型の「純粋無垢の善人だった被害者」イメージが繰り返し濫用される。

・  検察は90年代から死刑の求刑を増やしている。2000年以降、「被害感情を死刑によって修復すべき」という論理の台頭とともに量刑のばらつきが出始め、やがて05年からの有期刑引き上げ刑法改正によって、重罰化の動きが決定的になった。

◆国際的視点から見た終身刑
『国際的視点から見た終身刑 死刑代替刑としての終身刑をめぐる諸問題』

石塚 伸一 (2003/12) 龍谷大学矯正・保護研究センター叢書


追記:
2008/10 共同通信  死刑急増に非難集中か 国連自由権規約委、日本を審査


挿画


この箇所へのリンク 小田中聰樹『あるべき「司法への国民参加」とは 裁判員制度についていま何をどう議論すべきか』

・  90年代の半ばから、アメリカの圧力を受けた財界によって裁判所の改造が進められた。経済的強者や国家権力による市場操作的な統治体制に、国民を組み込んでいく。

・  そして、わずか五ヶ月で制度化に至った裁判員制度。被告人は国民としての権利が制限されるし、市民は裁判員を断る(辞退する)権利もない(出廷義務)。統治の枠内で強制される市民参加は、新自由主義時代の政治的な支配様式なのだ。

・  公判前整理手続は検察側に有利。検察の手の内もわからないのに、裁判が始まる前に、先に弁護側の手の内を見せなければならない(出さなかった手は使えなくなる)のは、黙秘権の趣旨に反する上、無罪推定の原則までをも崩すではないか。

・  裁判を単純化し、民意を取り入れる。これでは、司法の原則を支える捜査の充実や冤罪(えんざい)防止は二の次になる。裁判所の独立も二の次。良心の自由も人権も二の次。紛争決着効率第一なのか。

◆冤罪はこうして作られる
『冤罪はこうして作られる』

小田中 聰樹 (小田中聡樹 著) 講談社現代新書 1993)


挿画


この箇所へのリンク 対談『刑事司法の死の淵から』 安田好弘/森達也

 安田氏は、『山口母子殺害審理(光市母子惨殺事件)』の_あの_弁護士さん。
 → 『 山口母子殺害事件』の物語変換プロジェクト 』
 森氏は、オウム真理教ドキュメンタリー 『A』などで知られるドキュメンタリー監督・ノンフィクション作家。
 リンク 森達也(ウィキ)

安田好弘:
・  私たち弁護人は、メディア対策や民意対策は全然していなかった。
・  我々としては、裁判官が手堅い証拠や事実をじゅうぶん理解し、最高裁に抗して健全な判決を出してくれると期待していた。実に甘かった。裁判所の力量を完全に読み違えていた。
・  最終審である最高裁が、無期懲役は著しく正義に反するとして差し戻したのであって、あれは実質的に死刑の確定判決であった。従来型の裁判戦略は全く成り立たなくなっていた。
・  検察は犯行のストーリーを創作したが、弁護人は創作を避け、説明不十分でわかりづらかろうとも、敢えてまんまのベタでやったのです。私たちは脚色した彼ではなく、ありのままの彼を丸ごと引き受けて、弁護した。
・  刑事司法は死んでしまった。社会に合わせて刑事弁護するにしても、社会は「救え」ではなく「殺せ」と言っているわけで勝てやしない。

森達也:
・  安田さんのやり方が通用する法廷が、本来の司法の姿だったのに。今どきの裁判所は民意に左右されてしまう。今や、その点を踏まえない裁判戦略はダメだ。
・  この十数年、危機管理意識の高まりとともに、悪を断罪せよとの声がとても強くなってきた。95年サリン事件(オウム裁判)あたりが分水嶺(ぶんすいれい)だったか。

安田好弘:
・  裁判所は、オウム裁判で刑事司法の原則を全て破壊した。
・  映像文化が物事を過度に単純化し、直感的(感情的)なレベルの浅い理解を助長する。

... 以下つづき...

