[ EP: 科学に佇む心と身体 ]

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音のないクールな文化:若きろう文化の可能性

カテゴリ[科学に佇む2008年] 2008/02/13
◆左表紙

 『日本手話とろう文化 ろう者はストレンジャー』  木村 晴美 生活書院 (2007/04)

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 著者は、音を使わない文化の中で育った人だ。(ろう者)
 音を使う文化とは違った世界規範で暮らしているのだが、いかんせん音を使う文化の人(耳が聞こえる、いわゆる健常者)ともよく交流するので、いろいろとおかしな食い違いに遭遇なさる。
 この本についてはすでに2回言及しています。
 → 『 日本手話とろう文化はアンタッチャブル? 』
 → 『 ろう文化と、人生の途中で耳が聞こえなくなった人 』

 今回は三回目で、筆が重くなる最後のナゾ。

〓〓〓 EP 〓〓〓

●推測優先文化と、確認優先文化

 当該書の中では、
  音を使わない文化は、「言語化する」文化
  音を用いる文化では、「察する」文化
だとして対比され、その違いがいろいろな「不思議」としてとりあげられる。

p.45
聴者の文化は「察すること」がキーワードになっている。だから、相手から何か聞かれたときは、その質問意図を理解した上で答えなければならないようだ。

 
●右画
 著者(ろう文化/音を使わない文化の人)は、音を使う日本語文化では「言わなくても通じ合う/敢えて全部言わない」コミュニケーションが横行しているのだとみなす。いわゆる”日本的な”コミュニケーションだね。
 何か伝えたいと思ったとき、すべてを伝えずに、途中までで止めておいてその先を読んでもらうのが礼儀。言われない意図の先まで読むのが礼儀。それが日本の「察する」文化。

 例えば「明日は雨だとお思いですか?」と聞かれただけなのに「ああ、すみません、玄関の傘立てが邪魔でしたか!」のような答をしてしまうのが「察する文化」。
 「なぜあんなところに傘立てを置くんだよこのタコ!」ということは、言わずとも言われずとも察知してやる、通じさせる。

 ろう文化では、勝手な推測で気を回すのはよけいな行為であり、食い違いの元になる。
 上の傘立ての例で行けば、ろう文化では、ストレートに「玄関の傘立てが邪魔だと思うのですが、私が片付けますか?あなたがどかしますか?」と用件を表明する。もしくは、「明日は雨だとお思いですか?」答えは「いいえ」で止まる。 で、次の質問を待つなり、なぜそれを問うたのか質問を返すなり、飛躍させずに段階を踏んで応答が重ねられる。
 「言語化する」文化。

p.45
 ろう者の会話では、イエス・ノー疑問文で何かを聞かれたら、必ずイエスかノーで答え、相手の反応を見てから発話を続けるかどうかを決める。もし、イエスかノーで答えられる事柄でなかったら、イエスかノーで答えられることではないということを言うのだ。


〓〓〓 EP 〓〓〓

●欧米か

 著者は、「言語化する文化」である「ろう文化」は、欧米のような「論理優先の文化」に近いのではないかという感触を持っていなさる。
 p.215「ろう者は「合理性優先」の文化、聴者は「場・関係優先」の文化」
 たしかに、少なくともアメリカでは、日本式の察知文化は異様に映るというか、通用しないし。(欧州ではどうなのかは不如意)

 なぜ、そうなっているのか。
 なぜ、ろう文化は「言語化する文化」であるのか。
 たいへん興味をそそる。

 「ろう文化」は生まれながらに耳が聞こえない子が自然に形成する文化。各国各地にそれぞれ自然発生的に「ろう文化」は存在する。日本のろう文化、アメリカのろう文化、ベドウィンのろう文化・・・
 しかし、残念なことに、「ろう文化」が持つ特徴や傾向は、まだどこの国でも十分に研究が尽くされていない。それぞれに何が共通していてどこが違うのか、比較研究が出せない。確かめることができない状態にある。
・「なぜ」日本のろう文化が言語化や論理優先の文化になってしまっているのか
・アメリカのろう文化も同じ傾向を持つのか
・その他の国のろう文化ではどうなのか
 さっぱりなのだ。調べられていない。

 なぜ、ろう文化は「合理性優先の文化」で、「言語化する文化」であるのか。
 アメリカの影響があったから、ではない。それとは違う。

 妙にひっかかってうだうだしたあげく、手元に溜まっている情報を掻き回すと、手がかりっぽいモノが2つほど見えてきた。
 文化の若さと、聴覚のなさ。この2つだ。

... 以下つづき...

