[ EP: 科学に佇む心と身体 ]

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銀河ヒッチハイク・ガイドから見るドーキンス

カテゴリ[科学に佇む2008年] 2008/03/25
 前に、リチャード「利己的遺伝子」ドーキンスがこの作品を絶賛していた旨、紹介したことがある。
 → 『 銀河ヒッチハイク・迷子 』

◆銀河ヒッチハイク・ガイド廉価DVD

『銀河ヒッチハイク・ガイド』

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◆銀河ヒッチハイク・ガイド◆宇宙の果てのレストラン◆宇宙クリケット大戦争
 『銀河ヒッチハイク・ガイド』 ダグラス・アダムス 河出文庫 2005/1979
 『宇宙の果てのレストラン』 ダグラス・アダムス 河出書房新社 (2005/9/3)
 『宇宙クリケット大戦争』 ダグラス・アダムス 河出書房新社 (2006/4/5)
◆さようなら、いままで魚をありがとう◆ほとんど無害
 『さようなら、いままで魚をありがとう』 ダグラス・アダムス 河出書房新社 (2006/6/3)
 『ほとんど無害』 ダグラス・アダムス 河出書房新社 (2006/8/5)

 リチャード・ドーキンスは、近作自著(しかも問題作)の 『神は妄想である』で、ダグラス・アダムスに追悼の献辞を捧げていたわけで。
 ドーキンスは、 『神は妄想である』と主張するにあたって、目の前にこの「銀河ヒッチハイク・ガイド」のイメージを投影していた、としたらどうだ?

 そう、こ・れ・は ひどいイメージなんだ。 最悪かも。damn

... 以下つづき...

〓〓〓 EP 〓〓〓

 『銀河ヒッチハイク・ガイド』。
 モノは、失礼な 「宇宙船レッドドワーフ号」だと思ってくれていい。
 失礼というか、全然想像力のない地べたに落ちたSFというか。(原作は30年前の作品だから、そこは割り引いて考えるべきか、とも頭をよぎったけれど、30年前当時は、今よりはるかに先鋭さの際だつ寓話ファビュレーションSF全盛の時代だったじゃないか、全然割引けやしない)
 えーと、いや、想像力はある。ひねこびた、自己中心的な、冷笑としての想像力。
 欠けているのは、異文化のありようを相対的に捉える、そういう多文化的な手練手管で疾走する想像力。それが、欠落している。
 ゆえにひどいし、ゆえに、ドーキンスがこの作品を視野に据えて 『神は妄想である』を記したのだと考えるだにもう、哀れなほどにモノカルチャーな科学信者魂に、なおさらひどいディスコミュニケーションを感じる。

 『銀河ヒッチハイク・ガイド』を貫く基調は、「異質なありようは、どれものきなみくだらない理屈の上に仮構されたデキの悪いジョークに過ぎない」。異文化をそうみなしてはばからない、イギリス独特の、深刻に根深い「鼻持ちならない高慢さ」から、コメディがこね上げられている。
 深刻に根深い「鼻持ちならない高慢さ」、例えば、これは前にも記したけれど、

イギリス独特の、最低にお上品な人種主義

お高い一元至上主義?めいた文化感覚 … 例えば日本のお茶や中国のお茶を紹介しても、ひとしきりおもしろおいしくいただいてくれたそのあとで、「それではみなさん本当のお茶を飲みましょう」といそいそアールグレイをいれてくれるという、そんな、無垢と善良の上座にふんぞりかえったごとき異文化に対する非常な失礼さ。


 銀河ヒッチハイク・ガイドのシリーズは、基本的に異文化を、見ない。
 さまざまな異文化を登場させはするが、それはもともと異文化(SF)を描くためではなく、

自文化の機能不全を皮肉るための方便としてSF設定を用いているだけ

であり、本来のリアル異文化に対する理解など示す必要はない文脈になる。レッドドワーフ号に酷似したシチュエーションで、モンティパイソンを主流とする厳としたイギリスコメディでありながら、どれよりも多文化的観点からして栄養失調な殺伐感に襲われる。

 この作品は、自文化内だけで鑑賞なさるには楽しいものであろうと思われる。
 イギリスがイギリスを笑うために、これを使うンなら、それこそ本来の使い方であろう、どんどんやってくれ。
 が。
 ドーキンスがこれをふつうに 『神は妄想である』につなげたはるのはあかんやろ。
 自文化内だけ用のウチワウケを、マジ異文化に対して使ったらあかん。
 とにかく、描かれる異文化側に、自分が、日本が、東洋が、そしてドーキンスにとっての宗教側が、いっしょくたにほうり込まれて、このような投影を受けているのだと思うだに、いかん許せない。

 ドーキンスは何を考えて、自著 『神は妄想である』に、ダグラス・アダムスに対する追悼の献辞を張り付けたのか。
 異文化のありように対して、「銀河ヒッチハイク・ガイド・シリーズ」を投影させることに抵抗を感じない、その神経を、見逃してはならない。彼は、そんな視野から語っているのだ。はなから。

 同時に、 ダニエル・ネトルにも、この作品の位置関係を小一時間ほど問い詰めたくなってくる。

 映画(DVD)は、作品としていい味は出しているし、作りはそつないし、CGムダにハイレベルだし、きれいにできあがっている。が。 画面はともかく、意味的なスペクタクル感が、ゼロ。狭い意味世界にしかいない。依怙地。偏屈。異質な存在側からの関係性を見ないゆえに、どれもこれもいびつな孤立例として描写され、地に落ちる。そして、「異質な存在をそう処理してかまわない」という(イギリスに古くからある)根深い「偏見」が、最悪なスパイスとして異臭を放っている。
 こんなもん外に対して投影するな。元著者の意図どおりイギリスにだけ、投影してろ。




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* * *

→ 上掲のお話についてのコメント

1029 #a8h1Tw1o コメントアンカー 木戸孝紀 さんのコメント 【2008/11/04】

今日の日経新聞に『自負と偏見のイギリス文化』という
本の書評があってその中の一部を読んでこのエントリを思い出しました。
ドーキンスの兄貴は私も大ファンではありますが、確かにそういう人ですね。

>オースティンの魅力として指摘されるのが笑いの要素。
>「自分の姿を笑う余裕があるという『自負(プライド)』、
>そして自分が愚かであり、馬鹿げたことだと判断した事柄を
>容赦なく笑う『偏見(プレジュディス)』」。
>それが作品の特徴であると同時に英国文化の特性だと指摘。

1950 #cKjIa1.Y コメントアンカー amasaki さんのコメント 【2008/11/04】

ご紹介ありがとうございます。
すごい表題の本ですね。
イギリスの困った面に関して、私が感じたことはそうマトハズレでもないということなのかな。機会があったら拝読してみましょう。

海外に出て商売なさっているイギリス人では、その手の狭いゆがみはあまり感じないんですけどね。国外文化との接点が少ない場合、ちょっと痛かったりするようで。(異文化を下に見ているから異文化と接しようとしない、的な悪循環もあったりするのかな)

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