
2008年5月号 特集『アントニオ・ネグリ』
巻末に1ページだけ載っている
■ 吉野靫 よしのゆぎ 「GIDID」
という短いコラムがミョーにひっかかる。
・GID(性同一性障害)と診断された。
・ジェンダー規範から自由でありたい/ジェンダー枠に回収されていくGIDがもどかしい
そのへんはわかる。
『お前はGIDではないと言われるなら、それも一向に構わない。私はそれ以外に、帰る場所をたくさん持っている。『逆の性』に同一化しようと汲々とすることがGIDの証明であり、覚悟であるという言説は嘘っぱちだ。当事者の持つ多様なニーズと多様な指向は、常に都合の良い方へと誘導され、縮減されていく。私は、『私は男(あるいは女)』と言わされ、男女という制度に加担させられることを拒否する」といったところである。GIDへの思い入れはなくなっていたのだが、胸が膨らんでいる体とだけは折り合いがつかなかった。そこで、利用可能なツールとして正規医療を使い、大阪医大で乳房切除手術を受けた。』
あー、体躯前部の脂肪のコブがでかい場合、邪魔でウザイことがあるんだろうね。胸のコブの有無/大小だけで特定の意味枠を押し付けられることも、生きていく上でかなーり邪魔でウザイもんね。
で、乳房のボリュームを減らす手術を受けた結果、
・手術が失敗し、縫合部は壊死した。
・やむなく提訴した。(いやいやながら提訴した)
えええええ。

... 以下つづき...


●施術はどうだったのか
縫合部壊死って、乳首が腐って落ちるアレだよね?
新井 祥(「性別がない!」の著者/第2巻収録のエピソード)が、縫合部壊死で乳首を失った自分の体験をネタにしていたんで、
そんなん、コブとり手術ではフツーにあることじゃないか、と思っていたんだが(乳房を小さくする手術においては、わりとよくある「悪い結果」とのこと)。それが提訴とは。リスクについてこの患者さんは納得せぬまま施療を受けたのだろうか?
●乳首はどうだったのか
縫合部壊死って、乳首が腐って落ちるアレだよね? だとして。
裁判沙汰にまで持ち込むほど「乳首」って重要でこだわるパーツだったのか!?と、かねてより「俺乳首いらねー」と思っていたぶんにはかなーり理解できず。
いや。「理解できず」という部分は否定ではなく、「意外」だったので。へぇー、そういう流れってのもあるんだなーと。そういえば、「性別がない!」の著者も、失敗手術を行った医師の元で「乳首の再建手術」を受けている。そうか、やっぱないとダメなのか、乳首。

以上は、吉野靫(ヨシノユギ)氏の「GIDID」という短い寄稿を読んだ範囲での感想。
ネットを見てみた。
・縫合部が左右とも壊死
・壊死の危険性について事前に何度も確認したが、医師は否定した
・手術前夜に手術の方法を変えた
・皮膚のはく離範囲を広く取りすぎるなど手術に過失があった
・手術後に異変を感じて壊死の可能性を尋ねたが、医師は適切な対応や精神科への連絡をせず、突然壊死を告げた
・医師は手術前に壊死の危険性を否定した
・執刀医は経験不足で、手術部の血流確保が不十分だった
・精神科への連絡など、医師間の連携が欠けていた
「精神科の主治医は手術が施されたことすら知らず、チーム医療は名ばかり。可能な範囲で満足のいく体が欲しいという願いが裏切られ、大きな精神的苦痛を受けた」
・国内の公的機関は技術も対応も未熟
・大阪医科大は、乳房の切除手術は吉野さんが初めてだった。(!)
これらの記事の日付は、去年2007年の3月です。つまり提訴は一年以上前の話。本年5月の『現代思想』のコラムで見る限り、まだ決着はついていないらしい。
ご本人は、縫合部壊死がこの手術でありがちなことを知った上で、施術前にお医者に念を押している。そのうえで「裏切られた」わけだ。こりゃしんどい。
成功失敗がどうの以前に、サービス業としても医療としても、こういうリアクションを引き起こしてしまうのはまずいわー。でもって、GIDに限らず、遺伝医療などでも、日本は「チーム医療」(さまざまな分野の専門家が協力&連携する)がまだまだおそまつな発展途上をハイハイ中だという話は、各方面でちょくちょく見聞きするし。
●乳首は乳首はどうだったのか
などといいつつ 乳首にこだわるヘンタイ雨崎ですが、ネット検索した範囲では、実際にはどのような縫合部壊死であったのかは確認できず。この事件をもってして乳首乳首というのは的はずれである可能性は大きいとお考え下さい。
m(__)m

●同一(アイデンティティ)の対象は規定されるべきか
『(吉野靫さんの)「男性に同化したいわけではない。ただ、個人として満足のいく体がほしい」というコメント。
これでは、性同一性障害の診断基準「A.反対の性に対する強く持続的な同一感」を満たしていないということになってしまうのでは。。。
これは、色々な意味でとってもまずいような気がします。』
およびその派生コメントがついている。
吉野靫さんは、男性への同一化という性同一性障害基準に当てはまらない(誤診?)ケースなのに、GIDの公的制度を使って手術を受けた。それは「単なる美容整形」とどう違うのか、そういうツッコミを許してしまう事態なのか。
ヤオイ世界のノンジェンダーへの憧れとどう違うのか、そういうむちゃくちゃさ(けなしてはいない)がキテいるのか。
自分としては、これはGIDの枠だけではなく、
の流れで解釈したくなってくる。お悩み解決ツールとしての、身体改造(いや、身体開放か)。
当事者にはたいへん失礼かもしれないが。

男性への同一化/女性への同一化、という強迫観念?押し付け?息苦しさ?の問題も大きいからこそ、ヤオイ世界的ノンジェンダーという解決策(開放のビジョン)があるのだが。
当事者が裁判という手段を採ったことに対する批判もあるのか。
共感脳的には、裁判という対立ではなく共闘で運動を盛り上げて事態の改善を、のほうが良い策に思えるのかもしれない。(共闘が心地よい)
男寄りの脳を持つ女の場合は、多様な人間と共闘するよりは、自分の有り様を相手にぶつける一騎打ちのほうが、シンプルで取り組みやすいだろう。(共闘がウザイ)
なにより、共感(同一化に流される)傾向が低くシステム脳が勝っているからこそ、女性でもなく男性でもない、安易な自己同一化を拒むポジションで我を張っているのであって。
A●公的制度が対象にするモノ(この問題に対する外野のツッコミ)
アノマリーの中にもさらにアノマリーがある。そういうみそっかす扱いされる者が、「立派な」アノマリーたちのために作られた/特定のお客さん向けのGID医療制度を使ったのがいけなかったのか?
B●自分のあるべき姿と既存の枠(この問題に対する当事者の内省)
自分の身体に美を期待するのではない身体改造欲求と比較してみた場合、手術の失敗によって失ったモノと得たモノは何なのか。
自分は身体改造によって「どうなりたい」と未来にビジョンを投影したのか。自分の身体に美の期待を投影して「開放感」を得ようとする場合、どのような既存の物語に沿ってそれを美/開放とみなしているのか、自分の視野から切り離せるか。
また、その行動と規範が、はたからヤオイ的ナルシスムに塗り込められて扱われるという事態があったりはしないか。
ジェンダーアイデンティティの問題は、万人が巻き込まれる深刻にあやふやなバトルフィールド。
ヤオイ影響を凌駕するジェンダーブレンダーが存在するならば、幸あれ。
「最初に」施術を受ける猛者に、幸運あれ。

![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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