

『医療人類学のレッスン 病いをめぐる文化を探る』
池田 光穂, 奥野 克巳 (編さん)
学陽書房 (2007/10)
[ Amazon ] [bk1]
医療人類学の入門に便利なご本。
医療人類学ってナニ。
簡単に言えば、「医療ってそれだけとちゃうんちゃう」という学問。医療行為・治療言説のデコンストラクション。古今東西の生病老死を正当に見直そうとする学問。ローカル・ノレッジ、ナラティブの復権。
というふうに雨崎はみなしているのだが、医療人類学当事者もそう思っているかどうかは不如意。
さて、当該書。
医療人類学の入門書は数少なく、まして今世紀に入ってからは音沙汰も絶え絶えだった中、オススメ上位に食い込む良書として登場したのが本書だ。
文化人類学の作法で、医療を読み解くレッスン各章。
p.iv 池田光穂:
ごくふつうの人間が未知の世界に触れる経験をとおして、違った角度から世界を眺めることができるようになるための知的制度が文化人類学であり、文化人類学者とはそのような経験の技を身につけた/身につけつつある人である。それ以上でもそれ以下でもない。
アノマリー(異常者や異端例)に怯え安全という虚構を求めて恐々としているキャパの狭い小市民には、理解してもらえないであろう豊かな可能性世界が、この分野には広がっている。
異端を言祝(ことほ)ぎ、「常識のズレ」の発見に小躍りするタイプの人には、これはこの上なく頼もしいイザナイ本だ。そこらのバイオ屋や学生、母親、リーマン、ファビュレーションSF(進化心理学+文化人類学のティプトリーJr)好き世代などにも、ドコドコ読ませたいオススメ本。
とはいえ、完ぺきにお行儀よい優良書に仕上がっているわけでもない。完成型ではない、いろいろな意味で「興業中」。
見どころの一つは、編者の一人、鎮忘斎こと池田光穂氏の、野卑な大道芸人的キャラ。
... 以下つづき...

(吟遊詩人ぢゃないよな、もっと土着に清濁合わせ呑む・・・良くも悪くも大阪のオッサンだ)
池田さんは大胆妄想系の野卑な大道芸人「鎮忘斎」キャラと、論理的に抑えた思考をする池田光穂キャラの2つがあるんじゃないかと思う。
やるときは、本書10章のようにかっちり行儀の良い仕事をさらっとモノするのに、ウェブで交信すると、大道芸人的ぶっとびキャラでレスポンスされて眼が点になることが多かったりする。その怪人的キャラ側の片鱗が、当該書の「まえがき」に、にじみ出ている。
まえがき。
p.iv
今は日本語で書かれているが、若老女男、健常と障害の区分、国籍や民族性を問わず、「医療人類学というものについて知りたいのです!」という〈知への渇望〉という病いに侵されたすべての人のために用意された、最初のファースト・エイド・キットすなわち"救急箱"が、この本なのである。
バナナの叩き売りの大仰な口上を連想してしまう。

このあたり、知っている人は笑えるし、知らない人は「ナニコレ」状態かも。
いや、池田さんはこういうキャラなのです。医療人類学がこんなだとは思わないで下さい。w
しかし、いつのまにかこの怪人が、日本の医療人類学を率いる立場に走り出ていなさるんですね。本書執筆者の中で最長老が池田光穂さんだ(まだ50才そこそこの若さだが)。彼が後続にバリバリ栄養を振りまいているらしい。
今世紀に入ってからは、
と・・・これだけのバイタリティわしわしである界隈の活動が、外に漏れ聞こえてこないのは、なぜなんだろう。