〓〓〓 EP 〓〓〓

森達也:
・  視聴者は簡単な解釈をありがたがる。メディアは動機解明よりも被疑者ヘの嫌悪や憎悪をあおることを優先する。
・  検察の創作を事実であるかのように伝えるメディア。繰り返し報道される構図は、独りで闘うけなげな被害者遺族と、凶暴な悪をかばう20数人の悪辣弁護士軍団。
・  マスメディアは、去年の殺人事件の認知件数が戦後最低だったことを黙殺している。悪化しまくりの体感治安に勧善懲悪(かんぜんちょうあく)的な民意があおられ、刑事司法の場に強い圧力をかけている。絶対的な悪という図式では、当然抹殺(まっさつ)を望む声が強くなる。昔は、司法は感情に流されてはいけないという意識があったはずなのに。

安田好弘:
・  司法は個人の怨念に報いるものではなく、社会的なシステムとして人々が選択した制度であるはずなのに。
・  激情に暴走し、裁判所にリンチを求める群衆。被告をののしり泣き崩れる被害者。ものすごくわかりやすい証拠しか出てこない、わずかな日数での処理を強いられ、雛壇(ひなだん)から見下ろす高みに置かれた裁判員。そんな状況で、まともな判断は期待できない。

◆死刑
『死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う』

 森達也 (著)  朝日出版社 (2008/1/10)




〓ジェム〓

この箇所へのリンク 浜田寿美男『裁判員制度のもとで供述鑑定は意味をもちうるか』

・  判決はこれで良いのか。明確な根拠を示さず直感だけで有罪判決を下す裁判にしばしば出会う。実際問題、結審後に真犯人が現れるわ、刑期満了出所後に真犯人が出るわ。そのような場合でも「たまたまずさんな捜査だった」と形式的に謝罪するだけで、かんじんの制度や捜査上の問題点は放置。

・  取り調べは妥当(だとう)なのか。被疑者が、やってもいない犯罪を自供してしまうのはなぜか。被疑者は捜査官が作った犯行話に迎合するだけではなく、捜査官が満足してくれるような話を自発的に創作する。なぜなら、すべてをあきらめて積極的に「犯人を演じ」ざるをえないほどの状況に追い込まれるからだ。供述の正しさは、取り調べの一部記録公開ていどでは確認しようがない。

・  裁判員制度では、結論まで数日、長くても一週間程度。本来なすべき膨大な証拠の査定など素人はこなせはしない。作為的に切り落とされ単純化された証拠だけで、真の自白の正当性を問うことは困難。

◆自白の心理学

『自白の心理学』

 浜田寿美男著 岩波新書 2001/03


EP 〓〓〓

「証言」や「自白」の限界についてはこちらにひととおり。
 → 2006/06 『 証言の心理、偽りの記憶 』

 自分の場合は無責任な「相手の作ったストーリーに便乗」タイプの自供でスルーしたが、
 → 『 人間いちど逮捕されてみるといい:自閉症裁判 』
 追い詰められすぎると、人は「無理をしてでも犯人になろうとしてしまう」
 その点を理解している裁判員(市民)はいったいどれほどいるのか。

〓ジェム〓

 そして、自白が捏造(ねつぞう)され弱者が刑務所に掃き溜められる『レッサーパンダ帽の男』事件・・・

この箇所へのリンク 佐藤幹夫『発達障害と裁判員裁判』

・  判決に偏見が影響しはしないか。短期間の裁判の中、裁判員に障害の意味や性質を説明し、偏見の悪影響をはらいのけてもらうことは難しい。

・  いまや刑事施設は福祉の最後の砦(とりで)となっている。劣悪な社会条件が、高齢者・障害者・弱者を刑務所に掃き溜めている。彼らがどのような劣悪な社会的条件のもとで生きることを強いられているか、被告に加害者になる道を与えた社会的条件の加害性についても目を向けてほしい。

◆自閉症裁判
『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』

 佐藤 幹夫 (著)  洋泉社 (2005/03)


EP 〓〓〓

 民意に従っての判断は、偏見を排除しきれるだろうか。
 偏見の対象になっている者にとっては、たいへん不利に作用しはしないか。suji

〓ジェム〓

この箇所へのリンク 浜井浩一『厳罰化の犯罪学的評価と Penal Populism 』

・  現在の厳罰化は「治安は悪化している」「厳罰化で治安が改善する」という2つの間違った前提を元にして議論されている。

・  治安は悪化していないのに、市民が過敏になり通報が増加している。若者による凶悪犯罪は減少したが、福祉の劣化のせいで高齢者や弱者の軽犯罪が増えている。厳罰化が、よけいに社会復帰を困難にさせている。