〓〓〓 EP 〓〓〓

アンカー【その1:文化の若さ】


 これは「言語化する文化」面に関わる要素だと思うのだが、
・長い歴史を抱え
・資源環境にもお付き合い範囲にも限りがある
・暮らしのパターンに限りがある
そういう文化環境である場合、「こういうときにはこうするもの」という暗黙の了解的行動様式が過度に発達することがある。「ツーと言えばカーというものに決まっているだろうが!」 よそものにはわかりづらい「こうするのがあたりまえ」察知文化。
 見方を変えれば、老獪(ろうかい)な文化、と言えるかもしれない。
 長い島国暮らしと鎖国藩政のなごりを引きずって、現代日本の聴者は「察知する文化」にいらっしゃる。

 それとは違って、多様な民族がごちゃごちゃに暮らしており、相手がどんな文化規範にいるのか決めつけが難しい場合、
・逐一確認しながら
・誤解を最低限に抑えるような
「言語化する文化」的なコミュニケーションが必要になってくる。
 移民の塊であり、民族のるつぼであるアメリカなんてなぁ、それこそ死ぬほど「確認しながら」でないと殺されかねない状況を経てきた世界なのであって、いきおい「言語化する文化/察知なんかしねぇできねぇ」っぽいことになる。
 新興国や移民の国など、歴史が浅く、状況の見当がつきにくい若い文化では、この「確認が必要な」文化様式はよく見られる・・・

 と見てくると、日本の「ろう文化」はどうだ?
・歴史の浅い若い文化であり、
・各個人の立場や出身、習得の違いが大きいので
・逐一確認しながら
・誤解を最低限に抑えるような
「言語化する文化」的なコミュニケーションが形成されるのは、無理からぬことと見えてくる。

 ろう文化の人々が、今のような異文化(聴者の文化)の中に小グループで散在する形ではなく、濃く密集して内向きの交流を長い年月重ねていくのであれば、ろう文化もそのうち「察知型文化」になっていく可能性がある。
 日本の聴者文化にしても、今後、世代間のギャップや外国人の流入がでかくなって相手がどういう人間か察知が難しくなっていくのだから、どんどん「言語化する確認文化」的様相を帯びてくるだろう。

文化と行動様式の関係
 → 『 文化心理学からベーリンジアを望む 』

挿画


 自分の知識範囲内では、これが要因の一つではないかと思えるだけなのであって、検証や研究の余地はたくさんあると思う。
 住民にめちゃくちゃろう者が多くて、手話の使用が聴者の間でも完全デフォルトだった マーサズヴィンヤード島のことも脳裏をよぎるし。300年間の長きに渡って培われたマーサズヴィンヤードの暮らし。そこでの文化規範はどうだったんだろうね。

〓〓〓 EP 〓〓〓

 そして2つ目だ。
 ろう文化が、「合理性優先」の文化、「論理優先の文化」っぽいのはなぜか。

アンカー【その2:聴覚と感情】


 聴覚と感情。
 こちらは、ちょっとヤバイネタになるかもしれないが、敢えて。
 すまん。

◆日本手話

 冒頭書籍の著者は女性であり、ろう文化には「合理性優先」の特徴があるとみなしている。
 いや、ろう文化以前に、読み手としては、女性にしては異様に論理的なクールな記述をなされるこの『日本手話とろう文化』著者さん自身の思考に、意外性を感じたのですが。
 記述がてきぱきと、やわらかくも分析的で、妙にシステム思考っぽい。
 要するに、「システム脳」がお書きになった文章であるような印象を受けたのです。

