おそまきながら、名著を一冊拝読。

『夜中に犬に起こった奇妙な事件』 新装版
マーク・ハッドン (著)
早川書房 (2007/02)
邦訳旧版は2003年
[ Amazon ] [bk1]
※ 一般読者が記した旧版の書評はこちらで読めます。
旧2003年版『夜中に犬に起こった奇妙な事件』
『夜中に犬に起こった奇妙な事件』という作品はスゴイ。
記述がかっこいい。
すうっとしている。
納得させる。
正しい感かもしまくり。
たいへん特異な設定で描かれた、ミステリー小説だ。
本書は、極端な
語りのすべてが、養護学校に通う彼の一人称で進行するのであり(主人公の少年が書き上げた本であるという設定)、そしてこの本を読んだ人々は、「サヴァンやアスペルガーの子はこのように世界を見て、感じて、思考しているのか! こんなに豊かな世界の中に暮らしているのか!」と感じ入るのであり。

【読みやすさの科学】
いや、読んでみて、こんなに読みやすいフィクションだとは思わなかった。薄くて短いわけじゃない。厚くて濃い。 それが主人公の独特な論理的な語りですうっと流れていく。 斬新だ。
パズル思考の具体性と、その結果としての判断。
自分の反応を客観的に記すクールさ。
主人公が、情報過多の混乱から避難する工夫。
そして、短い記述をいくつも重ねていく記述手法。
読みやすい。
健常者である周囲の人々の言動のほうが、ひどく混乱してわかりづらいものとして現れているのがいかにも興をそそる。
※ 「障害者におけるわかりやすさ」については『わかりやすさの本質』という本がオススメです。
知的障害者を対象に含めた、伝達の技術、コミュニケーションのコツ、の考察。
わかりやすい文章の書き方。
わかりやすい焦点のしぼり方。
わかりやすい省略のしかた。
わかりやすい表現のコツ。
言及忘れていてごめん、追記:
訳者の小尾 芙佐 氏によるセンス卓抜の翻訳も、この作品を際だたせている。
アジモフ/バイセンテニアルマンの伊藤典夫による絶品翻訳をほうふつとさせる。
でも、この『夜中に犬に起こった奇妙な事件』を読んだ人々の感想には、ちょっとひっかかりを感じるものが少なくない。この本を読んで、障害児の内面が、こんなに豊かで、思いが深くて、驚くべきことで、この子の内面世界はこうなっているのか!と感嘆し・・・。
・・・と感じることが、何かすでに、微妙にやっかいなズレを何層も含んでいるような気がする。
やっかいだ。
... 以下つづき...

著者が、「自閉症者とともに働いた経験」を元にして、アスペルガー症候群の子の内面世界を説得力豊かに描写してみたのが、本作だ。
ということは、「本物ではない」んだよね、ありていに言っちゃえば。
『夜中に犬に起こった奇妙な事件』は、健常者側による精一杯のシミュレーションなんだ。
健常者は、「健常者側による精一杯のシミュレーション」によってしか、異質な存在の内面世界を知ることはできない、そこは認める。OKだし、神経の行き届いたすばらしい描写で(よくこのペースで最後まで息切れしないなぁ!)、良質の「作品」に仕上がっていることは認める。
いい本だ、オススメだ。
でも、違和感は本書からではなく、それを読んだ者たちの語りからやってくる。
『夜中に犬に起こった奇妙な事件』を読んだ人々の感想は、なぜかこれがシミュレーションであることを忘れた、本物の語りであるとして受け取って語る者が多いんだ。

異質な思考の、内面をシミュレーションした物語。
すなわち、極端に言えば、この『夜中に犬に起こった奇妙な事件』は、形式としては、SFに入れうる。
自分が当該書を読みはじめてまっさきに脳裏に浮かんだのは、1973年のネビュラ賞(SF小説に与えられる賞)の受賞作2本。
はたからすれば、そんなもん思い出す自分のほうがおかしいのだろうけど。
なぜか、たまたま1973年のネビュラ賞に、「異質な存在の思考シミュレーション」をこなした佳作が2本入っている。