そも、内に対してはともかく、外に対して発信する作業を、あまり重ねていないのではないか。
当該書の構成からも、そんな印象を持ってしまう。

●構成が残念だ
本書は、「医療人類学の教科書を作ろう」という声かけの元に集まった有志によって著された。
しょっぱな「理論の大枠紹介」が来て、歴史の紹介が来て・・・という段取りは「授業」そのままのノリなのだろうか。世間に向けての出版、として考えると、最初のツカミに理論や歴史を持ってくるのはもったいなくないか。
医療人類学の醍醐味は、理論よりは実例だ。
本書の奥の方には、しょっぱなのツカミに最適な「未知」を掲げた章が納まっているではないか。
嶋澤恭子:第7章「リプロダクション −− 「産むこと」は単純ではないのか?」
池田光穂:第10章「心と社会 −− 狂気をどのように捉えればいいか?」
これを、この7章と10章を最初に持ってこようよ。まず醍醐味に、「未知の世界に触れ」させるんだ。
「ええっ! お産って違ったんだ!」
「ええっ! 狂気って違ったんだ!」
ズレと脱構築をバンと打ち出して、受け手の興味をわしづかみ。
そしてそのセンスオブワンダーに引きずり込んだ状態の頭に、それを繙(ひもと)くためのツールとしてこんな理論と歴史があったんだよとたたみかけていく。そういう段取りがあって欲しかった。
教科書として用いるときには、使用する章の順番はどうとでもできるのだから、それ以外での一般人相手の使い勝手を想定した場合、ツカミには市井の今とクロスするホットな実例を持ってくるべき。材料は良いものがそろっているのに、醍醐味に触れる前に読み手が投げ出してしまう懸念があるのはもったいない。
●楽しい中身
入門書です。間口広く、奥は深く、わかりやすい概説は貴重ですよ、しかも面白い。
1「医療人類学の可能性 健康の未来とは何か?」池田光穂
2「病気と文化 人間の医療とは何か?」奥野克巳・山崎剛
3「呪術 理不尽な闇あるいはリアリティか?」池田光穂・奥野克巳
4「憑依 病める身体は誰のものか?」花渕馨也
5「シャーマニズム シャーマンは風変わりな医者か?」奥野克巳
6「グローバル化する近代医療 医療は帝国的権力か?」奥野克巳・森口岳
7「リプロダクション 「産むこと」は単純ではないのか?」嶋澤恭子
8「女性の身体 身体は所与のものか?」松尾瑞穂
9「エイジングと文化 老いはどのように捉えられているか?」福井栄二郎
10「心と社会 狂気をどのように捉えればいいか?」池田光穂
11「今日における健康問題 なぜある人びとは病気にかからないのか?」池田光穂

【異分野との交信の余地アリ】
●「遺伝」と言うオイタ
池田さんは、言説の継承や伝播について言及する際に「遺伝」や「クローン」や「DNA」という語を不用意に用いなさる。「言説のクローン氾濫」だの、「風潮を変えるには日本人のDNAを改造するしかない」だの。こたびの前書きでも「医療人類学の多様性は、文化人類学の多様性という性質をどうも"遺伝"したようである。(p.iv)」とやっている。
できれば、医療人類学に隣接する分野のことを慮って、そのバイオ関係用語の妙な使い方は遠慮していただけるとなんぼか安心して読むことができるのだが。
彼的にはお気に入りの表現なのかもしれないが、この点も「異分野との交信が足りていないのかな」と思えるゆえん。
●進化心理学も足りていない
異分野との交信の余地アリアリだと思う点がいくつか目につく。(書き手にもよるか)
p.102、入門書でこういう記述はあかんし。不用意すぎる。
p.102 [第5章 シャーマニズム] 奥野克巳
初期人類の脳では、ことばを操る言語的知能、ある事象の意味を読み解く博物的知能、コミュニケーションをつかさどる社会的知能、道具をつくる技術的な知能などが互いに分化していた。そのため、初期人類は、ありのままでしか、ものごとを捉えることができなかった。例えば、初期人類は、石は生まれることはない、生き物のように死ぬはずがないことを知っていた。また、人間には信念や願望があるが、自ら動くことのない石には、信念や願望はないことを知っていた。
p.111(生きる意志をもっている人のほうが、悲観的でネガティブな人より、病状経過がよい)にしても、p.102のような進化心理学を聞きかじったようなご開陳をなさるのなら同じく進化心理学を敷衍しても良かろうところを、言及は西欧起源のサイモントン療法止まりだし。