※ 脳の特徴の分け方:バロン=コーエンが看板にしている
 システム脳=男に多め、分析・小理屈・リストアップ好き 論理優先
 共感脳=女に多め、印象や感情、雰囲気に流されやすい 気持ち優先

 逐一分析に持っていく、共感より論理が先に立つ『日本手話とろう文化』における書きよう。ろう文化の影響だけだとは思えない。
 著者は、音に反応しない世界で育った。
 これは・・・文化以前に、脳から、もしかしたら違う気配があるのではないか。
 いや、文化も脳も、かもしれない。「言語化する確認文化」の影響と、そして、音に左右されないクールな脳との、相乗作用。

■音に左右されないクールな脳

 音に侵されずに育った人にはわかりづらいのかもしれないが、音はヒトの脳をいやおうなく掻き回す、たいへん恐ろしい効果を持っている・・・ と言うか、脳は音にめちゃめちゃ弱いんだ。
 特に、脳の感情機能が音にブンブン振り回される。
 ちょっとした音を浴びせられただけで、慢心に燃えたり、異様に不安にされたり、腰くだけになったり、いらつきが頂点になったりしてしまう。

●右画
 うちでは、仕事中は、気が散るのを防ぐためにインストゥルメンタルや環境音(波・虫・風の音みたいな)を流すことがある。その延長で、いっぺん現代クラシックを流す radioioClassical をBGMにしてみたことがあるんだが、むやみに悲しくなったり不安になったりドキドキしたり、なんだかしらんがぐだぐだに仕事のペースに支障をきたしてワヤになったことがある。
  リンク radioioClassical
 現代クラシックは、実際の中身は「映画の効果音楽集」みたいなもんで、スリラー映画山場のBGMみたいなのからオペラ気分全開なモノまで、かなり勝手気ままにドラマチックな音楽が流れてくる。でもって、曲調が変わるたんびに、まんま聴き手の気分まで左右されてしまう。仕事がまともに進まない。エライ目に遭った。

追記:

こんなクラシック音楽集が出たらしい。これよこれ、ものすごく気が散るんだろうなぁ。
 リンク 2008/03 【日本語記事】diamond 「癒し」ではなく「ストレス」が得られるクラシックCDが登場

cover
ストレス

 オムニバス(クラシック)
(アーティスト), ベルギー放送フィルハーモニー管弦楽団 (演奏), ウクライナ国立交響楽団 (演奏), ロンドン交響楽団 (演奏), ベルマン(ボリス) (演奏), その他
 CD (2008/2/27)
 レーベル: エイベックス・エンタテインメント
 収録時間: 54 分.


 音は、拒めない。
 興味がなくても、聞きたくなくても、勝手に空間を占拠して脳を侵しにやってくる。
 音は、扁桃核(脳内で感情をつかさどる)をぶん殴る。もうほんとにしょっちゅうぶん殴る。
 音にもいろいろある中、ヒトにとって最も影響力の強い音は、声だ。

笑ってる? あなたは、声でそれを聞くことができる
2008/01 Discovery Smiling? You Can Hear It in the Voice
 我々は笑顔から発せられる声色を聞き分けることができる。
 3種類の笑顔と1種類のマジ顔、それぞれのトークを聞くだけで表情が当てられます
 声に含まれる感情サインがサブリミナル効果を発揮する。
 中には他のヒトより「笑顔」っぽい声を発することができる人もいる


 ヒトは他者を声で操作している。言葉以上に、音に、声に操作される動物が、ヒトなんだ。
 声で、音で、理性が骨抜きにされてしまう。
 そういう、わけのわからないカオス的感情の日常に生きているのが聴者なんだ。
 → 『 音楽する脳と感情のヒト進化 』
 → 科学記事:五感特集

 そんな方向から考えていくと、音声要素(感情振り回され)がない世界で形成されるネイティブろう文化は、聴者文化に比べて「論理性/言語性」が卓越するのは当然なのではないかと思えてくる。
 さらには、日々、扁桃核が音に左右されることがない素直な世界で育った脳は、感情に依存する共感脳ではなく、論理性に富んだシステム脳の様相を帯びてくることが、ありえると思う。