●ジーン・ウルフ「アイランド博士の死」
The Death of Dr. Island(1973)
所収:
脳梁を切断された分離脳患者の内面世界。
●ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア「愛はさだめ、さだめは死」
Love Is the Plan the Plan Is Death(1973)
所収:
昆虫型地球外生物の成長とつがい行動、そして死までをエイリアン自身の「一人称で」語りあげた、進化心理学台頭よりはるか前に描かれた衝撃作。
これらと同じ路線に見えるんだ。
要するに、宇宙人の(異質な脳の)思考を想定して描いたSFとどう違うのかと。
あくまで「健常者にわかりやすいように」「健常者が書いた」「異質な存在の内面世界」なのであり。
あくまで、その想定を抜かさずに、読むべきだ。いや、頭の片隅に置いておくべきだ。だのに、それをすっとばして、「これが実際なのね」とストレートに受けとめて語る読み手が多いのはなぜ。
その、ストレート受けが、全く間違っているとは言いきれないもどかしさが(だってたいがいの健常者さんには当該書くらいしか、自閉症者の内面世界の手がかりはないのであろうし)、「やっかいなタイプのズレがあるようでしんどいな」と思わせてくれる。
ああ、ここまで言ってしまうのは酷かな。 自分ちのジャンガリアンハムスターには「ハム太郎」と同じ内面世界があるのだとみなす、そういう誤謬との境界線が曖昧になるやっかいさ。そんなのも、頭をかすめるわけで。
あー、いやいやいや、そんな懸念を抱くこと自体が、すでに共感脳さんたち(相手の内面を勝手に想定してはばからないタイプの人々)の思考様式からかけ離れてしまっているのか。


それと複雑なやっかいさの中から、もうひとつだけわかりやすい部分を。
読み手の人々は、基本的に「障害児の内面世界はこんなに豊かだったのか」と驚く方向にある。
「驚いた」というところは、まあつっこんでもしかたないかな、とは思うけれど、萎え感はその「驚いた」の先にある。
「彼らの内面世界は貧弱だと思っていた」自分に対して、「障害者に対して失礼な考えを持っていた自分」を広い意味で反省する方向ではなく、「サヴァンの子はスゴイ」とか「自閉症児を見たら、今度からは彼らの内面はこんなだろうと想像してみることにする」と、せっかくの驚きが狭い方向におっちゃんこしていってしまうらしいこと。
広く見れば、ヒトは障害者相手のみならず、自分と同類だとはみなさない相手に対して、異文化、異時代、異民族に対して、それらの内面世界をとかく「狭く浅くつまらないもの」と(不当に)きめつけておとしめる傾向にある。
「障害者? 劣っている存在だろ」
自分の知の外にある存在を、貧弱とみなして済ませる/すませてきた、そういう根深い部分への反省が導かれない。
いや、まあ、この本からそこまで広げろというのはムチャぶりなのだろうけれど、でも「せっかくの驚きが狭い方向におっちゃんこ」してばかりいるのは、たいへんもったいなくも、もどかしく。

なお、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』の舞台はイギリスのスィンドン〜ロンドンなのだけれども、XTCの生息地であるスウィンドンならでは的な土地柄の特徴はほとんど出てこない。
自閉症者を主人公に据えた、この『夜中に犬に起こった奇妙な事件』は、邦訳が出た5年前から気にはなっていたのだけれど、どうせフィクションだからと読書優先順位をずるずる下げていた。
なんで今回急に優先順位を上げることになったかというと、こんなイベント報告を拝読したから。
マーク・ハッドン『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(早川書房)
新装版の帯にある推薦文が間違っているというくだりには、笑った。慥かに。

そして、このセリフ。
瀬名「ロボットを書いてゆくことは病気を書いてゆくことになってしまうんじゃないか。」
そう、結局、世界はSFに収容されていく。
・・・シミュレイティブ・フィクション?
へぇボタン:へぇ〜
と押してみるもよし当日の午後に追記:
アスペルガー症候群のご本人が記した有名な書物として、動物学者テンプル・グランディンさんの一連の著作がある。
でも、彼女のナマの書き物は健常者が読むにはかなり取っつきづらいものであり、出版に際しては、相方の健常者ライターさんが文面をリライトしている。
アスペと診断されていて、なおかつ名文を書ける人もいる。
デフォルトに『夜中に犬に起こった奇妙な事件』のような、みごとに読みやすい文章を書けるアスペの子はまれだと思う。
そしてそれは、名文を書ける健常者が少ないのと同じことだ。

![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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