言語資源系



〈性〉と日本語、 方言の機能、 変わる方言動く標準語

【〈性〉と日本語 言語資源とジェンダー】

『〈性〉と日本語 ことばがつくる女と男』
NHKブックス
中村 桃子 (著)
日本放送出版協会 (2007/10)
[ Amazon ] [bk1]
「俺が見たわよ」という表現は、許せるか?
ヒトは日常のコミュニケーションを行う上で、使える言葉、使えない言葉、を逐一取捨選択しまくっている。
そのさまが際立つのは、階級立場によって使い分けられる敬語や謙譲語であり、性的立場によって使い分けられるジェンダー依存語・依存表現たちであり。
〜〜〜と思ったんだわ。そうでしょうよ。
〜〜〜ていたじゃないか。じゃないのかよ。
どの表現を使うか、選ぶかで、必然的かつ不可避にその語が抱える位置関係、意味合い、立場が複層的にどっさり投げつけられてくる。
ヒトは使用可能な「言語資源」の中から、そのときそのときで可能な範囲で最適な語を選んでコミュニケートを行う。理屈をこねなくても、空気のように各自察知の上、使い分けている。
特に「自分自身」を指す語「自称詞」に多様性がある日本語においては、
あたし わたし ぼく おれ わし・・・
どの語を使うかそんな基本的なところからして、重要なメッセージ性を帯び、自己表現上、代え難い立ち上がりを持ってくる。
「あたし」系ではなく「ぼく」「おれ」と男性系の「自称詞」を使う女の子が多く存在するのはなぜなのか。女性用と男性用を「誤用」すると発生する違和感の源とその効用は何なのか。
そんでもって、日本語の「自称詞」はなんでこんなに貧弱なラインアップしかそろっていないのか。
... 以下つづき...

目次よりピックアップ
● 言語資源という視点
「女ことば」と「男ことば」に見る創造性
構築主義のアイデンティティ
「ずれた言語行為」の創造性
● 非対称な「女ことば」と「男ことば」
「女ことば」とはルールである
● 言語資源が切り開く地平
「標準語」に隠された男性性
● 翻訳がつくるアイデンティティ
翻訳小説の中の擬似方言
正しい「標準語」・劣った「方言」
再生産される差別
● 新しい「男ことば」の登場 −− 「です・ます」から「ス」へ
● 日本語に刻まれた〈性〉
● 異性愛から見た言語資源
● 男たちの共同体
ホモソーシャルな社会とは
女性同性愛に対する視点
スポーツ新聞のホモソーシャル・ファンタジー
● 母子関係に還元される恋愛
● なぜ少女は自分を「ぼく」と呼ぶのか
「ぼく」と言い始めた明治の女子学生
押しつけられる自称詞
● なぜ「女ことば」は伝統なのか
生き延びるために選ばれることば
● 欲望を創造する −− 消費社会と〈性〉
ファッション誌という共同体
消費と結びついたアイデンティティ
● 女性誌と男性誌 −− 「親しみ」の相違
女性誌は平等・男性誌は階層的
ファションはいかに男性化されたか
● 言語イデオロギー
メタ言説の権力 メタ言説の階層性
「男ことばの乱れ」はなぜ意識されないのか
当該書では「言語資源」というコンセプトを前面に掲げながら、日本語とその文化に織り込まれたジェンダーの数々を多面的に説き並べる。
主題が「言語資源」に方向付けられているわけで、先日の「文化資源」の話
に混ぜて紹介しようかと思ったけれど、次に紹介する本『方言の機能 シリーズ方言学3』が、”方言の言語資源化”を取り上げていたのでこちらに混ぜてみるのだった。
とりあえず、この本は一読お勧め。上の目次の内容を見て、どんな意見が述べられているのかあらかじめ想像してから答合わせにひもといてみれば、面白さ倍増かも。(初心者には入門用にいい、中級者には検証確認&ツッコミ用に)
雨崎は、最近「自分」と自称するのがマイブーム。「自分」以外には「俺」「私」「うち」「ぼくちゃん」などの「自称詞」を利用している。
現日本語は、マイノリティが使用できる「自称詞」が涸渇している、文化的にたいへん貧しく不自由な言語なのであります。

