
『経済は感情で動く はじめての行動経済学』
マッテオ・モッテルリーニ著
紀伊國屋書店 (2008/4/17) 原書2006年
>最新の行動経済学と神経経済学のエッセンスをクイズ形式で説く
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たぶん元は良い本だったのだろうけれど、はるばる日本にやってきて日本語の本になるときに、何やら納豆臭い混ぜものがされてしまった微妙な香りの一冊。
イタリアの先生が、バツグンの講釈センスと構成で、いかにヒトの判断と論理性がぐだぐだで、偏ったまんま日々の判断を下していて、どんな損をしがちなのか、消費者は何を選びがちなのか、神経経済学などかなり近々の知見まで含めて楽しく読ませてくれる。
次々と読者に選択を迫るのもいいね。「AとB、あなたならどちらを選びますか? たいがいの人はAを選びますが、実はBのほうが…」と「意外な事実」を重ねまくる。
適宜、カギになる概念についても別項で解説をはさんでくれる。ヒューリスティクス、フレーミング効果、プロスペクト理論、ピーク・エンドの法則。いやあ、わかりやすいよ。
ヒトの心理はこんなにナニカに縛られているんですねーと。
ヒトという哀れな生物が生きていく上で抱えている妥協点ここにご開帳というか、うぬぼれた衆生のスネをコシコシ「おまえちゃうんちゃう」とイヤミに小突いて教える側のポジションを著者が満喫しているというか。
で、モノは良い本だと思う。サラリーマンなど経済と心理について「学んでおかなきゃ」と感じているような層には(行動経済学や神経経済学に詳しくない層には)オススメだ。明日の選択にプラスになる即戦力の知恵を掴み取ってくれ。
それはそれとして、自分的には・・・、そういうマーケティング的な本筋とは別の線で、この本に、かすかな疑問や大きな落胆を感じたんだが。
1● 日本側の編集者がオカシイ
2● ハンパになっている設問例
3● フィニアス・ゲージの誤謬
... 以下つづき...

【日本側の編集者がオカシイ】
この本の各章の末尾には、『教訓』と称して数項目のまとめが記されている。
ああ、そうか、忙しいときには斜め読みしながらこの『教訓』で復習と頭の整理をすればいいんだな、これは便利だな、と感心した。
が。
読み進めると、その『教訓』になぜか、日本の納豆パニックの話(発掘あるある大事典のアレね)や中国発毒入りギョーザの事件が登場する。
ええっ!? 原書は2006年のイタリアなのに、これはありえない。 訳す人が日本の実状に合うように気を効かせて例示をアレンジしたのかな?!
さらに読み進めると、この章末尾の『教訓』は、さらにおかしなことになっていく。重要な論点が、教訓では無視されている。明後日斜め上方向の感想やマメ知識が『教訓』として記されている。しまいには、全然教訓じゃなくて、どこの誰がつぶやいているのか要領を得ない個人メモのような文面まで。
なんだこれは。
遅まきに「あとがき」を読んで、その理由が判明した。

原書には、この『教訓』コーナーはなかったんだ。
日本側で邦訳出版の手配をした編集者が、勝手に自分的感想メモを『教訓』として加筆なさったんだそうな。
その事実を記した「あとがき」を書いたのは翻訳者。翻訳者からして、この分野は未知だったそうで(!)、編集者が加筆した『教訓』はわかりやすくていいと褒めていたりする。
やめんか。
大衆向け経済本にはカルトや妄想が色濃く染み込んだ変な低レベル書籍が多いけれど、もしかしてそのノリがらみで編集者はこの本を出したんだろうか。知識のない編集者と知識のない翻訳者?
そういえば、当該書の邦訳タイトルの付け方もそーとーセンス無いような気がする。「経済は感情で動く」いまどき書名がこれだなんて・・・
少なくとも『教訓』は、知識ある者と知識無い者の間の橋渡しに慣れている者が記すべき。素人に、素人の感想を本文中で読ませてどうするのか。「あなたが得た教訓を記してみましょう」とメモ用の空白ページを置いてくれたほうがよほどいい。
(なお、当該翻訳者の下手さ加減についてはアマゾンのカスタマーレビューたちがボロクソ言ってるし:イタリア語の経済心理ものを日本語に訳せる人材は少ないのかな)

