リスクは、社会にその事象をうまく処理する意味体系が用意されていない場合に、問題となる。



『精神疾患の行動遺伝学 何が遺伝するのか』 ケリー L.ジャン (著) 安藤 寿康,大野 裕 (監訳) 有斐閣 (2007/10)
『リスク学入門 1 リスク学とは何か』 橘木 俊詔、長谷部 恭男、今田 高俊、益永 茂樹 (編さん) 岩波書店 (2007/07)
『リスク学入門 2 経済からみたリスク』 橘木 俊詔 (編さん) 岩波書店 (2007/10)



『リスク学入門 3 法律からみたリスク』 長谷部 恭男 (編さん) 岩波書店 (2007/08)
『リスク学入門 4 社会生活からみたリスク』 今田 高俊 (編さん) 岩波書店 (2007/11)
『リスク学入門 5 科学技術からみたリスク』 益永 茂樹 (編さん) 岩波書店 (2007/09)
『精神疾患の行動遺伝学 何が遺伝するのか』は、自分野の管轄のみからしか世界を見ていない。対外不足、異分野軽視。これは監訳者の安藤寿康氏の姿勢にも強く通じるところだ。
概して、科学(側を自認する者)がひけらかす科学観に感じるのは、己が寄って立つ/獲得している価値観に疑義を持っていないという、違和感。足元を疑っていない能天気さ。
例えば、この「リスク学」5巻組。
経済、法律、社会学、科学技術それぞれのリスク観/想定、対処があまりにも違っていてちゃぶ台ひっくり返したろかと投げ出したくなる以上に、4巻と5巻の乖離、4巻社会生活から見たリスクと、5巻科学技術が取り組むリスクが、寄って立つ次元が違っていて痛い。
5巻科学技術は、はなから科学技術が成功しいの死者や病者を減らしいの社会の役に立ちいのするにはなんとしょう、といっこうに己が寄って立つ価値観を疑っていない(死者・病者は減らすべきものである、科学技術で言う成功とはこの方向で当然である、一括施策側の役に立つべきである・・・)というか、そこを疑わなくなって初めて科学技術の推進が云々できるのか、価値観スルー状態。4巻ではそも、その価値観のありようを疑ってかかっているのに。
5巻は4巻を見ていないのか。科学技術は価値観の根を見ていないのか。単に編集段取りの都合で、いっせいに出すジャンケン状態になった結果、5巻は手負けしてしまっただけなのか、それとも科学技術は「あれでいい」のか。科学技術はその基本をすっ飛ばした上の段階をデフォルトにしないと成り立たない分野なのか。
価値観の感受性が鈍磨しているその状態は、はたから見れば権力側の下僕、統括側の犬としてのマッドサイエンティスト臭ふんぷんであり、民衆の側の物語を侵犯する悪い学者キャラ立ちまくりじゃないか。
科学の側を自認した時点で、ヒトは何か科学的モノカルチャーに呪われてしまうんだろうか。いや、基本を悩みたくない省力思考をしたい人間が、モノカルチャーな科学技術推進に安住しがちなのか。
... 以下つづき...

p.23
今田高俊:『高級魚であるヒラメの養殖を効率化するために,染色体を操作して3倍体魚の(通常の染色体の3倍の染色体を持つ)ヒラメを作っているそうですが,ある分子生物学の専門家に「失敗することもあるのでしょう」と聞いたことがあります.「もちろんあります」というので,そのような場合どうするのかと聞くと「多くは川に流しているのでは」という.「それが海に行って突然変異したらどうなるのか.突然変異して他の魚に変化する確率はどれぐらいなのか」との質問に,「ほとんどないけれど,たまにあるかもしれない」という返答が返ってきたので,「それで変な生物ができたら,海の中に拡散して人間の手では制御しようがなくなりますね」と問題点を指摘したら,「そこまで考えて対処する段階にありません」と言われて,これは怖いなと思いました.』
事実もそうなのだろうけれど、説明(する側)も下手だ。受け手がどう反応するのか頓着しない説明をした結果がこれだ。誰が作っているリスク(もしくは危機感)なのか。

