もし、法廷で手話の通訳をしなければならなくなったら。
もし、ろう者が出廷する裁判の判決を下さなければならない立場になったとしたら。
あわててこの本を手に取るがいい。
『手話と法律・裁判ハンドブック』
田門浩/監修
生活書院 2008/02 [ Amazon ] [bk1]
>法律や裁判に関わる手話単語・手話表現を、動きが的確に理解できるイラストで図解。
>司法の基本的な知識、ろう者の社会参加範囲拡大につながる裁判員制度なども併せて学べるハンドブック。
裁判員制度が開始されるその日が近づくにつれ、手話通訳者の間でも、法廷の場における適切な手話通訳とはどのようなものであるべきか、何を踏まえておくべきか、不安と混乱が広がってきていた。その経緯を受けて、有志が「ハンドブック」を作成した。
前半は、法廷で使用されるであろう、専門用語や表現の手話を多数豊富に図解。(図解イラストがクールでカワイイ。四角い口がちょっと金卵やモネラっぽかったり)
中盤は、刑法や刑事手続きの概略、実際にどのような点に留意して手話通訳を行うべきか、日常の通訳と法廷の場とでは「べからず」がどう違ってくるのか、手話通訳プロとしての心構えを含め、具体的に解説。
終章には、裁判員制度とは何かについて概略が置いてある。
被告・原告のみならず、裁判員として「ろう者」が引っぱり出されることもあるんだよね。
ほかの健常者は、うまく事態をのみこんでくれるだろうか。
で、基本的に、この本の中では「ろう文化」的な視点は欠如している。
手話を「異文化語だ」と見る視点はない。
... 以下つづき...

1・本人のコミュニケーション技術が十分でない
2・本人の使う日本語が、本人独特の解釈で使われることもある(p.102)
とみなして解説してしまう。
英語を使う異国で日本人が法廷に呼び出されたとして
1・本人のコミュニケーション技術が十分でない
2・本人の使う英語が、本人独特の解釈で使われることもある
と言われてしまうと、1は「十分でないのはどっちがやねん!」と言いたくなるし、2は「本人独特やのうて、うちらの文化では普通こう解釈するもんやねん!」という憤懣を引き起こしかねない。
ただねぇ。
「ろう文化」について全く知らないであろう、ほかの裁判員さんがたに、いちから「ろう文化」の意義を理解してもらうとなると、これはほんとにスタミナがないとこじれかねないしんどい作業になるわけで。
実務的な「ハンドブック」だから、「ろう文化」についてなどの深みはメンゴしてくれ、という見方もありだけれど、でも当該書は、想定読者の少なからない部分が手話通訳者という「プロ」になってるんだよね。そして手話通訳のプロの間でも、上に挙げたような「ろう者のほうがおかしい」的偏見(p.102)がまかりとおりがちなことは事実なわけで、その偏見をスルーして(もしくはまんま乗って)いるように見える書きようは、ちょっと読んでいてかなり痛かった。
法廷での通訳規範として、
・妙に気を回して先回りした曲解をしない
・補足をしない
・基本的にそのまま伝える
・そして確認する
という要点が示される。
手話通訳者は女が多めだ。女はわりと気を回して「こう言いたいのよね」と決めつけて伝達内容を曲げてしまう傾向が強めになりがち(しかも自覚がないから直らなかったり)。(ex. 共感脳 )
曲解に抵抗がなく、補足をして決めつけ思い込みやすい・・・
その共感脳傾向と好対照をなすような
・曲解をしない
・補足をしない
・基本的にそのまま伝える
・そして確認する
そこを旨とする【法廷的規範】は、いかにも論理的な、ろう者的システム脳の規範を示していて興味深い。
そうかあ。生粋のろう者は、意外と法曹職に向いているのかもしれない。


![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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