【ハンパになっている設問例】
『経済は感情で動く はじめての行動経済学』
p.256 の設問例:大意
●設問
車両が線路上を暴走している。
その行く先には線路上に作業員が5人。逃げられない。このままでは5人が死んでしまう。
作業員5人と暴走車両の間には陸橋があり、陸橋の上には、あなたと見知らぬ太った人が立っている。
横にいる見知らぬ人を暴走車両の前に突き落とせば、作業員5人は助かるかもしれない。
●問いかけ
横にいる見知らぬ人を突き落とすことは正しいことですか?
●実験結果
たいがいの人は、5対1の命の重さの問題であっても、太った人を犠牲にすることは正しくない、と結論する。
えええええ。
これは原文がこういう意味だったんだろうか、提示された設問の詰めが甘くて全然イケてないというか、説得力を欠いている。実際の心理実験では、ほんとはもっときっちり条件が詰めてあったと思うぞ。
こんな半端な設定じゃあ、思わず「そんな誰かを突き落とす前に、自分が飛び降りるのが一番じゃないか!」と思ったんだがヘンか?
太った人間一人程度で暴走列車が止まるとは思えない。そんなことで暴走列車が止まるのであれば、自分は体重48キロだけど、自分の身投げでもじゅうぶん列車が止められるんじゃないか。なら、自分が飛び降りて死ぬのが一番じゃないか!
元の実験の設定者はそんな選択を許さないように、きっちり選択肢を限定するようシチュエーションの設定をして、きちんと実験結果を出し、こうして今も人口に膾炙するナイスな事例を確立した。そのへんが、さっぱりこの翻訳書面上ではぐだぐだっぽい。
ウェブ上に同じ設問が紹介されているのでご参照を。
李 啓充 「道徳性の神経生理学」 週刊医学界新聞 2007年6月4日
トロリー問題
倫理学の領域で「トロリー問題(trolley problem)」とよばれるジレンマとは次のようなものである。
【設問1】 略
【設問2】陸橋の上にいるあなたは,電車が暴走していることに気がつきました。線路の先には5人の人が歩いています。もし,あなたが,自分の横に立っている人を線路の上に突き落とせば,電車の暴走を止めることができますが,あなたは5人の命を救うために1人の命を犠牲にすることができますか?
ところで、この設問を提示されて「隣の人を突き落として殺すよりは、自分が身投げした方が手っ取り早い!」と結論した人はどのくらいいたんだろうか。いや、本人の体重に関わらず。
どうも自分は、この本の各設問で「普通はこちらを選ぶ」と言われた選択肢じゃないほうを選ぶケースが多かったんだが。 ただのへそ曲がりだからか、なんぼか行動経済学の知識があるからか、それともEQの低さとかが関係あったりするのだろうか。
そしてさらについでに。
デフ(聴覚を使わない人)の場合、「一般的にはこちらを選ぶ」とされる選択肢をふつうに選ぶだろうか。
誰かこの、共感性と行動経済学の関係に着目してはいないだろうか。

【フィニアス・ゲージの誤謬】
京都大学のサイトにフィネアス・ゲイジについての間違った記述があって、ずっと気になっているんですが、
それに匹敵する間違い記述がこの本にもございました。
『経済は感情で動く はじめての行動経済学』 p.262
1848年9月13日、フィニアス・ゲージがヘマをやったが、そのヘマは彼の脳のなかだけでなく、脳についての私たちすべての知識にも示唆深い跡を残した。彼は爆発させることになっていた岩の穴にあった火薬を鉄の棒でつぶしていたが、そのうちに火花が出た。火薬は彼の顔の前で爆発した。岩は破裂しなかった。重さ六キロ、長さ一一〇センチ、直径三センチの鉄の棒がロケットのようにはじけ飛んでゲージの左頬をつらぬき、頭蓋骨の底に穴を開けて前頭部を横切り、頭のてっぺんを突き抜けて三十メートルのかなたに吹っ飛んだ。
・・・・・・
ほんとにもう(これが訳の間違いでなければ)、学者は「科学的」なことには異様にこだわるくせに、現場のことはバカにしているのか平気で無茶苦茶なこと書かはりますな。
「火薬を鉄の棒でつぶしていた」。
当該書が論拠に挙げているダマジオの本でも、そんなアホな記述はしておらなんだはずでございます。
これがどのくらいアホな記述であるのかは、2年前の
をご参照下さいませ。
科学者さん、天にツバするなよ。

自分が見た範囲では、いまのところ行動経済学(人間はものの価値をこんなに計り間違えるよ研究)の書籍としては、同じ2006年の
光文社新書 『行動経済学 経済は「感情」で動いている』 友野典男 著 (2006/05/17)
がイチオシに好みでした。
今回の 『経済は感情で動く はじめての行動経済学』は_本来の内容的には_それに次ぐイイデキの本だったろうと思われるので、そのぶん、タイトルやデザイン含めて、日本語版のデキばえが「もっとどうにかなっだだろー」。
機会があれば、両者読み合わせてみて下さい。


光文社新書 『行動経済学 経済は「感情」で動いている』 友野典男 著 (2006/05/17)
『経済は感情で動く はじめての行動経済学』 マッテオ・モッテルリーニ著 紀伊國屋書店 (2008/4/17) 原書2006年

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