そういえば、東西の宗教者や知識人が集合したという書籍
いまどきの医療は患者の「疎外感」を強める方向に作用し、ヒトのありようを逆撫でしがち。
と見るのであれば、
●儀式をとるか、とらないか
「参加感」は集団生活種であるヒトの生とありようにとって、肝要な位置を占めている。(ex. 感情と聴覚刺激)
その点、病者を排除するのではなく巻き込んで、あらためて集団の中での位置づけ確認を行う様式の医療行為(?)は、ヒトの生にとって、ヒトのナラティブにとって、現代医療とは異なる効果を主眼としている気配。かたや結果重視、かたや結論重視。
個 対 社会、ではなく、病気 対 正常、ではなく、もろともの関係性の編み上げ。効率でもなく、成否でもなく、救済も排除も含めた上で、その場の関係性を確認する儀式を行う。それは医療だの治療だのという枠とは別の落としどころにあるものだ。
現代医療は、現代医療側の物語と、患者側の物語、それを分けている。もともと共同体に属している者どうしではないし、結果共同体を目指す関係でもない、「治癒」だけがかろうじて共有目的であるわけだから、「関係性を確認する儀式としての医療」なんてな発想は生まれるはずもなく。生まれるとすれば、医療という技術授受の場ではなく、運命共同体的な、ホスピスや福祉施設において。
雨崎にはそう見える。
先週流れていた↓は、適応的な関係性を無視した新宗教の話かな。
いまどきの宗教は自己中心しすぎ2008/01 PhysOrg Religious beliefs focus too much on self
伝統的な宗教から離れて、いまどき流りのself-focusedされた信仰に移動するヤングアダルトは、さほど幸福になっていない
個人主義では、ヒトの幸福回路は飢餓状態に陥ってしまう。

●第6章 帝国医療
編者の一人、奥野氏は、帝国医療というキーワードを看板に掲げていなさる。

『帝国医療と人類学』 奥野克巳 春風社 2006
言わずとしれたネグリ・ハートから来ているらしいのだが、個人的にはこの「帝国医療」という呼称は、素人の目に図式を際だたせるには便利かもしれないが、あまり使いたくない言葉だと感じる。
「帝国」という、何か特定の存在がありそうな物言いは、社会学かぶれにありがちな「敵はいるはずだ、悪者を捜せ」的な悪行を助長しかねないからだ。
「違った角度から世界を眺めることができる経験の技」を語るのであれば、”諸悪の根元がなした所業と反省”というベタな色になりそうな語りではなく、この位置関係にこれをおくと必然的にこんな展開になってしまう、という一歩引いた”仕方なさと反省”の語りに持っていきたいところ。

●第7章 「リプロダクション」嶋澤恭子
この本の中ではイチオシの章。
記述がすうっとしている。
かまえていない。
しかも素材がダイナミック。
現代のお産、異国の医療政策、ジェニター・ペイター、「痛み」の意味の変容。
p.150
出産の歴史においてしばしば物語られる直線的プロセスは、廃棄されるべきである。あらゆるものごとに別のありようがあったことを忘れてはならないのである。
医療人類学の生に直結したオイシイ主題を並べておいて、この言葉。
ヒトの意味世界の可能性を漏らさず捉えおく。これが、この学問の醍醐味だと思う。

●闘病記
前世紀の後半、病人が「闘病記」を残す例が増えたという。(第4章p.76 花渕馨也)
孤独なボウリングの流れ を思い出してしまう。
世に流通している自己正当化用の物語が、マスメディアの効果も加わって、特定の層だけをもてはやすバージョンに収斂(しゅうれん)してしまう。自己正当化用の物語が、「最も良く消費をする者用」のバージョンばかりになり、さまざまなありようを受け入れることができるような”病者用の自己正当化物語”が駆逐されて潰えてしまった。そのおかげで、病者はそれぞれに自前でいちから「闘病記」を編みあげねばならないハメになっていたりする。
雨崎的にはそう見えている。
●ヒトの正常と異常
雨崎的には、きょうびの健康観は「繁殖行動を目指す成体」を過剰に持ち上げすぎていると思ったりする。
生病老死、そして非繁殖も含めて、今では異常呼ばわりされているかもしれないが、いずれも本来は存在として「正常」なありようであり、その「あたりまえ」にある現象をそれぞれ正当化し処理するための世界観や概念ツールが、古今東西さまざまに工夫され栄枯盛衰してきた。
その中、今だけを正常として他を省みず、死を忌み嫌い、生を過剰に甘やかし、老いをケガレ扱いし、健康という強迫観念に尻を叩かれヒトナミという赤の女王と競争し続ける…
異常じゃん、そんなの。と一歩引ける視点を普通に持つこと。


