ちょっと無理して時間を割いてでも書いておきたいことがある。
高齢妊娠において、「35才」という数字が姿を現しやすいのは、これすべからく庶民の誤解のせいだというよりは、現代医療側の失礼な物言いのせいだ、という見方もとれます。
つまり、誤解されるような「35才」呼ばわりを始めたのは医療科学側だと。
『出生前診断:いのちの品質管理への警鐘』
佐藤孝道
ゆうひかく選書
有斐閣 1999年
p.88 表3−6 「企業,医学会,個人による自己決定の操作」
2:出生前診断を受けるのが,一般的だと教える
「35歳以上は羊水検査の適応がある」(厚生科学審議会委員の発言)
「21トリソミー{ダウン症のこと}の生まれる率は(中略)35歳以上の妊娠では1/295でかなりの高率になる」(松田一郎:母子保健1998.9.号)
みんなが出生前診断を受けているという圧迫感を感じさせる
「35歳以上で妊娠した女性は羊水検査を受けるのがあたりまえだ」と国民に思わせるように持っていく施策が採られた。
おかげさまで、なにやら35歳前後の妊婦さんばかりがやたら羊水検査を受けるようになった。
『出生前診断:いのちの品質管理への警鐘』
p.89 図3−1 遺伝外来受診率の増加率
34〜35歳付近で,増加率が著しく高いことがわかる。
つまり,34歳の妊婦は33歳の妊婦と比較して3倍,35歳では34歳と比較して5倍の頻度で受診していることがわかる。それ以外の年齢層では,だいたい1倍強の割合で受診者が増加している。もちろん35歳で,急にダウン症児を産む頻度が高くなるわけではない。35歳以上が高齢である,ダウン症児を産む頻度が“急に高くなる”と思い込まされている証拠である。
本来なら、高齢になるほど羊水検査を受けるが高まるはずなのに、35歳前後だけがダントツ。
施策の効果が、暗示効果が、こんな形でみごとにあらわれております、と。
『出生前診断:いのちの品質管理への警鐘』
p.104
「米国では妊娠時に35歳を過ぎていた複数の妊婦が,産科医から羊水検査の説明をされなかったために障害児を中絶する機会を失ったとした裁判を起こし,その和解が78年と79年にあったが,それが羊水穿刺を開発段階から普及段階に変えてしまった。(中略)米国産婦人科医会や小児科学会は,両親に出生前診断を提示しないと同様の訴訟の危険があると会員に警告を出した」。そして「羊水検査が成功裏に普及段階に至ったのは,医療過誤を訴えた女性を含めて,自分に良かれと考えた女性たちの運動の帰結である」とされる。
p.105
「35歳以上ならハイリスクで(中略)「羊水穿刺を受けたいですか,受けたくないですか』と尋ねること(中略)を怠ると産科医は法的に罪を問われ」るという主張を繰り返している。この言が正しかったとして,では35歳という基準はどうして決まったのだろう。
日本では誰も決めてはいない。
フランスは38歳である。
(すみません、以上、前世紀の読書メモからの引用なので適宜改行、語尾など調整した部分があるかもしれません、正確な文言が必要な場合は当該書を直接あたって下さい)

妊娠で不具合の出る率は、高齢になればなんぼかアップはするのだが、「**才から」という明確な境目は_ない_。
それなのに、なんで「35才」が「羊水」に結びつく形で象徴的に出てくるのか。
要するに、産科の医者の側が、政府の方針に従って( 奥野氏風に言うならば「帝国医療的に」)女性に向けて、
「35歳過ぎの女性は恐ろしい結果を避けるために羊水の検査をしろ」
というメッセージを繰り返し刷り込む方策が行われた。
その結果が「35歳を過ぎると羊水が・・・」言説。
35才という区切りは、医療側の都合でテキトーに設定した商売用の(便宜的な)区切り。
さて、そういうルートで見てみると、元凶はこうださんやほうそうきょくではなく、「厚生省じゃないのか!?」という図式が現れてきたりする。
... 以下つづき...