 生まれながらに音が聞こえたことがない人の思考は、ロジカルな方向に発達する。 そんな可能性。

 あくまで、これらは雨崎の思いつきだ。
 雨崎が見聞きしている範囲では、このような可能性が考えられたという話だ。
 この路線に着目して、通文化比較やMRIをした研究が出ると面白いんじゃないだろうかと。そんな思いつき。

〓〓〓 EP 〓〓〓

 先月、たいへん興味を惹かれる新刊が一冊出ている。
 人工内耳とは、聴覚に障害がある人の頭に埋め込む「聞くためのメカ」のことです。サイボーグ型補聴器、ペースメーカーの耳版みたいな: リンク 人工内耳@ウィキ


◆人工内耳とコミュニケーション
『人工内耳とコミュニケーション
 装用後の日常と「私」の変容をめぐる対話』

 黒田 生子著
 ミネルヴァ書房 (2008/01)
 [ Amazon ] [bk1]


「1994年に健保適応が認められて以来、急速に装用が進んでいる人工内耳。2人の子どもと2人の中途失聴の成人女性との対話を通じて、人工内耳装用後、しだいに豊かにふくらんでいく生活世界を明らかにする。」

目次
第1部 日常を生きる足場としての音・ことば・コミュニケーション
第2部 小児・先天ろう児と家族にとっての人工内耳
 第7章 二人の先天ろう人工内耳装用児とその家族
 第8章 難聴の発見と人工内耳装用に至る経緯
 第9章 ろう児の日常に開かれはじめた音の世界とコミュニケーションの質的変化
 第10章 幼児のまなざしを生きる −− 子どものことばが生まれる場
 第11章 術後二年を越えて −− それぞれの長期経過から
 終章 臨床の道程から見えてきたもの
  1 聴覚が運ぶ生き生きとした情動とそれと共に切り開かれる豊かな情感世界
  2 生きた日本語の運用と聴覚を通した生き生きした情動感得の意義
  3 手話VS音声言語の対立を超えて
  4 聴覚障害者の生きる場と「私」の在りようの変化をめぐって
  5 臨床実践の在り方をめぐって


 うわあ。
 おもきし聴覚によって「情動反応が変わった」らしき観察報告が収録されているらしい。
 人工内耳で音によって扁桃核がぶん殴られるようになったのか。他人の声で感情操作されるようになったのか。

 しかも、『人工内耳とコミュニケーション』の筆者が、患児の変化を平気で「切り開かれる豊かな情感世界」と表現してしまうこの無神経さ!! 聴者の世界に入って良かったねと「生き生きした情動感得の意義」を説いてしまう文化的失礼!

 上の、「その2:聴覚と感情」の導入で「ヤバイネタ」であるかもしれない危惧を記した。

 前の2つの記事を書いてから、今回の記事を書きあげるまでに一カ月もかかってしまった気の重さはここにある。
 → 2008/01/06 『 日本手話とろう文化はアンタッチャブル? 』
 → 2008/01/15 『 ろう文化と、人生の途中で耳が聞こえなくなった人 』

 ちょっとした表現の機微で、たいへんな失礼になってしまう世界というか、グレーでカオスなマージナルゾーンすぎる。手におえない。

 論理的思考のろう文化には、それなりの確固とした美的世界が広がっている。
 感情の応酬への依存度が高めな共感脳にとっては『人工内耳と・・・』の著者は共感脳タイプである可能性が高い)感情はこの上なく豊かなものであるかもしれないが(感情に振り回されることを自己正当化する規範に生きている)、どっこいシステム脳にとっては「切り開かれる豊かな情感世界」は豊かどころか、わけのわからぬ恐ろしげな魑魅魍魎世界でしかないこともあるのであって。(ex.アスペ)
 感情はある。規範が違う。
 あ、あああ。いや、ごめん、何をどう書いても、誰かに、どこかに失礼極まりなくなってしまうような。

 ここでいったん休みます。この話はこのままになるかもしれない。
 はざまの扱いは難しい・・・
 ご寛恕乞う。


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