・  従来の(市民)刑法は、犯罪者を市民としてとらえていたのに、いまどきの「敵味方」刑法は、犯罪者を社会に害をなす敵としてとらえている。更生や共生以前の、市民の敵をあらかじめ排除するという異物排除的な発想なのであり、ふつーに被疑者の権利剥奪が行われてしまう。

◆犯罪不安社会 誰もが「不審者」?
『犯罪不安社会 誰もが「不審者」?』

  浜井 浩一 (著), 芹沢 一也 (著)  光文社新書 (2006/12/13)


 この本の感想:→ 2007/11 『 犯罪不安社会になる百人村の世界 』

EP 〓〓〓

 かつては、犯罪をおかしたり逸脱したり救われない人がいたりするのは、社会のせいだった。
 人の性質にそぐわない無様(ぶざま)な社会の仕組みしか作れない我々こそが、悪かった。
 そんなノスタルジックな”人類みな仲間的”倫理観は、ネオリベの「効率の良い社会でコントロールできない者は敵。大衆の不満のはけ口として効率よく消費すればよい」という打算に取って代わられた。
・・・と解釈して良いですか。

そうえいば、自分は以前こんなことをぼやいていたデス。gakbul
 → 2008/06 『 貧しいのは自己責任か、それとも社会の恥か 』
  ┗ 劣悪な福祉はスルーする思考が今ではアタリマエ?

〓ジェム〓

挿画


この箇所へのリンク 坂上香『死刑とメディアと陪審員』

・  90年代後半以降、センセーショナルな犯罪報道姿勢が、犯罪増加の錯覚や実状にそぐわぬ異様な「犯罪不安」を引き起こしている。

・  山口母子殺害審理(光市母子惨殺事件)は「犯罪不安」を高めて「モラルパニック」を巻き起こす報道パターンの最たるもの。被告・弁護団への反発と、被害側(遺族)への共感のみに基づく「感情的」な番組ばかり。被害者を過度に理想化し、視聴者を一方向になびかせる報道の偏向ぶりは、放送倫理・番組向上機構(BPO)の報告書も指摘せざるをえないほど。

・  死刑相当の重罪が、裁判員制度の対象になるのだが、法務省は「国民の司法参加」ばかりをアピールし「市民が死刑を決める」点はおもきしスルーさせている。

・  死刑についての予備知識もないまま、裁判員制度という聞こえのいい死刑判決現場に、市民がいきなり放り込まれるわけだ。

・  日本より長い評議期間が取られるアメリカ・オハイオ州での陪審例では、量刑の判断で『全員一致が成立しなければ』裁判長が_死刑以外の刑_を決定する。一人でも死刑に反対する者がいれば、_死刑以外の刑_になる。

・  日本では審理が短期間の上に_多数決_。「死刑」と判断する裁判員が_多め_なだけで、死刑になってしまう!

◆癒しと和解への旅 犯罪被害者と死刑囚の家族たち
『癒しと和解への旅 犯罪被害者と死刑囚の家族たち』

 坂上 香 (著)  岩波書店 (1999/01)


追記:

陪審員は多すぎる?  合議の人数、7人を超えると満場一致しにくくなる
2001/09 BBC News Magic number seven for decision making
2001/09 New Scientist Juries may be too big to reach a true consensus


EP 〓〓〓

 「推定無罪」の原則がぶんなげられまくるシーンばかりが脳裏をよぎる。abon
 リンク 裁判員制度は多数決でいいのか!?