【方言の機能 文化資源としての方言】

『方言の機能 シリーズ方言学3』
真田信治、陣内正敬、井上史雄、日高貢一郎、大野真男著
岩波書店 2007/10
[ Amazon ] [bk1]
真田 信治・発話スタイルと方言
陣内 正敬・若者世代の方言使用
井上 史雄・方言の経済価値
日高貢一郎・福祉社会と方言の役割
大野 眞男・方言と学校教育
方言の機能というからには、何かマジに古来からの機能とか効用とかなにか・・・チガウモノを想像してしまっていた。
実際は、主に現代を中心とした、言語資源的な観点からの方言「機能」考察が中心だった。
「方言経済学」「経済方言学」「言語経済学」「経済言語学」。
方言をあしらった広告。方言をあしらった商品、お土産、意匠。
方言が売り物になる。
方言は「文化資源」でもある。
さらには、共通語に席巻されている場で、なぜ方言を使う者がいるのか、増えているのか。
理由は大きくこの2つ。
相手の確認:同一地域社会に帰属する親しい仲間同士であることの_確認_。
発話態度の表明:その場の会話を気取らないくだけたものにしたいという_意思表示_。
(『方言が明かす日本語の歴史』の著者でもある小林隆による)
かつて多様で対話も困難であった各々の地方人は、「日本」の共通語によって均一化され、日本人というアイデンティティに塗り込まれる。その一種緊張を伴う共通語均一化の中に、感情効果を狙って、表現用のアイテムとして、方言が利用される。さらには、地方性や由来とは無関係に、無国籍的、任意的な使い方で方言が駆使される。これぞ「方言のアクセサリー化」だ。
「言語資源」だね。かつて、地方は中央によって方言の価値を否定され、共通語を最善のものとして崇めるように馴致された。その均一化の結果、今度は逆に個人のアイデンティティを表現するものとしていまさらに方言の使用価値が上がっていると。
魂を共通語に抜かれ終わってから、再発見される方言。それは方言-共通語のバイリンガル世代が確立された上で成り立つものであり、すでにかつての方言と同じものではない。
この点は、先日の「文化資源」の話
にも、まんま通じる話だね。
社会学徒から見ても面白いであろう考察がいろいろ並んでいる。
この巻は、ほかの「シリーズ方言学」の巻よりボリュームが薄い。研究者の層が薄いのかな、でもほかの巻と統合するには毛色が違いすぎる分野だったからこんななったのかな、とか、残念半分疑問半分。

そして、こちらは現代の方言を扱った一冊。
【変わる方言動く標準語】

『変わる方言動く標準語』 (ちくま新書)
井上 史雄 (著)
筑摩書房 (2007/02)
[ Amazon ] [bk1]
『「方言は矯正すべき」という時代から、方言を記録する時代を経て、様々な方言を楽しむ時代へ。こうした方言意識の変遷を糸口に、方言と外国語との関係、また標準語の方言的背景をつきとめる。壮大でスリリングな日本語論。』(bk1の書誌紹介より)
だそうです。著者は上の『方言の機能 シリーズ方言学3』でも「井上史雄・方言の経済価値」を一章お書きになっている。
まずは方言に対する「偏見の変化」を概観した社会史考察の部分が面白い。日本や世界で展開された「方言撲滅運動」。標準語の使用をしくった者が喰らう罰則としての「方言札」。
p.3
第1章では、まず日本の方言意識について、社会的観点から考えます。東日本と西日本ではずいぶん自分の方言についての意識が違う、関西と東北はまた違う。ある方言を使ったために殺人事件が起きたということも、かつてはありましたし、方言をからかわれて自殺したということもありました。そういう問題と方言イメージの関係について考えます。
第2章で、「言語間方言学」について、歴史的に考えます。日本語の方言の違いにも、近隣の外国語との接触による影響が見え隠れしていると、とらえてみます。
そのあと第3章では日本の方言を地理的に、鉄道距離との関係で見ることにします。方言の違い、標準語との近さが、鉄道距離とかなり関係がありそうだということを紹介します。
方言のクラスター分布が、鉄道に思いきり影響されている!
そしてメインは「現在の」方言や標準語の変遷観察なのであって、研究対象は今まさに、そしていつまでも、現在進行形でありつづける。発見の楽しみがくめども尽きない新刊マーケットのような研究最前線だね。
標準語と方言の使い分けの心理にも踏み込んでいるし、文化資源としての方言のありよう、という資源論に持っていけそうだけど、そこまでの異分野止揚はしていない。そのぶん、初心者にもとっつきやすい。
コンパクトな新書で、コストパフォーマンス優良な一冊。

我々の暮らしは、世界は、使用できる「言語資源」の種類と量に縛られている。
そんな話はこちらにも。

![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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