海外でも「その35才ってなにさ」とツッコまれるような医療政策が採られていた、その方策を、まんま日本の厚生省が輸入してくれたわけで。
『医療倫理:よりよい決定のための事例分析』(2巻) グレゴリー. E. ペンス著 みすず書房 2001/02 (1990,1995,2000/Classic Cases I Medical Ethics, 3rd edition)
p.263
1970年初頭、染色体異常である〈ダウン症候群〉の検査が可能となった。ダウン症の検査は、羊水穿刺により行われ、好成績を収めている。当初は、この検査に対して批判が投げかけられた。親が、検査を受けて保因者だったら中絶するということを繰り返し、完壁な赤ん坊を持つことだけに関心を寄せるようになるだろう、というのが批判の内容だった。しかし今日、35歳以上あるいは40歳以上の妊娠した女性について、この検査を行うのが普通になっている。産科医がおよそ35歳以上の妊婦にその検査ができると告げないと、医療過誤訴訟の種になりかねないほどである。
『女性と出生前検査:安心という名の幻想』 カレン・ローゼンバーグ/エリザベス・トムソン編 堀内成子/飯沼和三監訳 メディカルトリビューンブックス 日本アクセル・シュプリンガー出版 1996年 (原書1994年 / Women and Prenatal Technology)
p.38
例えば医学的分類によれば、35歳以上の女性だけがダウン症の子どもを産むリスクが高いわけではない。またその年齢で線引きした結果、2つのグループができるが、医学的にそこで線引きしなければならない根拠はない。胎児の染色体異常が発生する確率は、女性の年齢が上がるとともに緩やかに増える。ダウン症の子を産むリスクは全ての女性にある。どの確率になると高い低いと言えるのだろうか。
リスクの高さを分ける統計学的線引きは、歴史的にも政治的にも確たる根拠がなく行われた。例えばフランスで「リスク」と言えば38歳からである。検査が公費で負担されるのがこの年齢より上だからである。北米ではこれも同様にいい加減で当初は40歳以上を予定しながら、結局は35歳以上をハイリスク・グループとして検査対象にするようになったが、それは出生前検査の進歩の中で経済効率や検査需要が検討された結果である。
かなりテキトーな(恣意的な)35才という区切り。
35才という数字は、なにか海外では「世代の区切り」として登場しやすい年齢であるらしい。
日本で言う「厄年」の、欧米バージョンが35才なのかな。
『天才と分裂病の進化論』 デイヴィッド・ホロビン著 新潮社 2002/08(原書2001/The Madness of Adam and Eve)
p.149
最初の発症が三十五歳をすぎる例はほとんどない。三十五歳をすぎて発症する場合は、それまでずっと変わり者と思われてきた人である。
『殺してやる 止められない本能』 デヴィッド M.バス (著) 柏書房 (2007/02)
p.35
15歳から29歳では16.3人、30歳から34歳では13.9人、35歳から39歳では12人である。これらの数字からわかるのは、男性が生殖をめぐる競争期に入ると殺人件数は劇的に増えるということだ。
『出産の文化人類学:儀礼と産婆(増補改訂版)』 松岡悦子 海鳴社 1991年
p.128-129
アメリカで帝王切開になりやすい人々として、次のような人々をあげている。
・教育程度が非常に高いか、逆に低い人。
・収入が非常に多いか少ない人。
・15歳以下か35歳以上の人。 [〜後略〜]
ライフステージを「35」で区切る。
日本的実感としては、あまり35才は区切りとしては認識されていない。
そのあたりも、異様に「35才で羊水検査」がおかしな<呪>として立ち現れる要因になっていたかも。
『それでもヒトは人体を改変する 遺伝子工学の最前線から』 グレゴリー・ストック著 早川書房 2003/12
p.79