 ところでところで。
 犯罪に限らず、なぜ、ニュースの報道に「BGM」が必要なのか。
 なぜ、いちいち視聴者の感情を「音で操作」するのか。
  → 『 聴覚と感情:ヒトの脳は、音で簡単に操作されるのだ』
 音楽があるだけで、人は冷静さをなんぼか損なわれてしまう。

 NHKのニュースを見たときに、何か違和感を感じたことはなかったかい?
 NHKのニュースには、BGMがないんだよ。
 経費削減で音楽をあきらめたのではなく、おかしな演出を極力排除しているんだ。

 それに比べて、音楽・効果音・派手なテロップ使いまくりの某17時台や22時台のニュース、そして朝昼晩のワイドショー。
 視聴者は、BGMによって、編集側が意図したとおりの感情(嫌悪や憐憫)をそのシーンにいだくように操作される。
 BGMやハデな演出がないニュースを「もの足りない つまらない あじけない」と感じてしまうのであれば、すでにその感性は「操作効果のある娯楽に慣れきってしまっている/発信側の意図どおりに反応することに抵抗がない」のではないか。
 おのれを省みることはできるか。mmm

挿画


この箇所へのリンク 大竹弘二『処罰と正常性 例外状態のなかの司法と犯罪統制』

・  「処罰」は、法の論理ではなく社会的実践が左右する。社会秩序をどう正常化させるか、その論理しだいで、犯罪者の処遇は変化するのだ。

・  都市人口過多で労働力過剰だった近世初期には残虐刑が増えた。植民地拡大の時期にはガレー労役や流刑が流行。重商主義の時代になると、労務を通じて矯正(きょうせい)する産業利用(懲役)が増え、残虐刑は減少。産業革命が失業者を増やすと、労働(懲役)ではなく苦痛を与えることを目的とした拘禁刑が一般化する。

・  新自由主義への変化に伴い、国家は矯正という福祉作業からは撤退し、システムでまわしきれない半端者を、厳罰の対象として不満のはけ口に利用するようになる。犯罪発生率が最小になる社会をデザインし、その上で「どうしても一定率発生する」不良品を「異常な悪」として切り捨てる。

・  従来の国家の法体系は変質し、被害者の存在感が増大してくるのだが、現実の被害者とはかけはなれた「政治化された被害者のイメージ」だったり、演出に肥大させられた「被害者感情」だったりしている。被害者は、犯罪者や逸脱者に対する市民の反感を強化するかっこうの材料である。

・  司法は、単にある特定の「正常な」社会状態が維持されるような判決を目指すのではなく、そうした正常性そのものの反省的な検証を含んでいなければならない。既存の正常性への異議申し立てができる社会なのか。市民の司法参加の意義は、この点からこそ考慮されねばならない。

〓〓〓 EP 〓〓〓

 以上。 ほかにもいろいろ濃い論考が収録されている。

 いつだったか、小賢しいことを述べてくる者が、達観したような一言を添えていたので、「おのれを疑ったことはあるのか」と問いかけてみたことがある。 で、「無い」と答えられて思わずちゃぶ台ひっくりかえしたんだが。

 俺は、(おのれの) 正常性 を疑わない者は信用しない。
 マトリックスを疑わないような、無垢な傀儡に用はない。

EP 〓〓〓

この箇所へのリンク【以下追記】


●● 2008/10 『社会心理学の信頼は裁判員制度を救えるか』

●追記 2008/10/15:anomyさんの 「はてブ」コメント に座布団一枚wink

●追記 関連論考のご紹介:
2008/10 【日本語ブログ】酔うぞ拝 裁判員・模擬裁判ですごいことになっている
2008/10 【日本語ブログ】キリンが逆立ちしたピアス[司法][雑誌]
 「裁判員制度 死刑を下すのは誰か」(『現代思想』10月号)
2008/10 【日本語記事】日経ビジネス オンライン
 「会社をダメにする法令遵守」の郷原信郎氏に聞く
  裁判員制度は、世界に類を見ないモンスターになる
2008/12 【日本語ブログ】H-Yamaguchi.net  なあんだ「裁判員候補に選ばれちゃったらどうしよう」なんて悩まなくていいんだ

リンク 2009/02 【日本語ブログ】NHK解説委員室ブログ
 スタジオパーク  「裁判員制度と刑の重さ」
 ●江東区殺害切断事件判決「裁判員制度と刑の重さ」



※ 使用した写真は、「北海道大学総合博物館」と「北海道庁赤れんが庁舎」を観光したときのスナップ写真です。裁判には関係ございません。

メタル


[カテゴリ 科学に佇む2008年] : 2008年10月11日 
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