1巻には、リスクマネジメント問題の好例として、よく沙汰されるマラリア対策の例も登場する。(中西準子「第5章 環境リスクの考え方」)
蚊を殺す毒薬DDTを禁止したせいで、よけいに多くの人々がマラリアで死んだのではないか、これは判断ミスだったのではないかという問題。
DDTを用いる→マラリアは減る→ヒトもDDTの毒を受けてしまう。
DDTを使用せず→DDTの毒は避けられるが、それ以上にマラリアでたくさんヒトが死ぬ。
科学・医療の側は、施策の「成果」としてマラリアで死ぬ人の数を減らすことが良いことだと一方的にみなす、というか、そう信じることを是として疑わない。
ところが、実際は現場で生きている人間は、マラリアでの死者数のほうが多かろうが何しようが、
親しんでいる意味体系にそぐわないもの
のほうを忌避しようとする。マラリアで死ぬより、DDTで毒されるほうが、許せない。
マラリアで死ぬことに対しては、それにそぐう物語が地元には成立しており、死病の不安をどう処理するかのお約束もできあがっていて、住民的には罹患は「イヤ」であっても「対処できる」、リスクマネジメントできる問題の範疇にある。
施策・行政側にとっては「死者が減る」ことのほうが大事なのかもしれないが、現場の生者的には、死者数よりも「ありえない事態」が起きるほうが問題となる。
DDTで障害が起きたり死者が出たりする事態は、従前の地元にはない異常な事態であり、既存の意味体系を壊す異様不安の元凶だ(異文化の不当な侵襲に対する不安が表象されている)。現場の生者的には、実際のリスク(被害程度)より、アノマリーに対する不安処理のほうが大きな問題となる。リスクが小さくても、許容できない不安を発生させるものは、科学(ヨソサマの価値観)的にどうあろうが知ったこっちゃない、ごめんこうむるということになる。

●2巻は経済から見たリスク。
例えば、阿部彩「第3章 貧困のリスク」。
「貧困とはリスクなのか」。近年日本にみられる貧困率上昇の原因は何か。子どもの貧困に見る「機会平等」。
●3巻は法律から見たリスク。
法律は、・・・マジわからん。
生命倫理の研究部会に参与した某文化人類学の教授が、法律学の人間とは話が通じないよと頭を抱えて退散していたことがあるんで、自分のマジわからん反応は、変すぎることもないのではないかと自分でなぐさめつつ。
●4巻は社会生活から見たリスク。
生活者からしてみれば、この巻が一番とっつきやすいのだろう。
社会学からでも心理学からでもなく、社会生活からというのが味噌かな。
全般に、このリスク学5巻組には心理学からの知見は影薄い。リスク学と幸福度マネジメントは直結していると思うのに、微妙に残念。
今田高俊「序章 リスク社会への視点」
p.6
リスクは富のように明確に知覚できないことが特徴である.お金と違って,放射線や有害物質は簡単に知覚できない.健康を損なったり自然を破壊したりする要因は,個人の知覚能力では認識できないものが多く,専門家による分析と論証に依存しなければならない場合がほとんどである.また,その手続きについて素人は正しく理解することが困難である.それゆえ,リスクに対して手心を加えた対応がなされる可能性がいつも存在する.つまり,リスク評価のあり方自体にリスク(ごまかす,甘く見つもるなど)が存在する.
思い出すねぇ。北海道経済産業局の迷作アンケート!
ほか、「家族」というリスク(山田昌弘)、リスク社会から教育を救出するには(佐藤学)、メタボをはじめとする医学的リスク管理に見る自己責任というリスクコントロ一ル(美馬達哉)、情報化とリスクとポスト・パノプティコン(山口節郎)、リスク社会と信頼(小松丈晃)、リスク・コミュニケーションとリスク認知の心理学(吉川肇子)。
企業のリスクマネジメントノウハウ。
他者をふるい分けすることに「恥」を感じなくなってきている社会。
使いでがある。
p.46、児童の貧困/ライフラインとしての教育についての考察は、2巻の子どもの貧困考察と読み合わせると、より立体的に状況が立ってくる。
●5巻は科学技術から見たリスク。
5巻巻頭では、紋切り型に科学技術のリスクに対する世間の不安はメディアのせいだとされている。浅薄な責任転嫁?
4巻末では、そのようなステレオタイプに対するカウンターが記されているのにね。
吉川肇子「第6章 リスク・コミュニケーション」
p.143
マス・メディアがリスクばかりを報道するというのもおそらく真実ではない.リスク報道について報道内容や報道量を分析したフロイデンバーグらは,メディアはリスクを誇張し,「反科学技術」の態度を示すというリスク専門家コミュニティの見解は,データからは支持されないことを明らかにしている.
読み合わせるとズレが楽しい、もしくはいっぱしぶっている5巻(科学技術)のダメダメさがなさけない。

リスクとは、危機管理とは、不安対策とは、ひととおり各分野を概観しておきたい人に、行動遺伝学含め、おすすめ。
●リスク学各巻は、各分野各トピごとに関連文献紹介と解題があっていろいろ便利です。
夏の夜長用に図書館から調達できれば吉。







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