【クールーは終わっていない】
ラスト。
あとがきに、編者の奥野氏がニューギニアの現地を訪れて「クールー病は現在進行形でまだ終わっていないじゃないか!」というショッキングな報告をおいている。
※クールー病:
『眠れない一族 食人の痕跡と殺人タンパクの謎』
『震える山 クールー、食人、狂牛病』
この「今のクールー」については、一冊まとめるほどの仕事が簡単にモノせるのではないかと思えるほど、興味を惹かれるんだが。あとがきにちょこっとだけ言及しておしまいなんて、そんなおあずけはずるいぞ。

そのほか、性器切除/FGM/女子割礼、文化結合症侯群など、定番の主題を扱った章がもりだくさん。
「こんな教科書があったらいいな」と願う当の教授と研究者が企画して生んだ一冊だ。取りそろえるべきものはそろっている。足りないとすれば、一つ欲しかったのは異国の研究者が語る日本であるけれど、そこまで盛り込むのはさすがに蛇足かな。
『医療人類学のレッスン』に挙がる主題をひととおり知っている人が、ふつうにそこらにいてくれるのであれば、人生ラクだろうな〜 などと思いつつ。

池田光穂さんは、この本の「第二刷を目指すのだ」と意気込んでいる。
なんと頼もしい見栄の切りよう。
でもね。たいへん寂しいことに、本書のみならず、下記推薦図書含め、「医療人類学」の関係書籍は、各図書館に収蔵されている率が、他の分野の書籍より低めなような気がするんだが。市内の図書館に入ることはまれだし、 webcatの大学蔵書検索 で検索してもなかなか・・・
いや、それは気のせいだよ、というなら嬉しい。
実際、蔵書率が低いのであれば、これはたいへん悲しい。
医療人類学の本は多くの人間に読まれて欲しい。
なぜなら、先端医療バイオや心理学より、確実に「幸福」に近い道を走る分野であるから。
●推薦図書
各章に推薦図書のリストがある。
これは嬉しゅうございます。
文化人類学関係の本は、新刊すべてに目を通していると人生占有されて死んでしまうし、かといってどれを選べばいいのか取捨選択の基準もなかなか見きわめがたい。今世紀に出た新しい書籍含め、オススメを挙げてもらえてあると、「そうかそれは優先順位を上げておこう」とチェキできる。
残念な点:「なぜその本がオススメなのか」その理由を一筆添えておいてもらえたら良かったのに。
『文化の窮状 −− 20世紀の民族誌、文学、芸術』 ジェイムズ・クリフォード 2003 人文書院
『逸脱と医療化 悪から病いへ』 ピーター・コンラッド、ジョセフ・W.シュナイダー 2003 ミネルヴァ書房
『生き方の人類学』 田辺繁治 2003 講談社
『疾病・開発・帝国医療 アジアにおける病気と医療の歴史学』 見市雅俊ほか編 2001 東京大学出版会
『〈病〉のスペクタクル』 美馬達哉 2007 人文書院
『病いと〈つながり〉の場の民族誌』 浮ヶ谷幸代・井口高志編 2007 明石書店
『医療・合理性・経験 バイロン・グッドの医療人類学講義』 バイロン・J.グッド、2001 誠信書房
『保健と医療の人類学 調査研究の手引き』 A・ハルドン、S.ファン・デル・ヘースト、ほか 2004 世界思想社
『帝国医療と人類学』 奥野克巳 春風社 2006
『老いの人類学』 青柳まちこ編 世界思想社 2004
『からだの文化人類学 変貌する日本人の身体観』 波平恵美子著 大修館書店 2005
ほかたくさんたくさんたくさん・・・
さっそく 『帝国医療と人類学』、 『老いの人類学』、 『からだの文化人類学』はゲットして今手元にある。

医療人類学という分野を知っているかい?
知らないのであれば、この怪人池田さんが音頭をとった『医療人類学のレッスン 病いをめぐる文化を探る』は、医療人類学がどんな分野であるのか、ぱぱっと把握しておくのにいいチャンスだぞ。
雨崎のブログをヲチしている人であれば、なんぼか医療人類学の視野には親和的なはずだ。臆せず一冊どうぞ。
販促販促。


![[ EP: 科学に佇む心と身体 ]](http://homepage1.nifty.com/NewSphere/transparent.gif)







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