この種の間違った話は無害なものかもしれないが、ただ、30歳そこそこで、赤ん坊を今産もうか、それとももう少しあとにしようかと思い悩んでいる人に与える影響は別だ。不妊治療技法についての医学的な空騒ぎを考えると、多くの女性は40代になっても十分に自分の卵子を使って簡単に子供を産めると想像しているかもしれない。しかしけっしてそうではない [〜中略〜] 35歳でさえ、女性が自分の卵子で体外受精に成功する確率は低下しはじめている。40代では、一回の治療周期当たり15%、42歳では8%に低下し、44歳では、30回に1回まで落ちる −− 多くのクリニックでは試みることすらしない。50代には、医学的奇跡の領域に入り込んでくる。
実際、年をとるほど、妊娠に成功する率は低くなっていくことは否めない。
でも、どこかの年齢を境に突然、ということはない。グラデーションなんだ。
「35才」で「羊水が」という言説は、厚生省の「35歳を過ぎた妊婦は異常妊娠をしていないか羊水検査で調べなさい」方針がなければ生まれなかった。
さらには出生前診断自体にまつわるややこしくも深い問題も、ダウン症に対する偏見をこさえた厚生省の問題についても含め、冒頭の書籍にはいろいろ綴られているのだけれど、とりあえず・・・
ま、そういう話です。
最近は厚生労働省は叩きやすいし、ね。


まー、いまどきの人々は何かおっしゃりたくてもコメント欄ではなく公開ブクマのほうに捨て書きなされるみたいですが、そゆのはかまってあげたほうがいいのか無視していいのか、はたまた、どこでかまえばいいのか、よくわからないわけなのですが。
ふだんのエントリを見に来ないのに、いきなり問題のエントリだけ見に来る人もいらっしゃって、今週の流れを把握しないまま文句つけていなさったり。いえいえ、そういう場合は「数個前の記事を踏まえなくてもいいようにきちんと書かない雨崎が悪い」のですよね。
厚生省は、多少の失礼があろうが、このような行政の立場からみた善をなす上においては、そのくらいの副作用は仕方がない、という施策判断の上で、「35才で羊水穿刺を」というキャンペーンを打った。
意味はどうあれ、「羊水を検査しないと!」と思ってさえくれれば、「結果的に」羊水検査を受ける女が増える。医療をやるトップダウン側にとって、「結果的に」良い方向に行きさえすれば、誤解からくる「結論」を正すまでには及ばない。
(今週の頭の流れからはこうです)現場や草の根のボトムアップ(暮らしの実感)からすれば、「結果(成果)」より「結論(意味)」が肝になる。行政にとって「良い結果」が出たとしても、新しい施策は現場で生きる人間に「妙な結論」をおっかぶせてしまうことが多い。暮らしや人間関係を攪乱(かくらん)してくれる「妙な結論」。その一つのあらわれが、このたびの「35才で羊水が」。
「羊水検査」=羊水の質を調べている
というカンチガイが起きることは容易に予想されるし。(羊水の検査とは何か、ご存じですか?)
医療人類学は、この手の、上と下の間に発生する齟齬(そご/くいちがい)を拾って、現場をきちんと考えてくれる学問です。
さて、どっちから見るか。どっちからの見方が正解なのか。
それは結論を出す必要はない、鋭意双方反省をすればいい。
「35才で羊水が・・・」に至るには、「厚生省が国民のために効率的に仕事をしたら、こんななってしまう、しかたないなぁ」という一連の流れがあった中で、このたび、末端のこうださんやほうそうきょくばかりがバッシングされてるようなので、あれ? と。
「35才で羊水が・・・」の由来は、 リプロダクティブヘルス 研究の方面では言わずもがなの話でも、一般の方々はご存じないのかな、ということで、「元も知っておいてね」というエントリでした。
へぇボタン:へぇ〜
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冒頭に引いた書籍からさらに資料をあげて下さっています。(ブクマコメthanx)


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